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バイク乗りのちょっと寄り道、思った事…

悪友四国より帰還

2006-07-26 09:26:13 | 今日の出来事・・・
悪友が四国より帰還しました。
大の雨嫌いの男ですが今年の梅雨には悩まされたらしい。
お土産にうどんを持ってきた。
あの田村のうどんだ。

うどんとバイクを一緒に撮影するのは難しい。
ヤツはテーブルに置いたうどんと簾越しに見える
バイクをまとめた画像を送ってきた。
なかなかやるな。
負けれない。
まだしばらく讃岐うどんブームは続きそうだ。

黄色のHarley

2006-07-25 10:20:19 | 街で見かけたバイク乗り
久々にカッコいいと思うバイク乗りにあった。

夜、10時を過ぎた頃
私の車の後ろからツインエンジンの独特な排気音。
あっという間に抜かれたしまった。
バイクは黄色のHarley。

お決まりの半キャップにTシャツではあったが
そのアクセルの開けっぷりが気持ちがいい。
ドコドコ走るイメージのあるHarleyではあるので
こんなに気持ちよく追い抜かれたのは久しぶりだ。

なのに赤信号でカッコよく止まる。
そして青信号と共に走り去っていった。
まるで映画の1シーンのようだった。
ちょっとHarleyが欲しくなった。


北海道記 再び 7

2006-07-24 19:02:20 | 思い出
昭和61年7月16日~31日 16日間5554.1kmの思い出

≪大空と大地の中で≫

今回の旅は雨と霧とそして寒さとの対決だった。
夏なのに10℃くらいまで気温が下がり
冬には零下30℃、40℃となるこの大地の厳しい自然の一部を感じさせてくれた。
その中で私はこうした状態の中で生きてゆくには連帯感が必要で
だから人と人とのつながりに温かさがあるのだろうと思った。
夜遅くキャンプ場に着いてまだ食事をとってないと言うと
自分たちの食事を分けて酒まで勧めてくれる人
商売品をおみやげだよとくれた人
東京からひとりでやってきた迷子の女の子ライダー
食費さえ困っていた自転車で日本一周中の人など
何人の人と会ったのかさえ定かでない程多くの人と会った。
そんなもう二度と会うことさえない人たちと
あの日、あの時、あの場所で
素直な気持ちでたすけ、たすけられることができたのはとてもうれしかった。
今都会で失われつつあるものを
北の大地の厳しい自然が守っていたのだ。
厳しいからこそ残っていたのだ。

網走能取岬の売店のおばちゃんはぶっきらぼうで馴れ馴れしい。
しかし腹を空かしてやって来るキタキツネにえエサを与える優しい人だ。
そのおばさんに「また来るよ」と言うと「いつ来るね」と尋ねてきた。
「いつになるかわからんけど、きっと」と答えた。

終わり。


あとがき

ちょうど20年前の話です。
もうそんなになるのかなって感じです。
今こうしてバイクに乗っていられるのも
この北の大地のおかげです。
能取岬のおばちゃんは元気にしているのでしょうかね。
約束は果たさなければなりません。

本文は当時の記録のままアップしたので
文章も変ですし、今考えるとちょっと恥ずかしい内容になってます。
でも当時の考えを尊重しそのままアップしました。
ちょっと恥ずかしい部分を見られてしまったかな…。 (^_-)-☆
そんな昔の思い出です。

北海道記 再び 6

2006-07-23 09:26:54 | 思い出
昭和61年7月16日~31日 16日間5554.1kmの思い出

≪時間に追われない生活≫

朝日が昇るから起き、夕日が沈むから寝るという北海道での生活は
今の日常生活からは想像もつかない。
毎日1分1秒単位で生活していたのが
ここで私の生活を制限するのはお天道様のご機嫌だけなのだ。

その様な生活を求めていた訳だが
朝の通勤時間帯に信号で止まっている私の前を
学校に遅れるのか急いで自転車を走らせる学生を見ると
自分はこんな事をしていてよいのだろうかと思えてくる。
人間はやはり決められた枠の中で生活している方が安心できるようだ。
理想と現実の中で自分がどうあるべきかという明確な答えが出せない自分が
少々情けなかった。
学生が渡り終えると信号は青になった。

