座敷ネズミの吉祥寺だより

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中瀬の吉祥寺のあれこれをおしゃべり。

抑留

2015-04-03 | おしゃべり
ここ数日、
またまた 新聞を広げて ドキドキしていました。


旧ソ連が 現在の北朝鮮に開いた
第53送還収容所で死亡した日本人抑留者869人の名簿が、
ロシアに残されていた事がわかった

という記事が 2日の一面トップでした。



北朝鮮で抑留死869人名簿…露の公文書館保管

   死亡者の氏名、出身地、死亡日、死因、埋葬場所などが
   ロシア語で記載されている。
   内訳は軍人・軍属766人、民間人103人。
   死因のうち最も多いのは栄養失調で330人。
   結核や発疹チフス、赤痢など伝染病による死者も半数近くに上った。
   満足な食事を与えられず衰弱し、疫病が広がった惨状が浮かび上がった。

   年代別では20歳代が約400人と最も多く、
   10人以上が20歳未満だった。



また、35面によると、

1944年7月に 日本赤十字社の従軍看護婦として朝鮮半島に派遣され、
終戦の翌年に25歳で戦病死した女性の遺族が、 

この名簿から 収容所で 結核で亡くなっていた事がわかったそうです。



弟さん(84歳)の
「遺骨が残っているのなら、先祖代々の墓に納めてあげたい」
というのは、日本人なら 当たり前の感情だと思いますが、

その「当たり前」をできなくさせた
<戦争>というものを心から憎みます。

そして <戦争>という現実が 過去にあった事を
心から残念に思います。






          

27面にある名簿の一覧は、まるで株価のページのようです。

埼玉県出身とされる人は、民間人を含めて 24人が載っています。






こんなにドキドキしたのは、
今年はじめに亡くなった 親戚の伯父ちゃんのせいです。

97歳で亡くなったその人は
シベリアに抑留されていたのだそうです。






今朝の新聞(1面)によると、
「シベリア抑留」とは、

「第2次世界大戦末期に 満州(現中国東北)などに侵攻したソ連は、
 約60万人の旧日本軍兵らを抑留し、シベリアなので強制労働させた。

 病気やけがで重労働に耐えられなくなった役2万7000人は
 ソ連占領下の朝鮮半島北部に移送したが、このうち1万2000人以上は
 死亡した。」

というものです。






伯父ちゃんは この名簿に載った人達と 紙一重の運命で
終戦後しばらくしてから ようやく帰国できたのです。

伯父ちゃんの息子さんは
「抑留の話は、ほとんど、聞いた事がない」
と言っていました。



伯父ちゃんは どんな思いで 
かの地で 生き抜いてきたのでしょうか。

そして どんな思いで その後の70年近くを 
これまでを生きてきたのでしょうか。






第53送還収容所を巡っては、
厚生労働省が 同じ死亡者の名簿を、
2006年の時点で ロシア政府から入手していたことも
判明していたそうです。

2015-2006 = 9年前ですね。

「その事実は公表されておらず、
 死者についての情報は、遺族でも入手が難しかった。
 名簿などの資料の公開について、同省では
 「入手の経緯や一般の関心などを考慮して判断している」
 と説明している。」

と記事にありますが、
「入手の経緯や一般の関心など」のどういった点をを考慮して
これまで公開を避けていたのか、が 気になります。

9年前なら、伯父ちゃんは 夫婦でお元気でした。



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