ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

嫉妬について

2023-07-19 13:43:08 | 日記
今は昔、かれこれもう10年以上も前になる。私が脳出血で倒れ、リハビリ病院に入院していた頃、職場の同僚のTくんが見舞いに来てくれたことがある。Tくんは私より5歳年下だが、ほぼ同じ専攻で、助教授になったのも教授になったのもだいたい同じ頃だったから、友達のような存在で、研究室を行き来しながら、よくバカ話をする間柄だった。


私が定年でリタイアしてから、2年あまりが経っていた。よもやま話をするうち、話題は今の職場はどんな具合か、という話になった。
「Kはどうしている?」
私が訊くと、「どうして?」とTくんが問い返す。Kは私とは専攻は別だったが、Tくんとは同年代だった。口達者な彼は、テレビでしばしばコメンテーターを務めるなど、華々しく活躍していた。
「いや、あの男のことは少し気になっているのだ。ジェラシーなのかもしれないが」
私が言うと、Tくんはちょっとびっくりした顔をした。
「え、ジェラシーですか? Kなんて、学会の評価はそれほど高くないし、外見だってはげ頭の爺さんといった感じじゃないですか」


そこで私は、Tくんにこんなことを話した。


問題は、Kと私が同じものを奪い合う仲だったということだ。地位でも女でも名誉でもいい。私が欲しいものを、Kはことごとく手に入れているように私には思えたのだ。ジェラシーとは、同じものを求めて競い合うライバルの間に生じる、ネガティブな感情ではないだろうか。


「ふうん、そういうものですかね」
納得できない、という顔をして、Tくんは病室のドアをゆっくりと開け、うつむき加減に帰っていった。


早いもので、あれから10年以上の年月が経つ。私のもとにTくんからメールが届いたのは、ついきのうのことだった。こんな文面だった。


「お元気ですか。僕は定年で職を離れ、今はデイサービス通いをしています。退職してしばらくは自由気ままにぶらぶらしていたのですが、そのうち老化のためか、何かと生活に支障をきたすようになり、古女房が迷惑顔を見せるようになったので、ケアマネさんの勧めに乗り、今は近所のデイサービス施設に週2回ほど通う生活です。


Sさん、あなたはあのリハビリ病院の一室で、10年前、僕に言ったことを覚えておいでですか。少し時間はかかりましたが、僕はあなたの卓見につくづく恐れ入った次第なのです。
実を言うと、職を離れて2年ほどの間、意外なことに、僕はよくあのKのことを夢に見るようになったのです。後味の悪い夢で、いつも寝汗をかいていました。そして気づいたのです。僕もSさんと同じように、Kに対してジェラシーを感じていたことに。いやぁ、あなたの卓見には恐れ入りましたよ。


ですが、きょうこうしてメールを差し上げるのは、そのことではありません。そんなことがあってから、ジェラシー、嫉妬の感情というものにだいぶ意識的になった僕は、最近、こんな感情にとらわれて、ひどく苦しむようになったのです。


最近僕は、前に言ったように、週に二回ほど近所のデイサービスに通っています。そこでその感情は襲ってくるのです。そのデイサービスでは、施設に着くとすぐ、バイタルチェックが行われ、若い美人の看護師さんが血圧を測るために回ってきます。そのときです。その看護師さんは、血圧を測りながら、ときには老人たちの何人かと言葉を交わしたり、笑顔を見せたりするのです。それを見て、僕の胸は高鳴り、苦しくなって、ううっと大声を出して呻きたくなるのです。これは嫉妬の感情に違いないと僕は思うのですが、Sさん、あなたはこの感情をどう説明しますか。


あなたの説明通りだとしますと、僕も、僕と同じテーブルの爺さんたちも、若い美人の看護師さんという『同じもの』を求めて競り合うライバルだということになるのでしょうか。
ですが、僕は別にあの老いぼれの爺さんたちを、自分と対等のライバルだとは思っていないのです。傍から見れば、僕も爺さんたちも似たり寄ったりの老いぼれなのでしょうが、僕は気持ちの上では、自分が彼らに劣っていると感じたことは一度もありません。
ライバル意識がないのに、彼女が僕に振り向いてくれなかった、口をきいてくれなかったというだけで、胸が苦しくなる。逆に少しでも笑顔を見せてくれただけで、僕の胸は喜びに高鳴るのです。


何のことはない、僕は恋をしてしまったのです。恋とは、相手を自分だけのものにしたい、独り占めしたい、という、独占欲と紙一重の感情ではないでしょうか。そして嫉妬とは、この感情のネガティブな側面ではないでしょうか。
恋をしてしまった人間の常として、僕は自分の恋心を誰かに打ち明けたくてしょうがありません。その一念から、僕はこのメールを書いた次第です。
ですから本メールは、ご笑覧の上、ご不快でしたらどうぞご放念ください。
失礼しました。どうぞご自愛ください。


*月*日 T拝」

コメント
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