「かぞくのくに」 2011年 日本
監督 ヤン・ヨンヒ
出演 安藤サクラ 井浦新 ヤン・イクチュン
京野ことみ 大森立嗣 村上淳 省吾
諏訪太朗 宮崎美子 津嘉山正種
ストーリー
1959年から20数年間にわたって、在日朝鮮人とその家族が日本から北朝鮮へ集団で移住する“帰国事業”が行われていた。
1970年代に帰国事業により北朝鮮へと渡った兄・ソンホ(井浦新)。
日本との国交が樹立されていないため、ずっと別れ別れになっていた兄。
1970年代に16歳でこの帰国事業に参加して北朝鮮に移住したソンホが、1997年、脳腫瘍の治療のために25年ぶりに監視役(ヤン・イクチュン)を同行させて日本に再入国を果たす。
しかし期間はわずか3ヵ月間だけ。
日本で自由に生きてきた妹のリエ(安藤サクラ)は、そんな兄との再会を心待ちにしていた。
25年ぶりに帰ってきた兄と生まれたときから自由に育ったリエ、兄を送った両親との家族だんらんは、微妙な空気に包まれていた。
兄のかつての級友たちは、奇跡的な再会を喜んでいた。
しかし、旧友たちとの再会にもソンホの表情は硬いまま。
そんな中、肝心の治療は検査結果はあまり芳しいものではなく、医者から3ヶ月という限られた期間では責任を持って治療することはできないと告げられる。
なんとか手立てはないかと奔走するリエたち。
そんな中、本国から兄に、明日帰還するよう電話がかかってくる……。
寸評
政治映画ではない。不幸にもバラバラになって生きねばならなくなった家族の物語だ。
とは言え、政治がらみの問題が背景にあるだけにかなり深刻な話ではある。まして監督自身の実体験がベースとあれば、フィクションとして安閑として見ているわけにはいかなかった。
ユートピアが有ると信じ込まされて北へ行った人々がいて、残った在日朝鮮人達も少なからず不当な民族差別を受けている事実を僕たちは知っている。どちらを選んでも大変な境遇に置かれているわけで、ましてや拉致事件に見られるような北の異常社会は想像する以上にいびつな社会なのではないかと思わされる。監視役の存在、絶対的とも言える理不尽な命令など、かの国の異常性とそれに翻弄される家族の姿が全編を包む力作だ。
リエとのやり取りの中で特に衝撃を受けた会話シーンが二か所あった。
一つは日本語を教えていた学生が「ソウルへの赴任が決まったので、是非遊びに来てほしい」と言ったときに、リエが「私はソウルには行けないの」と吐き捨てて去っていくシーン。
もう一つは、リエがキタからの監視人に「あなたも、あなたの国も大嫌い!」と告げた時、監視人は「あなたの嫌いなあの国でお兄さんも私も生きている。死ぬまで生きるのだ。」と言い返された場面。どちらも実に重い言葉だった。
前者では在日韓国人と在日朝鮮人は違うのだと知らされ、後者では生きる本能に支配されている人間の辛さも感じさせられた。
それにしても、息子を思う母性愛のなんと深いことか。息子のためにコツコツ貯金している母、そして腹立たしさを押し殺して「あなたがお世話になる人でしょ」と監視員のヤンのために立派な服と土産を用意する母。僕はここに至って、母親の持つ深い深い慈愛を感じて思わず涙してしまった。
この場面に限らず、ヤン監督はきわめて抑制的に淡々と描写していて、在日朝鮮人を演じる日本人俳優たちがそれに応えて抑制的な演技を見事にこなしていた。
特にソンホを演じたARATA改め井浦新の演技が素晴らしい。「あの国では、考えると頭がおかしくなる。ただ従うだけだ。」と兄ソンホは言う。
考えず思考停止して生きていくのが最善というこの不条理さに憤りが湧く。
安藤サクラの熱演も見逃せない。監視員のヤンに言い返されて、どうしようもない不条理への悔しさに、腕を振りみだし自らの太ももを叩きながら歩き回る姿は見るものを圧倒した。
急遽の帰国命令はミッション失敗によるものなのかと推測させるが、彼らのやり場のない思いがヒシヒシと伝わってくる。
北朝鮮批判を感じたことも事実だが、監督は最後に妹のリエに未来を託している。
ドキュメンタリータッチでジュラルミンケースを手に決意を持って歩くリエを映して映画は終わる。
彼女は何を決意したのだろう?きっと世界を見てまわるのだろう。その世界には韓国は含まれていない。
僕も知らない地上の楽園を夢見て北へ移住した事業とは何だったのか?それを確認する旅になるのだろうか。
在日を演じた日本人は全く違和感がなかったことで、皆同じ極東アジア人なのだと思わされたし、拉致問題を抱える日朝関係だが、近くて遠い国が、なんとか彼等のためにも近い国へと変わることを節に願いたい。
監督 ヤン・ヨンヒ