つづく。

北海道記 再び 5

2006-07-22 07:52:24 | 思い出
昭和61年7月16日~31日 16日間5554.1kmの思い出

≪名所・名物≫

温泉の他にも北海道のシンボルサッポロ時計台
紫色の小さな花がいくつもつけ香水の原料になるラベンダーと
TVドラマ“北の国から”で有名になった富良野
並木道とレンガ作りで高級別荘かと思わせる網走刑務所
湖すべてを見渡すことができると婚期が遅れるという霧の摩周湖
怪獣クッシーがいるとかいないとかの屈斜路湖
まりもの阿寒湖
夏だというのに山頂に雪が残る大雪山系と層雲峡
愛の国から幸福へで有名になった幸福駅
日本一面積が広い町というより松山千春で知られる足寄など
とても10日間くらいですべてを見ることが出来ない程見てまわる所はあるし
ウニ丼・イクラ丼・イカソーメン・ホタテ・シャケ・ラーメン・ジャガイモ
トウモロコシ・牛乳などおいしい物も数多くある。
中でも羅臼にトドの肉を食べさせてくれる店があり
その店の大将は面白い人で帰りにはおみやげまで用意している。
味の方はあっさりしていてつい美味しんぼしてしまうくらいである。

つづく。

カムイワッカ湯の滝

2006-07-21 08:09:28 | 最近思った事
最近書いている“北海道記 再び”は
20年前に書いたツーレポなので内容については
今読み返すと少々恥ずかしい文章になっていますが
当時の思い出をそのまま伝えたいので
ほとんど加筆することなくアップしています。
なので現在と違う事もちらほらあるかもしれません。
そして今回はその中のひとつです。

カムイワッカ湯の滝が
一番上の滝壺まで行けなくなったようです。
詳しくはこちら

今までも知床五胡までしか
マイカーで行くことはできなかったので
乗合いバスで滝の下流まで行ってましたが
さらに世界遺産に登録され
環境保護と安全確保が必要になったのでしょう。
確かに秘湯のガイドブックには必ず紹介されているし
知床を代表する観光地であることは確かで
多くの観光客が訪れることになった。
しかし大自然の懐にあるこの地に行くのは
そんなに簡単な事ではない。
もちろん道なんかなく滑りそうになる川の中を歩き
崩れ落ちそうな崖を登る、大きな岩を超える。
私が行った時も一箇所しかない崖の上り口を
年配の人が上るに登れず下るに降りられずといった状態で
大変戸惑った思い出がある。
実際そこまで行ってみると
なるほどこのダイナミックさは感動ものである。
だけど安易に考えて行くと
大きなしっぺ返しをもらうかもしれない。

今回の処置は結果的には正解かもしれない。
問題が大きくなってからでは遅いのだ。
たまたま私が行った頃はそこまでバイクで行けたし
もちろん一番大きな滝壺で湯を楽しんだ。
だからこんなことが書けるかもしれないけれども…。

4年前、乗鞍スカイラインを走った。
バイクで3,000mを走る事ができる唯一の場所だったからだ。
信州ツーレポ
そして今この道もマイカー規制で
もうバイクで走る事はできない。
環境保護は大切な事だ。
その反面バイクで走る事ができる道が
無くなる事は寂しいのも事実。
せめて私にできることはそうなる前に行っておく事。
問題先送りではあるがそれしかできなかった。

カムイワッカの件はとても残念だが
あの素晴らしい知床半島の自然をこの先のライダーに伝える為
残念ではあるがここは我慢しよう。

その日私は開門と同時にカムイワッカへの林道を走りはじめた。
朝一番だったからか所々にエゾシカの群れを見つける。
大自然の懐の奥深さを感じた時だった。
そして道端の崖の上に4つ足の黒い動物が
ゆっくりと森の中へ消えていった。
知床半島って本当にそんな所なんです。

北海道記 再び 4

2006-07-20 08:53:06 | 思い出
昭和61年7月16日~31日 16日間5554.1kmの思い出

≪私の温泉論≫

最近は温泉ブームと言ってもてはやされているが
北海道にもやはり秘湯は多い。
特に知床には熊が出没する事で有名な熊の湯
海岸近くにあり干潮時のみ入浴できるセセキ湯などがあるが
最高峰はやはりカムイワッカであろう。

ここの川は上流に源泉があるため
水ではなく湯が流れていて滝壺に入浴する事ができるのだ。
もちろん露天で
露天風呂というより自然そのものなのだ。

しかしそこまで行くのは大変で
道が無いので川の中を歩いて、大きな岩を飛び越え
バラバラと崩れる壁を登って行かなければならない。
でもそれらの労力を使った甲斐がある場所だ。

