このお話の舞台となる「月夜野」という街は、以前群馬県にあった、実際の町の名前になります。
今は合併で消滅してしまいました。素敵な町名なのにね・・・。
というわけで、このお話は架空の街、「月夜野」を舞台にしたお話になります・・・。
「だから、俺はあの時言ったんだ。それを・・・」
と、中年の男の声が響く・・・。
「まあ、いい・・・」
と、諦めに近い抑揚の声が聞こえ、やがて、その声は、聞こえなくなった。
まだまだ、残暑の厳しい、9月の中旬の深夜二時過ぎ、介護ヘルパーの姫島ミウ(32)は、自分のアパートの布団で目覚めていた。
悪い夢を見ていた。自分の身体が汗でびっしょり濡れているのがわかる。
「ふう・・・」
と、ミウをため息をつき、置き時計を眺める。二時を少し回ったところ。
「明日も早いけど・・・きっと、飲まないと寝付けないし・・・」
と、ミウは台所でウィスキーの水割りを作る。
台所の椅子に座り、その水割りを口に含む・・・。
「眠っている間だけが、しあわせなんだわ。起きている時のわたしは、不幸そのもの・・・」
と、ミウはため息をつく。
「ずっと眠っていたい・・・朝なんか、永久に来なければいいのに・・・」
と、ミウは言葉にする。
「どこで、間違えちゃったんだろ、あたし・・・」
暗い顔で、ミウは、いつまでも、台所に座っていた。
朝7時、ミウは朝食もとらずに介護ヘルパーの制服を着込んで、アパートを出てくる。
ママチャリに乗ったミウは、ぼうっとした表情で、自転車で10分程の場所にある「朝日ヘルパー」の事務所に赴く。
「おう、姫ちゃんか。なんだか、冴えない表情をしているぞ。まあ、いつものことだけど」
と、所長の竹島(48)がミウに声をかける。
「おっと、そう言えば、姫ちゃんには、渡さなければいけないモノがあったな」
と、竹島は上着の内ポケットから茶色の封筒を出す。
「これ、この間、頼まれていた前借りのお金。実家のお母さんの容態、そんなに悪いのかね・・・まあ、急用の金なら仕方ないけど、結構借金溜まってるからさ」
と、竹島は親切そうな表情で言う。
「返せなくなると、お互い困るだろ。まあ、今回は特別だけど、返済のことも、そろそろ考えておいて、くれよな」
と、竹島は人の良さそうな表情で・・・でも、言うべきはびしっと言うのだった。
「すいません、いつも・・・所長さん」
と、ミウはぺこりと頭を下げる。
「いや、いいんだ。うちもこんな辺鄙な場所で事務所構えているから、あまり給料をあげられてないのも事実だからなー」
と、頭を掻きながら竹島は、ひとの良さそうな表情を見せる。
「じゃ、今日もがんばってな。姫ちゃんは、人一倍身体が小さいから、大変だろうけどな・・・」
と、竹島は言いながら、所長室に消えていく。
「すいません、所長さん・・・嘘を言って・・・」
と、少し悲しそうな表情のミウは口の中でつぶやく。
「でも、今を乗り切れれば・・・返す当てはなんとか・・・」
ミウは何かを期すような表情で、所長室の入り口を見つめていた。
「山田さん、おはようございます。朝日ヘルパーの姫島です」
と、ミウは一軒家の玄関先で大声を出す。
「おお、姫島さん。いつもすまないねえ、ほら、おとうちゃん、病院に行くよ」
と、山田さん(76)の奥さんが玄関を開けてくれる。
「おとうちゃん、早く・・・おとうちゃんのお気に入りの姫島さんが来てくれてるんだから」
と、山田さんの奥さんは山田さんをせかすように言う。
「おお・・・ちょっとトイレに行っとったもんだから・・・と、待ってくれよ」
と、腰を悪くしている山田さんはゆっくりと玄関に近寄ってくる。
「あせらないでいいですから。まだ、時間はたっぷりありますから」
と、ミウは車椅子を持ちながら、笑顔で山田さんに言う。
「姫島さんはいつもいい笑顔で・・・べっぴんさんだし、こちらまで気分がよくなるねえ」
と、山田さんの奥さんが言ってくれる。
「いいえ・・・はい、山田さん、気をつけて・・・」
と山田さんを車椅子に乗せたミウは、車椅子を車椅子送迎用ワゴンの後ろにつける。
ミウがワゴンの後ろの扉を開けると、ワゴンからガイド板を出し、地面に設置させ、車椅子をワゴンに乗せるガイドとする。
そして、今度はワゴンの中から車椅子回収用の2本のベルトを伸ばし、車椅子にセットし、ミウが回収スイッチを押すと、
車椅子は山田さんを乗せたまま、静かにゆっくりとワゴンの内部に回収されていく。
車椅子がワゴン内部に回収されたら、車椅子を固定器具で車内にしっかり固定し、扉を閉めて、ミウの運転する車椅子送迎車は、病院に出発する準備が出来たのだった。
「じゃ、行きましょうか」
と、ミウが助手席に座る山田さんの奥さんに確認すると、
「はい。よろしくお願いします」
と頭を下げる山田さんの奥さんだった。
ミウは、さらに真剣な表情で車を病院に向け発進させるのだった。
