「に」から「ぬ」に移るのですが2019/12/16、17で紹介した
「ヌードの夜」と「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」
以外に思い浮かぶ作品がなく「ね」に入ることと致します。
前回は2019/12/18からの「眠らない街 新宿鮫」と「眠狂四郎 勝負」でした。
今回も本数は少なくなりそうです。
「寝ずの番」 2006年 日本
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/d9/721eb3f9513eae7173d707a36150bd00.jpg)
監督 マキノ雅彦
出演 中井貴一 木村佳乃 木下ほうか 田中章
土屋久美子 真由子 石田太郎 蛭子能収
桂三枝 笑福亭鶴瓶 浅丘ルリ子 米倉涼子
中村勘三郎 高岡早紀 堺正章 笹野高史
岸部一徳 長門裕之 富司純子
ストーリー
上方落語界の重鎮・笑満亭橋鶴(長門裕之)が亡くなった。
今わの際、「外が見たい」と言ったのを、一番弟子の橋次(笹野高史)が「そそが見たい」と勘違いした為に、橋太(中井貴一)の妻・茂子(木村佳乃)が恥を忍んで自分のおそそ=女性器を見せた、3分後のことだった。
そんなそそっかしい一門であるから、通夜の晩は無礼講。
生前の師匠の様々な逸話で盛り上がり、遂には亡き骸を引っ張り上げて落語『らくだ』の“カンカン踊り”まで出る始末であった。
それから暫くして、橋次が亡くなった。
通夜の晩、想い出話に花が咲く。
ゲンの悪さと言ったら群を抜いていた橋次。
お寺さんを借りての独演会では、行く先々で、本堂が火事になったり、住職が亡くなったり……とついてない。
だが、たった一度だけ、艶っぽいお姉さんとの一夜も、あることにはあった。
一年後、今度は橋鶴師匠の妻・志津子ねえさんが亡くなった。
通夜の晩、かつて今里新地の一番人気の芸妓だった志津子ねえさんの弔問に、鉄工所の元社長だと言う初老の男(堺正章)がやって来た。
この男は、師匠とねえさんを争った恋敵で、霊前にねえさんから教わった座敷歌を捧げたいと言い出した。
ところが、その歌がエッチで洒落ていたことから、そのうち橋太が負けじと歌い出し、終いにゃみんなで歌合戦、となるのであった。
寸評
下ネタをここまで散りばめた作品は今までにはなかったであろう。断言できる。
なぜなら最初から最後まで下ネタばかりなのだ。
それを嫌味なく描き続けた努力が評価される作品だ。
三人のお通夜で繰り広げられる騒動がなんとも可笑しい。
その可笑しさは絵空事の様子ではなく、自分も出くわしたことがあったような様子を描いているからなお更なのだ。
大体が、年寄りの通夜や葬式はどこか祭り気分のようなところがって、昔話に花が咲き宴会気分になってしまうようなところがある。
そこで語られることは善行などよりも失敗談や武勇伝などの笑える話題が多いのが常だと思う。
僕が出席したお通夜なども、どちらかというとそんな雰囲気のお通夜が多かった。
スタッフのクレジットが終わると笑満亭橋鶴(長門裕之)の手術シーンで、やがて橋鶴の余命が幾ばくもないことが告げられる。
橋鶴は反対から読めば大阪人には馴染みのある鶴橋でふざけた名前だ(実際、鶴橋で焼肉を食べるシーンがある)。
さてそこで橋鶴の「そとが見たい」を兄弟子の橋次(笹野高史)が聞き取れず「そそが見たい」と聞き違えたことで騒動が起こる。
そそとは京都言葉で女性器のことなのだが、「京都ではそそくさと出て行くなんて言えまへんな」みたいな会話が連発されて笑ってしまう。
その前に「そそって何でんねん?」と聞いた橋七(田中章)が「なんやオメコのことか」なんていう会話もあるから、見る人にとっては下品な映画だと思うかもしれないが、しかし下ネタは元来面白いものなのだと思う。
