礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

お前のお父さんはもう帰らぬ(森近運平)

2016-03-09 02:48:02 | コラムと名言

◎お前のお父さんはもう帰らぬ(森近運平)


 今月三日、横浜事件国家賠償請求訴訟の第一八回口頭弁論を傍聴した。原告の木村まきさんが意見陳述をおこない、その中で、元中央公論社員の木村亨さんの辞世の句「捨てし身の裁きにひろういのち哉」を披露されたことは、四日のブログで紹介した。
 その後、木村さんから、「横浜事件国賠最終意見陳述 死の直前まで裁判に期待していた木村亨」と題するファイルをいただいた。A4判で、四枚分の文章である。三日の意見陳述は、この文章に沿っておこなわれたのであった。
 法廷では、その意見陳述を「耳」から受けとめた。非常に感動的な陳述であった。しかし、その内容を、改めて「目」で追ってみると、さらに理解が深まったし、さまざまな発見もあった。
 木村さんの最終意見陳述は、大逆事件で刑死した森近運平が、処刑の数日前、郷里の妻子に宛てた手紙の紹介から始まった。法廷で私は、「森近運平」という名前を聞いて、「オッ」と思った。明治末の大逆事件と昭和戦中期の横浜事件とが、共通の構造を持っていることを訴えようとされているのだと思った。
 この手紙の内容がまた、すばらしかった。木村さんの朗読も、心がこもっていた。
 正確にいうと、これは「封緘はがき」に書かれたものだそうで、日付は一九一一年(明治四四)一月二一日。ちなみに、処刑は、同月二四日であった。
 この「手紙」は、なかなか読める機会がないと思うので、本日は、木村まきさんのお許しを得て、以下に引用させていただく。これは、木村さんが、原文のコピーを参照しながら、一字一句、その文章を確認されたものだという(改行は、原文の改行に従っている)。

実に世に類なき裁判であつた。判決を知つた時、御身は狂せんば
かりに嘆き悲しんだであらう。真に想ひやられる。それも無理はな
い、僕は死の宣告によつて道徳的義務の荷を卸して安楽な眠に入
るのだが、御身と菊とは之が為に生涯の苦痛を受けねばならぬのである。
御身は今迄僕の為に苦労ばかりして呉れたのに僕は少しも報ゐることを得ず
弱い女に幼児を背負はして永久の眠に就かねばならぬ。アヽ胸の裂ける思
がする。愛する我妻よ、人間の寿命は測るべからざるものだ。蜂に刺されたり狂
犬に咬まれたりして死ぬ人もある、山路で車から落ちて死ぬ人もある、不運と思ふて
諦らめて呉れ。事件の真相は後世の歴史家が明かにして呉 れる、何卒心を平
かにして徐ろに後事を図つて呉れよ。僕も男一匹だ、茲に至つて徒らに慟哭
するものでは無い。少しく御身等の将来を考へて見やう。女は今の世で独立
して子供の教育迄やる訳には行かぬ、必ず兄弟姉妹の世話にならねばならぬ。
若し又良縁あつて再婚する事が出来れば好都合だが、思はしい事は仲々ある
ものではない。何れにしても人を善意に解するてふ格言を守つて頂きたい
人を信じ過ぎて失敗したのは人を疑つて成功したよりも善いものである。御身の
兄姉達にしても良平にしても皆極めて親切な人だ、殊に僕は御身が主として良平
の扶助を受ける事を希望する。そして葡萄栽培や養鶏などで、飾らず偽
らず、自然を 愛し、天地と親み、悠々として其生を楽しみ得るならば、亦以て高
尚な婦人の亀鑑とするに足ると思ふ。順境に於ては人の力量は分らぬ、逆境に処し
て始めて知れるのだ。憂き事の尚この上につもれかし、限りある身の力ためさんと云ふ雄
々しき決心をして、身体を大切にし健康を保ち、父母に孝を尽くし菊を教
育して呉れ、之実に御身の幸福のみでなく僕の名をも挙げると云ふものだ。
△菊に申聞かす、お前は学校で甲ばかり貰ふさうな、嬉しいよ。お前のお父さ
んはもう帰らぬ。監獄で死ぬことになつたのだ。其訳は大きくなつたら知れる。悲
しいであらうが唯だ泣いたのではつまらぬぞ。これからはおぢさんをお父さんと
思ふてよく其言ひつけを 守り、よき人になつて呉れよ。大きくなつてから
お母さんを大切にして上げる事がお前の仕事であるぞよ。一月廿一日記

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