おはようございます!
と、今日は日曜日に手にいれてきたアップルティーをずびびと飲んで、
「朝のアップルティー、最高!」
と感じながら、つらつら書いているわけです。
アップルの香りが、やさしさを感じさせますね。
まあ、香り系は、僕も若い頃にいろいろ手をだして、お香をたいたり、
いろいろやりましたが、さすがに最近はね(笑)。
まあ、家人にいろいろ迷惑がられるのも、問題だしね(笑)。
火事とかの心配になったりするし(笑)。
まあ、アップルティーくらいの、こう、ふわっと立ち上るくらいの香りが好きですね。
確実にモチベーションがアップするし、気分もいいですしね。
そんなさわやかな気分で、今日もゆるゆると、論考に入っていきますかね。
ま、
「ひねもすのたりのたりかな」
の春ですしね。ま、日々リアルに忙しいけど、気持ちだけは、そんな感じで、行きたいものです。
さて、ここからは、司馬遼太郎氏の名著「翔ぶが如く」をテキストに、語っていこうか、と思います。
まあ、事実を端的に表現しているところと、司馬氏のストーリーテリングの部分に分かれていますから、
事実を追うのに便利だし、司馬氏の考えもわかりますからね。
まあ、西郷を追いながら、司馬氏も同時に追う形になりますかね。
さて、薩摩は若者達が暴発してしまい、
「あとは、いくさ、しかない」
という状況になりました。まあ、これについて、
「大久保による詰将棋だ。既に詰んでいる」
と僕は指摘しましたが、まあ、そのことについて、おもしろい話があります。
鹿児島県士族、野村綱の件です。
このひとは、
「大久保から直接、西郷暗殺、火薬庫爆破を頼まれた!」
と供述しているひと、なんですね。
まあ、このひと、大久保に頼まれたはいいが、薩摩についたら、ビビって薩摩側に自首しちゃった人間ですからね(笑)。
この時の供述で、野村によると、大久保は、
「鹿児島の気風は熱しやすく冷めやすい。私学校が暴発するのは、二月か三月頃だろう」
と観測し、
「すでに陸軍省では、鹿児島の火薬庫にある弾薬などを他に運ぶ手はずになっている」
としています。もちろん、この火薬運び出しが若者暴発の直接的な原因のひとつになっているわけですが、
これは、どう考えても、政府側の仕掛けた挑発ですよね。
そして、大久保は野村に、
「薩摩暴発時に、連絡をいれてほしい」
と頼んだ、というのです。つまり、大久保の中では、薩摩暴発は、この時点で予定事項になっている、という事実がわかるわけです。
そして、大久保は、
「暴発の節には、自ずから大小為すところあるべし」(原文まま)
と言ったそうです。この時、野村がその大小という表現について、考えついたのが、
「西郷を殺し、火薬庫爆破だ」
と言う事なんですね。
そして、大久保は、川路が鹿児島へ向けて発した諜者としての警部達の名前リストを野村に渡しているわけです。
これについて、司馬氏は、
「大久保が川路と一つ腹であることがわかるし、必要とあれば、西郷暗殺も任務に入っていたことがわかる」
としています。これによって、実際に暗殺目的だったのだ、と司馬氏は言っているのですが、
やはり、考え方が、めっちゃ浅いなあ!と言わざるをえません。
まず、大久保と川路が一つ腹だ、という指摘ではなく、ここは、どちらからどちらへ命令が行っているかを説明しないといけないでしょう。
どうも、司馬氏は、川路が率先して事を運び、大久保は追認していた、程度に表現していますが、
それは、川路を悪人とし、大久保を悲劇のひととして描きたい大衆作家としての司馬氏だから、そうなっているだけなのだ!と思います。
この「翔ぶが如く」の執筆動機は、「大久保の評価」というものが、大きいと考えますから、どうしてもそういう構造にならざるを得ないのです。
つまり、事実でなく、やはり、目的を持って綴られたストーリーの悪いところが出てしまうのです。
大久保の中で、薩摩暴発が予定事項になっているところから、どう考えたって、大久保が論考し、川路に命令をくだしている、と考えるのが、自然でしょう。
もちろん、川路も相当論考し、大久保と同じ程度の論考者になっていると思います。でなければ、自信を持って、諜者を放ったりはできません。
しかも、当人達を、やる気意識満々にさせているわけですからね。
そして、もうひとつ、西郷暗殺が任務に入っている、としていますが、大久保も川路も
「彼らには、それはできないだろう」
と見切っていただろう、ということが論考できます。
薩摩で暴発が起こったら、まず、西郷が頼りにされますから、彼の保護、というのは、迅速に行われるはずです。
薩軍としては、唯一無二の玉ですからね、西郷は。
そんな状態で、こんな薩摩にきただけで、ビビって自首してしまうような人間が、西郷を暗殺なんて、できるわけがないのです。
さらに大久保が、この野村のビビリ癖すら、計算に入れていた、と考えれば(入れていたでしょうね(笑))、