主人公橋太(中井貴一)の嫁である茂子(木村佳乃)が見せ役となってそのエピソードが終わったところでタイトルの「寝ずの番」が出る。
まるで落語のマクラのような扱いだ。
やがて師匠である橋鶴の通夜が始まり思い出話に花が咲くのも通夜の見慣れた様子だ。
淡路島の公演で手伝いを申し出てきた女の子に「お茶子やってもらおうか」と言ったら、淡路島では「おちょこ言うたら女のあそこのことで大騒ぎやった」と、ここでもまたまた下ネタ。
もっとも”おちょこ”は淡路島だけではなく僕が育った大阪周辺でも言っていたと思う。
そして師匠の最後の落語やと、演題「らくだ」に出てくる死者のかんかん踊りをやらかす。
それを見守る橋鶴の妻である志津子(富司純子)の表情などもあって、唯一泣ける場面だった。
このカンカン踊りでは橋鶴の長門裕之が立たされて、皆が服を脱ぐために手を離したので一人で立っているように見え志津子が驚き気絶してしまう愉快なシーンがある。
そして生き返ったかのような立ち姿の橋鶴が踊らされると、やがて一瞬目が開きステップを踏んで皆と踊る。
幻想シーンとしては亡くなった志津子が舞いそれを弟子たちが固まって見る場面や、最後の連なっての大はしゃぎでは同じく亡くなった橋鶴や橋次も一瞬登場する。
映画における演出の妙だ。
元鉄工所の社長(堺正章)が登場してからは、学生時代を思い出す懐かしい艶歌合戦となる。
いわゆる春歌で「チンポ、チンポといばるなチンポ、チンポオメコの爪楊枝」「オメコ、オメコと威張るなオメコ、おめこチンポの植木鉢」などとやり合う。
それに女優陣も加わり大はしゃぎで、昔はこんな宴会をやったもんだと懐かしくなった。
橋次の葬式に弔問客としてセリフなしで桂三枝(現文枝)、笑福亭鶴瓶、浅丘ルリ子、米倉涼子、中村勘三郎が実名で登場するのはお愛嬌。
「ヌードの夜」と「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」
以外に思い浮かぶ作品がなく「ね」に入ることと致します。
前回は2019/12/18からの「眠らない街 新宿鮫」と「眠狂四郎 勝負」でした。
今回も本数は少なくなりそうです。
「寝ずの番」 2006年 日本
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/d9/721eb3f9513eae7173d707a36150bd00.jpg)
監督 マキノ雅彦
出演 中井貴一 木村佳乃 木下ほうか 田中章
土屋久美子 真由子 石田太郎 蛭子能収
桂三枝 笑福亭鶴瓶 浅丘ルリ子 米倉涼子
中村勘三郎 高岡早紀 堺正章 笹野高史
岸部一徳 長門裕之 富司純子
ストーリー
上方落語界の重鎮・笑満亭橋鶴(長門裕之)が亡くなった。
今わの際、「外が見たい」と言ったのを、一番弟子の橋次(笹野高史)が「そそが見たい」と勘違いした為に、橋太(中井貴一)の妻・茂子(木村佳乃)が恥を忍んで自分のおそそ=女性器を見せた、3分後のことだった。
そんなそそっかしい一門であるから、通夜の晩は無礼講。
生前の師匠の様々な逸話で盛り上がり、遂には亡き骸を引っ張り上げて落語『らくだ』の“カンカン踊り”まで出る始末であった。
それから暫くして、橋次が亡くなった。
通夜の晩、想い出話に花が咲く。
ゲンの悪さと言ったら群を抜いていた橋次。
お寺さんを借りての独演会では、行く先々で、本堂が火事になったり、住職が亡くなったり……とついてない。
だが、たった一度だけ、艶っぽいお姉さんとの一夜も、あることにはあった。
一年後、今度は橋鶴師匠の妻・志津子ねえさんが亡くなった。
通夜の晩、かつて今里新地の一番人気の芸妓だった志津子ねえさんの弔問に、鉄工所の元社長だと言う初老の男(堺正章)がやって来た。