出演 安藤サクラ 井浦新 ヤン・イクチュン
京野ことみ 大森立嗣 村上淳 省吾
諏訪太朗 宮崎美子 津嘉山正種
ストーリー
1959年から20数年間にわたって、在日朝鮮人とその家族が日本から北朝鮮へ集団で移住する“帰国事業”が行われていた。
1970年代に帰国事業により北朝鮮へと渡った兄・ソンホ(井浦新)。
日本との国交が樹立されていないため、ずっと別れ別れになっていた兄。
1970年代に16歳でこの帰国事業に参加して北朝鮮に移住したソンホが、1997年、脳腫瘍の治療のために25年ぶりに監視役(ヤン・イクチュン)を同行させて日本に再入国を果たす。
しかし期間はわずか3ヵ月間だけ。
日本で自由に生きてきた妹のリエ(安藤サクラ)は、そんな兄との再会を心待ちにしていた。
25年ぶりに帰ってきた兄と生まれたときから自由に育ったリエ、兄を送った両親との家族だんらんは、微妙な空気に包まれていた。
兄のかつての級友たちは、奇跡的な再会を喜んでいた。
しかし、旧友たちとの再会にもソンホの表情は硬いまま。
そんな中、肝心の治療は検査結果はあまり芳しいものではなく、医者から3ヶ月という限られた期間では責任を持って治療することはできないと告げられる。
なんとか手立てはないかと奔走するリエたち。
そんな中、本国から兄に、明日帰還するよう電話がかかってくる……。
寸評
政治映画ではない。不幸にもバラバラになって生きねばならなくなった家族の物語だ。
とは言え、政治がらみの問題が背景にあるだけにかなり深刻な話ではある。まして監督自身の実体験がベースとあれば、フィクションとして安閑として見ているわけにはいかなかった。
ユートピアが有ると信じ込まされて北へ行った人々がいて、残った在日朝鮮人達も少なからず不当な民族差別を受けている事実を僕たちは知っている。どちらを選んでも大変な境遇に置かれているわけで、ましてや拉致事件に見られるような北の異常社会は想像する以上にいびつな社会なのではないかと思わされる。監視役の存在、絶対的とも言える理不尽な命令など、かの国の異常性とそれに翻弄される家族の姿が全編を包む力作だ。
リエとのやり取りの中で特に衝撃を受けた会話シーンが二か所あった。
一つは日本語を教えていた学生が「ソウルへの赴任が決まったので、是非遊びに来てほしい」と言ったときに、リエが「私はソウルには行けないの」と吐き捨てて去っていくシーン。
もう一つは、リエがキタからの監視人に「あなたも、あなたの国も大嫌い!」と告げた時、監視人は「あなたの嫌いなあの国でお兄さんも私も生きている。死ぬまで生きるのだ。」と言い返された場面。どちらも実に重い言葉だった。
前者では在日韓国人と在日朝鮮人は違うのだと知らされ、後者では生きる本能に支配されている人間の辛さも感じさせられた。
それにしても、息子を思う母性愛のなんと深いことか。息子のためにコツコツ貯金している母、そして腹立たしさを押し殺して「あなたがお世話になる人でしょ」と監視員のヤンのために立派な服と土産を用意する母。僕はここに至って、母親の持つ深い深い慈愛を感じて思わず涙してしまった。
この場面に限らず、ヤン監督はきわめて抑制的に淡々と描写していて、在日朝鮮人を演じる日本人俳優たちがそれに応えて抑制的な演技を見事にこなしていた。
特にソンホを演じたARATA改め井浦新の演技が素晴らしい。「あの国では、考えると頭がおかしくなる。ただ従うだけだ。」と兄ソンホは言う。
考えず思考停止して生きていくのが最善というこの不条理さに憤りが湧く。
安藤サクラの熱演も見逃せない。監視員のヤンに言い返されて、どうしようもない不条理への悔しさに、腕を振りみだし自らの太ももを叩きながら歩き回る姿は見るものを圧倒した。
急遽の帰国命令はミッション失敗によるものなのかと推測させるが、彼らのやり場のない思いがヒシヒシと伝わってくる。
北朝鮮批判を感じたことも事実だが、監督は最後に妹のリエに未来を託している。
ドキュメンタリータッチでジュラルミンケースを手に決意を持って歩くリエを映して映画は終わる。
彼女は何を決意したのだろう?きっと世界を見てまわるのだろう。その世界には韓国は含まれていない。
僕も知らない地上の楽園を夢見て北へ移住した事業とは何だったのか?それを確認する旅になるのだろうか。
在日を演じた日本人は全く違和感がなかったことで、皆同じ極東アジア人なのだと思わされたし、拉致問題を抱える日朝関係だが、近くて遠い国が、なんとか彼等のためにも近い国へと変わることを節に願いたい。
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