野村は、西郷以下、薩摩士族を激怒させるために大久保から直接送られた、精神的刺客だ、と言えるのです。
大久保が、どこまで、すごい論考者だったか、その凄みが、よくわかる話です。
そこまで、考えて、ストーリーを編まないと、僕みたいな、こんな一ブロガーから、
「人間がわかってない。考えが足りない」
と簡単に指摘されることになるのです。
西郷は、この野村綱の証言を伝えられた時、大山綱良の証言によれば、
「本来、火薬取寄せの事は、内務卿の職掌外のことである」
と、言い、
「それを大久保が指示しているとなると、今度の事件(刺客事件)は、川路だけでなく、大久保も委細承知していたことになる」
と言ったということになっています。
まあ、西郷は一大憤慨した、ということですが、まあ、当然でしょう。詰将棋を仕掛けられたのですからね。
彼は、薩摩士族を削除に来た、大久保を知り、その最後まで、わかっていたから、一大憤慨したのです。
大久保の思い通り、ということです。
さて、その後、私学校本局において、大評定が行われるわけです。
集まったのは、二百数十人だそうで、大幹部の他、区長、分校の校長、近衛の将校などだそうです。
そして、壇上に西郷を始めとした大幹部が並び座り、いろいろ協議したわけです。
このとき、主戦論、西郷単独上京論、その他が出たそうですが、結局、大挙東上論に決するわけです。
まあ、いろいろに表現される、この場面ですが、僕が、取り上げてみたいのは、西郷の態度とその言葉についてです。
西郷は、ほとんど言葉を発せず、ただ、議論のなりゆきに任せ、そして、主戦論に決すると、
「自分はなにも言う事はない。一同がその気であれば、それでよいのである。自分はこの体をさしあげますから、あとはよいようにしてくだされ」
と言ったそうです。
この西郷の態度について、司馬氏は永山弥一郎というキャラクターを借りて、その口から、
「あなたが一個の丈夫なら、ひとりで東京にいくべきであり、それが筋である」
と言わせています。これは、
「大久保のやり口がひどすぎる。今の政府はだめだ」
という意見表明をすればよい、ということを言っているわけですが、
それは、単に
「大久保と川路が、西郷を暗殺しようとした。西郷は、それに激怒している」
というストーリーで、西郷を見ているから出てくるセリフであって、いかにストーリー全体が見えていないか、だだわかりになっています。
このストーリーは、大久保が薩摩士族削除のために仕掛けた詰将棋であり、それを西郷が理解したからこそ激怒した、というストーリーなのです。
個人的に、殺されそうになったから怒っているなんて、そんなちんけなレベルの話では、まったくないのです。
ここにも、司馬氏のストーリーの理解できてないぶりが、現れていて、ちょっと困ってしまいます。
西郷は、
「薩摩士族の運命は決まった。あとは、彼らが満足するような戦さという祭りをさせてあげよう。もう、俺の人生には、考える事など、しゃべる事など、必要ない」
と見切ったからこそ、何もしゃべらず、ただ、黙っていたのです。薩摩士族のその最後がわかっていたから。
だから、
「自分は何も言うことはない」
と言うし、
「一同その気であれば、よいのである」
という言葉になるし、
「自分はこの体をさしあげますから、あとはよいようにしてくだされ」
という言葉に、つながってくるのです。
ほら、ぴたっと、つながったでしょ。
司馬氏は、このセリフがなぜ出てきたのか、理解できなかったらしいことがわかります。
これだけ、この西南戦争の開始を告げる大事な「西郷の言葉」なのに、何の解説もなく、
ただ、
「彼が言ったことは、・・・ということだけだった」
という表現でさらっと終わらせています。そうです。うまく説明できないから、解説から、逃げたのです。
僕は、このセリフこそ、西郷の悲劇性を表していると考えています。
彼はわかっていたのです。このあと、薩摩士族が削除されることを。しかし、それを言ったところで、運命は変えられないことは西郷が一番よく知っていた。
だからこそ、せめて、華やかな死を与えようと、何の言葉も発しなかったのです。
そして、
「一同その気であれば、よいのである」
と言ったのです。西郷の素直な感情の現れだと、見ることができるでしょう。
少なくとも司馬氏は、このセリフについて、逃げています。それに対して僕は、しっかりと説明できています。
どちらが、正しい理解をしているか、だだわかりだと、思いますね。
いやあ、論考楽しいですね。
もう、毎日のように、いろいろわかっちゃうし、もう、司馬氏なぞ、お釈迦様の手の上で弄ばれている感じですからね。
確か司馬氏の言葉だったと思うんですけど、
「釈迦は、不親切だ。しあわせになる方法をしっかり記していない。悟りを開けなんて、わからん」
とか、言ってるわけです。
何を言ってるんでしょうね。悟りを開くとは、物事の本質を見極めろ!ってことでしょ!
