礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

小林篤郎『物質の謎』(1944)の「序」

2015-01-27 05:49:13 | コラムと名言

◎小林篤郎『物質の謎』(1944)の「序」

 昨日の続きである。戦争末期、京都の大雅堂から「ぼくらの文庫」という叢書が刊行されていた。本日は、その一冊、小林篤郎著『物質の謎』(一九四四年八月二〇日、初版二〇〇〇部)の「序」を紹介してみたい。国立国会図書館は、同書を「ぼくらの文庫」の第五冊に位置づけているが、その根拠はハッキリしない。

 
 物の考ヘ方も感じ方も新鮮で弾力のある少年少女諸君に此の書を贈ります。茲に記した話は一口に言へば、いろんな物の内部はどうなつてゐるかど云ふ事と、それが色々な物の性質にどの様に関係してゐるかと云ふ事を述べたものです。私達は毎日の生活でいろいろな出来事にぶつかり、沢山の物に囲まれてゐます。電車は走り、飛行機はとびます。太陽は輝き、風は唸り〈ウナリ〉ます。毎朝水を飲み空気を吸います。総ては当然の事であつて何の不思議も感じません。然し、一歩突き進めて考へて見ると、判らない事や不思議な事ばかりです。電気が流れるといふのはどう云ふ事だらうか、金属の中はどうなつてゐるのか、塩が水に溶けるとどうなるのか、かう考へて来ると仲々難しいのです。科学は一歩一歩それ等の謎を明らかにして行きます。又明らかにしようとしてゐます。 そして考へれば考へる程此の世の中の意味深いこと、美しくて秩序のある事に気付くのです。これを味はつた事のない人はほんたうに気の毒だと言ふ外ありません。
 日本は今、国を賭して戦つてゐます。深く考へ、強く実行しなければならぬ時です。わけても科学と工業とは是が非でも発展させねばなりません。それが私達のつとめでもあり、悦びでもあります。而もこの事は生やさしく出来るものではないのです。一体科学や工業の世界は単に学者や技術者だけの力で動いてゐるのではありません。皆さんと同じ年齢の少年少女が沢山に工場で働いてゐます。どんどん複雑な仕事をして美しい品物を作つてゐます。其他にも仕事の方針をきめたり、予算を許可したりする人々も間接に仕事をしてゐる訳です。考へる人、図をかく人、造る人、運ぶ人、皆が分業で仕事を受持つてゐます。もしこれ等の人々が全力をこめて助け合つたならどんなに素晴らしい事でせう。総ての仕事の根本には熱情がなければなりません。理解がなければなりません。言ひ換へれば一般の人々の科学に対する愛が、工業に対する理解が、其の国の科学や工業を動かしてゐるのだと思ひます。此の事は科学の歴史を繙けばよく判ります。
 小さい時から、深く考へ、強く実行し癖のついた人々が、科学の世界を動かす様になつたら、どんなに素晴らしい事でせう。この小さな書物が、賢くて感じの鋭い皆さんの心の奥にある、智慧の宝を抽き出すきつかけとなるならばどんなに楽しい事でせう。
 こんな積りで私はこのお話を書き綴りました。たゞこの本にある謎の答だけを憶えて貰ひたくはありません。それよりも、科学はどの様にして謎を解いて行くのか、又その結果が実際の事柄と、どういふ繋がりにあるのかと云ふ事に注意して戴きたいのです。私は余りに慾張つて、多くの事を書き過ぎたかも知れません。然し、ゆつくりと落着いて読んで戴けば、結局、私の心と皆さんの心とは通ずる事と信じます。
 船を好み絵を愛した亡き弟を偲びつゝ
 皇紀二千六百四年  北白川にて   小 林 篤 郎

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