ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

デイサを止めた理由(わけ)

2023-07-28 14:58:53 | 日記
私は無分別で、かなり飽きっぽい、短気な性格の人間だと思われているらしい。「**さんはいくつものデイサをすぐに止めてしまったようだから、ウチもすぐに止めてしまうのではないか」と案じている人がいることを知った。


たしかに、この心配は半分は当たっている。「デイサ通所は5年、10年が当たり前」という感覚からすれば、これまで1年足らず、あるいは数カ月でデイサ通いを止めてきた私は、いかにも「すぐに止める利用者」の典型に属する。「今のデイサもすぐに止めるのではないか」と思われてしまうのも、当然かもしれない。


これまでの私のデイサ遍歴は、ケアマネさんが書類か何かを調べれば分かるのだろうが、こうした私のデイサ遍歴には、だが、どれもそれなりの理由がある。私は決して無分別に、あるいは短気を起こして止めたのではない。すべてのケースについて、釈明をしたいと思う。




私が脳出血に倒れ、救急病院に担ぎ込まれたのは、2011年の東日本大震災の日のことだった。半年のリハビリ病院暮らしを終え、最初に通所したのは、谷**地区にある「そ***」という老健施設だった。リハビリ病院の充実したリハビリ・メニューに馴染んだ身体からすれば、この老健施設のリハビリ・メニューは恐ろしくお粗末だった。そのお粗末ぶりは、ヨシモトのコント並みといえる。


たとえば、最初の日に杖を使って10m歩いたとしよう。「疲れましたか?」とスタッフのPTさんが尋ねる。「はい」と私は答える。すると、翌日は「きょうは半分にしておきましょう」と言って、5mの歩行距離になる。「疲れましたか?」、「はい」。それで次の日は2.5mとなり、こんな具合に歩行距離がどんどん短くなっていって、そのうちほとんど歩かなくなる。


リハビリ病院の充実したリハビリ・メニューで、私の脚力はかなり鍛えられたが、この老健施設のお粗末なリハビリを受けていた頃、私の脚力は最悪のレベルまで退化してしまっていた。半歩あるいただけで、息はゼイゼイ、足元はヨロヨロ、といった具合なのである。


呆れたのはそれだけではない。この老健施設では、昼食後のある時間になると、全員の25名ほどが円陣を組んで着座させられた。それで何をやらされるのかというと、ボールの受け渡しとか、あとはよく憶えていないが、チーチーパッパの幼稚園児のお遊戯みたいで、私にはこの「幼稚園児扱い」も堪えられなかった。


私はケアマネさんに「一刻も早くこの老健施設を止めたい」と訴え、別のリハビリ施設に移ることにした。それでもこの老健施設には、2ヶ月ぐらいは通ったと思う。楽しかった思い出は、全くない。


次に通ったのは、「本格的なリハビリ施設」ということで有名な大**地区の「ビー**」だった。このデイサは、マシーンが揃い、PTさんが個別ベッドでマッサージの施術をしてくれるなど、個々のメニューは充実していたが、反面、各メニュー間の(杖歩行での)移動が、私にはひどく難儀だった。私のような片麻痺の利用者は全く想定していないようだった。


ある時期、このデイサ「ビ***」は全面的な模様替えを行い、移動をするのに段差を越えなければならなくなるなど、杖歩行での移動の難度が格段に上がってしまった。移動時の見守りもなく、私はこのデイサのレベルについて行けなくなった。完全なお手げである。ギブアップ、――それがこのデイサを私が止めた理由である。移動時に転倒したらどうしよう、と、私は身の危険を感じたのである。止めたくて止めたわけではない。


次に私が通うようになった竹*地区のデイサ「レ******」は、第一の老健施設と第二のリハビリ・デイサとのちょうど中間ぐらいの身体の負担の度合いで、私には最適だった。しかもこのデイサは一つの時間帯の利用者数が7〜8人とこぢんまりしており、アット・ホームな雰囲気だった。感じの良いデイサだったが、では、私はなぜこのデイサを止めてしまったのか。


1にも2にも妖怪コロナのせいである。本ブログの過去ログを読んでもらえば分かるが、妖怪コロナが蔓延しはじめてから、私は、このデイサへの通所を一時中断し、模様眺めに転じた。毎日毎日、感染者数の推移を記録し、「そのうちコロナ禍が治まったら、通所を再開しよう。早く再開したいものだ」と考えていた。


ところがである。この「レ*******」への通所を見合わせている間に、私の身体はかなり筋力が衰え、バランス感覚も悪くなっていたのだと思う。ある日、私は自宅で転倒し、大腿骨を骨折して筑波記念病院への入院を余儀なくされたのである。


デイサ「レ******」への通所を止めたのは、私が望んだことではない。私の短慮のせいでも短気のせいでもなかったことは、お分かりいただけるだろう。


だから、今のデイサもよほどのことがない限り、私に止める気がないことも、お分かりいただけるだろう。




最後に、拙い川柳を何句か。


ジジイにはもったいないですアラフィフは
マスクマジックよりずっと強烈素顔マジック
マスクにはマジックありとなしとあり、マジックなしには無反応の我なり


コメント
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