世界の本質を見極めろ!ということでしょ。
そして、世界の本質は、生物学的に言っても、経験的に言っても、「競争」ですよ!
いかに自分のしあわせを確保するか、いかに家族のしあわせを確保するか、その「競争」でしょ!
そんな簡単なことすら、考えられないから、結局、手のひらの上で弄ばれちゃうんですよ。
典型的な、
「俺偉い」病にかかった、
思考停止者の症状です。
ま、司馬氏のレベルも、ずんどこわかってしまったので、今後は、そういう目で見ることにします。
いやー、自分の目で、しっかりと見極めるって、大切だね!
なーんだ、こんな低レベルとは、考えもしなかった。素直に本質を見極める目って、大事だね!
と、今日もたくさん書いてしまいました。
ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。
また、次回、薩軍、東上開始!の回で(そんな回か?(笑))、お会いしましょう!
ではでは。
と、今日は日曜日に手にいれてきたアップルティーをずびびと飲んで、
「朝のアップルティー、最高!」
と感じながら、つらつら書いているわけです。
アップルの香りが、やさしさを感じさせますね。
まあ、香り系は、僕も若い頃にいろいろ手をだして、お香をたいたり、
いろいろやりましたが、さすがに最近はね(笑)。
まあ、家人にいろいろ迷惑がられるのも、問題だしね(笑)。
火事とかの心配になったりするし(笑)。
まあ、アップルティーくらいの、こう、ふわっと立ち上るくらいの香りが好きですね。
確実にモチベーションがアップするし、気分もいいですしね。
そんなさわやかな気分で、今日もゆるゆると、論考に入っていきますかね。
ま、
「ひねもすのたりのたりかな」
の春ですしね。ま、日々リアルに忙しいけど、気持ちだけは、そんな感じで、行きたいものです。
さて、ここからは、司馬遼太郎氏の名著「翔ぶが如く」をテキストに、語っていこうか、と思います。
まあ、事実を端的に表現しているところと、司馬氏のストーリーテリングの部分に分かれていますから、
事実を追うのに便利だし、司馬氏の考えもわかりますからね。
まあ、西郷を追いながら、司馬氏も同時に追う形になりますかね。
さて、薩摩は若者達が暴発してしまい、
「あとは、いくさ、しかない」
という状況になりました。まあ、これについて、
「大久保による詰将棋だ。既に詰んでいる」
と僕は指摘しましたが、まあ、そのことについて、おもしろい話があります。
鹿児島県士族、野村綱の件です。
このひとは、
「大久保から直接、西郷暗殺、火薬庫爆破を頼まれた!」
と供述しているひと、なんですね。
まあ、このひと、大久保に頼まれたはいいが、薩摩についたら、ビビって薩摩側に自首しちゃった人間ですからね(笑)。
この時の供述で、野村によると、大久保は、
「鹿児島の気風は熱しやすく冷めやすい。私学校が暴発するのは、二月か三月頃だろう」
と観測し、
「すでに陸軍省では、鹿児島の火薬庫にある弾薬などを他に運ぶ手はずになっている」
としています。もちろん、この火薬運び出しが若者暴発の直接的な原因のひとつになっているわけですが、
これは、どう考えても、政府側の仕掛けた挑発ですよね。
そして、大久保は野村に、
「薩摩暴発時に、連絡をいれてほしい」
と頼んだ、というのです。つまり、大久保の中では、薩摩暴発は、この時点で予定事項になっている、という事実がわかるわけです。
そして、大久保は、
「暴発の節には、自ずから大小為すところあるべし」(原文まま)
と言ったそうです。この時、野村がその大小という表現について、考えついたのが、
「西郷を殺し、火薬庫爆破だ」
と言う事なんですね。
そして、大久保は、川路が鹿児島へ向けて発した諜者としての警部達の名前リストを野村に渡しているわけです。
これについて、司馬氏は、
「大久保が川路と一つ腹であることがわかるし、必要とあれば、西郷暗殺も任務に入っていたことがわかる」