この男は、師匠とねえさんを争った恋敵で、霊前にねえさんから教わった座敷歌を捧げたいと言い出した。
ところが、その歌がエッチで洒落ていたことから、そのうち橋太が負けじと歌い出し、終いにゃみんなで歌合戦、となるのであった。
寸評
下ネタをここまで散りばめた作品は今までにはなかったであろう。断言できる。
なぜなら最初から最後まで下ネタばかりなのだ。
それを嫌味なく描き続けた努力が評価される作品だ。
三人のお通夜で繰り広げられる騒動がなんとも可笑しい。
その可笑しさは絵空事の様子ではなく、自分も出くわしたことがあったような様子を描いているからなお更なのだ。
大体が、年寄りの通夜や葬式はどこか祭り気分のようなところがって、昔話に花が咲き宴会気分になってしまうようなところがある。
そこで語られることは善行などよりも失敗談や武勇伝などの笑える話題が多いのが常だと思う。
僕が出席したお通夜なども、どちらかというとそんな雰囲気のお通夜が多かった。
スタッフのクレジットが終わると笑満亭橋鶴(長門裕之)の手術シーンで、やがて橋鶴の余命が幾ばくもないことが告げられる。
橋鶴は反対から読めば大阪人には馴染みのある鶴橋でふざけた名前だ(実際、鶴橋で焼肉を食べるシーンがある)。
さてそこで橋鶴の「そとが見たい」を兄弟子の橋次(笹野高史)が聞き取れず「そそが見たい」と聞き違えたことで騒動が起こる。
そそとは京都言葉で女性器のことなのだが、「京都ではそそくさと出て行くなんて言えまへんな」みたいな会話が連発されて笑ってしまう。
その前に「そそって何でんねん?」と聞いた橋七(田中章)が「なんやオメコのことか」なんていう会話もあるから、見る人にとっては下品な映画だと思うかもしれないが、しかし下ネタは元来面白いものなのだと思う。
主人公橋太(中井貴一)の嫁である茂子(木村佳乃)が見せ役となってそのエピソードが終わったところでタイトルの「寝ずの番」が出る。
まるで落語のマクラのような扱いだ。
やがて師匠である橋鶴の通夜が始まり思い出話に花が咲くのも通夜の見慣れた様子だ。
淡路島の公演で手伝いを申し出てきた女の子に「お茶子やってもらおうか」と言ったら、淡路島では「おちょこ言うたら女のあそこのことで大騒ぎやった」と、ここでもまたまた下ネタ。
もっとも”おちょこ”は淡路島だけではなく僕が育った大阪周辺でも言っていたと思う。
そして師匠の最後の落語やと、演題「らくだ」に出てくる死者のかんかん踊りをやらかす。
それを見守る橋鶴の妻である志津子(富司純子)の表情などもあって、唯一泣ける場面だった。
このカンカン踊りでは橋鶴の長門裕之が立たされて、皆が服を脱ぐために手を離したので一人で立っているように見え志津子が驚き気絶してしまう愉快なシーンがある。
そして生き返ったかのような立ち姿の橋鶴が踊らされると、やがて一瞬目が開きステップを踏んで皆と踊る。
幻想シーンとしては亡くなった志津子が舞いそれを弟子たちが固まって見る場面や、最後の連なっての大はしゃぎでは同じく亡くなった橋鶴や橋次も一瞬登場する。
映画における演出の妙だ。
元鉄工所の社長(堺正章)が登場してからは、学生時代を思い出す懐かしい艶歌合戦となる。
いわゆる春歌で「チンポ、チンポといばるなチンポ、チンポオメコの爪楊枝」「オメコ、オメコと威張るなオメコ、おめこチンポの植木鉢」などとやり合う。
それに女優陣も加わり大はしゃぎで、昔はこんな宴会をやったもんだと懐かしくなった。
橋次の葬式に弔問客としてセリフなしで桂三枝(現文枝)、笑福亭鶴瓶、浅丘ルリ子、米倉涼子、中村勘三郎が実名で登場するのはお愛嬌。
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