ささやんの週刊X曜日ーー号外ーー

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

「無ネタの刑」か、「自由の刑」か

2020-08-01 12:17:18 | 日記
朝、目覚めると「きょうのブログは何を書こうか」とかんがえる。そういう思いが自ずと頭に浮かんでくる。ブログを始めてはや5年。ブログ記事について思いをめぐらせるのが、すっかり私の習性(ならいしょう)になってしまった。

ネタが降ってきたときは良い。だが、あれこれ思いをめぐらしても、ネットの森を渉猟しても、それでもネタが浮かばないときは、それから地獄の時間が待っている。うんうん唸って汗水をたらし、・・・さながら便秘のときの苦しみとでも言おうか。なんで自分はこんな苦痛に耐えなければならないのか、仕事でもないのに。せっかく現役を引退したというのに・・・。

その答えは、今朝がた目を通したブログ記事の中に待っていた。「団塊シニア」さんのブログである。

「毎日やることがなく困っている、一番自由な今が一番しんどい、家で居場所がない、暇になったのにあせる、このままの毎日が続くと思うと、自分の人生は何だったのかと思うときがある、ある雑誌に書かれていた定年退職者の声である。 さらに図書館、ショッピングセンター、スポーツジム、喫茶店にいる定年退職者と思われる人を見てると誰もが『ひとりぼっちでさみしそう』退職することによって生まれた時間をどのように過ごしてよいのかわからずに戸惑っている人が少なくないという記事であった。」

そうなのだ。ブログ書きを止めれば、私は「ある定年退職者」と同様、暇を持て余し、そのことに苛まれることになるだろう。フランスの哲学者サルトルは「人間は自由の刑に処せられている」と言ったが、私は「無ネタの刑」から解放されれば、あり余る自由を持て余し、「自由の刑」に苦しむことになる。

人は出来ることしか望まない。出来る範囲で「もっと」を望む。もし私が脳出血を患わず、片麻痺の身体にならなかったら、そして、街の中を自由に歩き回ることができたなら、私は図書館、ショッピングセンター、スポーツジム、喫茶店、等々と、あてどなく街をさまよい、そして・・・充たされない心で家に帰ってくる、そんな味気ない毎日を送っていただろう。

そういうあれこれをかんがえると、自室で「無ネタの刑」に苦しみ、うんうん唸っているほうがまだマシのようにも思えてくる。

今朝がた、起き抜けに「団塊ジュニア」さんのブログを読み、私は「おっ、これは一挙両得だ」と小躍りした。何がそんなに私を喜ばせたのか、だって?一つは、「無ネタの刑」に慰めが得られたこと。もう一つは、ネタが見つかったこと、それである。
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