としています。これによって、実際に暗殺目的だったのだ、と司馬氏は言っているのですが、
やはり、考え方が、めっちゃ浅いなあ!と言わざるをえません。
まず、大久保と川路が一つ腹だ、という指摘ではなく、ここは、どちらからどちらへ命令が行っているかを説明しないといけないでしょう。
どうも、司馬氏は、川路が率先して事を運び、大久保は追認していた、程度に表現していますが、
それは、川路を悪人とし、大久保を悲劇のひととして描きたい大衆作家としての司馬氏だから、そうなっているだけなのだ!と思います。
この「翔ぶが如く」の執筆動機は、「大久保の評価」というものが、大きいと考えますから、どうしてもそういう構造にならざるを得ないのです。
つまり、事実でなく、やはり、目的を持って綴られたストーリーの悪いところが出てしまうのです。
大久保の中で、薩摩暴発が予定事項になっているところから、どう考えたって、大久保が論考し、川路に命令をくだしている、と考えるのが、自然でしょう。
もちろん、川路も相当論考し、大久保と同じ程度の論考者になっていると思います。でなければ、自信を持って、諜者を放ったりはできません。
しかも、当人達を、やる気意識満々にさせているわけですからね。
そして、もうひとつ、西郷暗殺が任務に入っている、としていますが、大久保も川路も
「彼らには、それはできないだろう」
と見切っていただろう、ということが論考できます。
薩摩で暴発が起こったら、まず、西郷が頼りにされますから、彼の保護、というのは、迅速に行われるはずです。
薩軍としては、唯一無二の玉ですからね、西郷は。
そんな状態で、こんな薩摩にきただけで、ビビって自首してしまうような人間が、西郷を暗殺なんて、できるわけがないのです。
さらに大久保が、この野村のビビリ癖すら、計算に入れていた、と考えれば(入れていたでしょうね(笑))、
野村は、西郷以下、薩摩士族を激怒させるために大久保から直接送られた、精神的刺客だ、と言えるのです。
大久保が、どこまで、すごい論考者だったか、その凄みが、よくわかる話です。
そこまで、考えて、ストーリーを編まないと、僕みたいな、こんな一ブロガーから、
「人間がわかってない。考えが足りない」
と簡単に指摘されることになるのです。
西郷は、この野村綱の証言を伝えられた時、大山綱良の証言によれば、
「本来、火薬取寄せの事は、内務卿の職掌外のことである」
と、言い、
「それを大久保が指示しているとなると、今度の事件(刺客事件)は、川路だけでなく、大久保も委細承知していたことになる」
と言ったということになっています。
まあ、西郷は一大憤慨した、ということですが、まあ、当然でしょう。詰将棋を仕掛けられたのですからね。
彼は、薩摩士族を削除に来た、大久保を知り、その最後まで、わかっていたから、一大憤慨したのです。
大久保の思い通り、ということです。
さて、その後、私学校本局において、大評定が行われるわけです。
集まったのは、二百数十人だそうで、大幹部の他、区長、分校の校長、近衛の将校などだそうです。
そして、壇上に西郷を始めとした大幹部が並び座り、いろいろ協議したわけです。
このとき、主戦論、西郷単独上京論、その他が出たそうですが、結局、大挙東上論に決するわけです。
まあ、いろいろに表現される、この場面ですが、僕が、取り上げてみたいのは、西郷の態度とその言葉についてです。
西郷は、ほとんど言葉を発せず、ただ、議論のなりゆきに任せ、そして、主戦論に決すると、
「自分はなにも言う事はない。一同がその気であれば、それでよいのである。自分はこの体をさしあげますから、あとはよいようにしてくだされ」
と言ったそうです。
この西郷の態度について、司馬氏は永山弥一郎というキャラクターを借りて、その口から、
「あなたが一個の丈夫なら、ひとりで東京にいくべきであり、それが筋である」