当然脱衣所も無いのでその辺に投げ散らかして
生まれたままの姿で飛び込む。
先に女の子が2人入っていたのはラッキーだったが
水着姿で温泉に入るのは自然に対する冒とくであると思う。
私がスケベだから言うのではない。
自然の中では自然な姿が一番で
そういった状態の中で女の子と友達になりたいのだ!と
考えるのは男のわがままというやつであろうか?
1時間くらい入浴して次の女の子が来るのを待っていたのは
私だけではなかったが先にのぼせてしまった。

ここでひとつ穴場の温泉を紹介しよう。
シャコタン半島を少し南下した所にある雷電から
山に入った朝日温泉は脱衣所は男女別々だが
中はひとつの風呂、つまり混浴である。
その日、私はどうだったかと言うと…。
やはり私はスケベのようである。

それは別としてやっぱり温泉は肌と肌で会話するのがいちばんよい。

つづく。



北海道記 再び 3

2006-07-19 08:08:34 | 思い出
昭和61年7月16日~31日 16日間5554.1kmの思い出

≪北の端≫

北海道は日本の北部であるので
最北端の宗谷岬は知られているが
実は本土最東端でもある納沙布岬もある。

ここは北方領土に一番近い所で
島の返還を願い資料館や記念碑があり
晴れた日はその島々を見ることができ
望遠鏡を使うとソ連兵まで確認できるという。
その間わずか数10km。

その日は自衛隊員も見学に来ており
実戦用の迷彩服を見て私の背中に悪寒が走った。
日本は平和と言われるが
明らかにここは戦場なのだ。
考えてみると現実にソ連兵はいつでも銃を撃つ用意をしているし
日本もそれに対応すべく準備をしているのだ。

日本は島国で国境という意識が薄いが
しかしここに来ると明確に感じるだろう。
それも恐ろしいくらいに。
ただこの辺りに住むエトピリカという鳥だけが
この人間の愚かな行為を知ってか知らずか
いつものように行き来している。

私はこの緊張感に耐え切らず
逃げるようにここを後にした。
もちろんその日も雨と霧で北方領土は見えなかった。

つづく。

日田祇園

2006-07-18 10:32:11 | WebMasterお薦め
その昔
日田は隠し金山であった
鯛生金山の金の集積地として栄え
江戸時代幕府の直轄地である
天領として優美を誇った。
今でこそ山間の盆地は温泉とビール工場と
九州では1、2を争うとても暑い気温が時折語られる程度だが
この暑い時期もうひとつ暑くなるのが日田祇園である。

初めて見た時
博多山笠程の迫力はないが力ずくで引く山鉾が
狭い道の角の軒先を壊しながら強引に引く様子と
笛、太鼓のリズムが優雅さを感じさせられた。
京都の祇園の流れを汲むせいか。
さすが天領の地であった事を想像させる山鉾は
20mくらいあったものもあったそうだ。
今では道路事情と電線の関係で最大で11mだそうだが
それでも当時の商人たちが贅沢の粋で作ったのはすぐわかる。

今年も7月22日(土)23日(日)に行われる。
その準備が真っ盛りだ。
ヤマの前にバイクを止め写真を撮っていると
頭領らしき人が話しかけてきた。
300年昔から脈々と伝えられてきた伝統
それは日田の人たちの誇りとなっている。
人懐っこい頭領は祭り当日の事を熱く語る。
23日の夜
もう一度見に来よう。

北海道記 再び 2

2006-07-17 09:57:49 | 思い出
昭和61年7月16日~31日 16日間5554.1kmの思い出

≪震えた夏≫

30時間の船旅の後
小樽港に接岸、北海道に第一歩を示す。

着いた日もそうだったが
今年の夏北海道は異常低温で本当に寒く
九州で言えば3月くらいの気温だ。
その上ほとんど毎日雨と霧で日光さえさす日は数える程だ。
そういう訳で作物は不作でトウモロコシはまだ実をつけてはおらず
結局最後まで新ジャガは口にすることは無かった。
田畑の作物だけではなく野山の木々もそうだ。
だからだろうか山の木の実を食べ物にしている動物たちが
よく国道まで降りてくる。

バイクの前を薄汚れた痩せた犬が横切ったなと思うと
それがあの有名なキタキツネであったり
時にはエゾシカがいたりする。
さすがに熊は見ることはなかったが
“熊に注意”の立て札があちこちにありびっくりさせられる。

しかし最近のテレビや新聞を見ていると
今年はやはり熊の被害が多いと聞く。
山に食べ物が無いのだろう。
作物にとっても動物にとっても
そして人間にとっても寒すぎた夏であった。

つづく。