と言わせています。これは、
「大久保のやり口がひどすぎる。今の政府はだめだ」
という意見表明をすればよい、ということを言っているわけですが、
それは、単に
「大久保と川路が、西郷を暗殺しようとした。西郷は、それに激怒している」
というストーリーで、西郷を見ているから出てくるセリフであって、いかにストーリー全体が見えていないか、だだわかりになっています。
このストーリーは、大久保が薩摩士族削除のために仕掛けた詰将棋であり、それを西郷が理解したからこそ激怒した、というストーリーなのです。
個人的に、殺されそうになったから怒っているなんて、そんなちんけなレベルの話では、まったくないのです。
ここにも、司馬氏のストーリーの理解できてないぶりが、現れていて、ちょっと困ってしまいます。
西郷は、
「薩摩士族の運命は決まった。あとは、彼らが満足するような戦さという祭りをさせてあげよう。もう、俺の人生には、考える事など、しゃべる事など、必要ない」
と見切ったからこそ、何もしゃべらず、ただ、黙っていたのです。薩摩士族のその最後がわかっていたから。
だから、
「自分は何も言うことはない」
と言うし、
「一同その気であれば、よいのである」
という言葉になるし、
「自分はこの体をさしあげますから、あとはよいようにしてくだされ」
という言葉に、つながってくるのです。
ほら、ぴたっと、つながったでしょ。
司馬氏は、このセリフがなぜ出てきたのか、理解できなかったらしいことがわかります。
これだけ、この西南戦争の開始を告げる大事な「西郷の言葉」なのに、何の解説もなく、
ただ、
「彼が言ったことは、・・・ということだけだった」
という表現でさらっと終わらせています。そうです。うまく説明できないから、解説から、逃げたのです。
僕は、このセリフこそ、西郷の悲劇性を表していると考えています。
彼はわかっていたのです。このあと、薩摩士族が削除されることを。しかし、それを言ったところで、運命は変えられないことは西郷が一番よく知っていた。
だからこそ、せめて、華やかな死を与えようと、何の言葉も発しなかったのです。
そして、
「一同その気であれば、よいのである」
と言ったのです。西郷の素直な感情の現れだと、見ることができるでしょう。
少なくとも司馬氏は、このセリフについて、逃げています。それに対して僕は、しっかりと説明できています。
どちらが、正しい理解をしているか、だだわかりだと、思いますね。
いやあ、論考楽しいですね。
もう、毎日のように、いろいろわかっちゃうし、もう、司馬氏なぞ、お釈迦様の手の上で弄ばれている感じですからね。
確か司馬氏の言葉だったと思うんですけど、
「釈迦は、不親切だ。しあわせになる方法をしっかり記していない。悟りを開けなんて、わからん」
とか、言ってるわけです。
何を言ってるんでしょうね。悟りを開くとは、物事の本質を見極めろ!ってことでしょ!
世界の本質を見極めろ!ということでしょ。
そして、世界の本質は、生物学的に言っても、経験的に言っても、「競争」ですよ!
いかに自分のしあわせを確保するか、いかに家族のしあわせを確保するか、その「競争」でしょ!
そんな簡単なことすら、考えられないから、結局、手のひらの上で弄ばれちゃうんですよ。
典型的な、
「俺偉い」病にかかった、
思考停止者の症状です。
ま、司馬氏のレベルも、ずんどこわかってしまったので、今後は、そういう目で見ることにします。
いやー、自分の目で、しっかりと見極めるって、大切だね!
なーんだ、こんな低レベルとは、考えもしなかった。素直に本質を見極める目って、大事だね!
と、今日もたくさん書いてしまいました。
ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。
また、次回、薩軍、東上開始!の回で(そんな回か?(笑))、お会いしましょう!
ではでは。