「ただ今、戻りました・・・」
と、午後9時頃「朝日ヘルパー」の事務所に戻ってくると、何人かの同僚が待機所に座り、タバコを吸いながら談笑していた。
「姫ちゃん、今帰り?遅かったなあ?今日は早番だったんだべ?」
と、同僚の柴田アキ(55)が言ってくれる。
「姫ちゃんは、美人だから、ごひいきがおおいんだんべ。なあ、姫ちゃん」
と、同僚の村田ヒロコ(58)が気さくに声をかける。
「そうだが。姫ちゃんにひたむきに介護されたら、やめらんねえべ。ほれ、身体もくっつけてくれるんだから、あそこも何十年ブリにビンビンだが」
と、豊島テルコ(60)が少し下品に笑う。
「そりゃ、そうだがな。はっはっはっは」
と、3人は笑っている。
「姫ちゃん、明日も早番だべ?今おらたち話してたんだけど、明日もし時間があったら、一緒に飲みにいかねーか?美味いもん食って、酒でストレス解消だが」
と、豊島テルコが声をかけてくれる。
「あ、明日ですか・・・明日はちょっと別の用事があって・・・ごめんなさい・・・」
と、ミウは元気なさそうにそう答える。
「そうか・・・まあ、それなら、仕方ねーけど・・・姫ちゃん最近顔色悪いから、心配で・・・」
と、豊島テルコは、心底心配そうな顔をする。
「いや、大丈夫です。今日、少し疲れたのかも・・・」
と、ミウは力なく笑う。
「そうか・・・なんか、心配ごとがある時は、遠慮なく相談してくれていいんだど。ま、出来ることと出来ないことはあっけどよ」
と、豊島テルコはそう話す。
「はい、ありがとうございます・・・今日はお風呂入ってすぐ寝ることにします。明日も早いし・・・」
と、ミウは言うと、
「じゃ、お先です。失礼します!」
と、力の無い笑顔で、ミウはお辞儀をして事務所を出て行く。
「口ではあんな事言ってるけど、要は俺たちのこと、見下してるんじゃねーの?」
と、裏の扉を開けて入ってくるのは、同じく同僚の咲田ヨウコ(30)だった。
「なんか、最初から気に入らなかったんだよ、あいつ。色白の綺麗な顔して、わたしひたむきにがんばりますみたいな風情で・・・」
と、自らも色白の美人なヨウコは言った。
「ああいう女がけっこうすごい事、裏でやったりしているんだよな。嫌いなんだよ。性にあわねー」
と、ヨウコはテルコの横に座るとタバコをぷかぷか吸い始める。
「そんな見た目だけで人を判断してはいけないって、あれほど言ってるだが」
と、テルコはヨウコをたしなめる。
「見た目にこそ、その人間の本質が隠されているもんさ。俺は若い時にそれを知った。だから、俺の勘は当たるぜー」
と、汚いものを見るような目でミウの消えた扉を見つめるヨウコだった。
「あの善良なひとたちに話せることなんて・・・わたしには、ひとつも無いわ・・・」
と、アパートに帰ったミウはウィスキーの水割りをひとり飲みながら、寂しそうに話している。
「重い・・・重くて死にそう・・・ああ、早く酔って、すべてを忘れたい・・・そうしなければ、眠りにさえ、つけやしない・・・」
と、ミウはつぶやいている。
「死にたい・・・でも、死ねない・・・でも、生きる希望もない・・・」
と、ミウは水割りを飲みながらつぶやいている。
「なんで、わたしは、こんなところにいるの・・・なんでわたしは、ひとりぼっちなの・・・」
と、ミウはのたうちまわっている。
「なんで、わたしは、こんな場所に追い詰められてしまったの・・・」
と、ミウはつぶやきながら、少しずつ酩酊していくのだった。
「あの時、あんな事さえ、なければ・・・手を出さなければ、よかったのに・・・」
と、ミウは、酔った頭で、コロリと眠りにつく前に、そんな風につぶやいていた。
32歳の姫島ミウは、パジャマ姿で、布団の中に潜り込み、気持ちよさそうな表情で眠っていた。
その表情は普段見せることがないくらい、しあわせそうな表情だった。
(つづく)
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今は合併で消滅してしまいました。素敵な町名なのにね・・・。
というわけで、このお話は架空の街、「月夜野」を舞台にしたお話になります・・・。
「だから、俺はあの時言ったんだ。それを・・・」
と、中年の男の声が響く・・・。
「まあ、いい・・・」
と、諦めに近い抑揚の声が聞こえ、やがて、その声は、聞こえなくなった。
まだまだ、残暑の厳しい、9月の中旬の深夜二時過ぎ、介護ヘルパーの姫島ミウ(32)は、自分のアパートの布団で目覚めていた。
悪い夢を見ていた。自分の身体が汗でびっしょり濡れているのがわかる。
「ふう・・・」
と、ミウをため息をつき、置き時計を眺める。二時を少し回ったところ。
「明日も早いけど・・・きっと、飲まないと寝付けないし・・・」
と、ミウは台所でウィスキーの水割りを作る。
台所の椅子に座り、その水割りを口に含む・・・。
「眠っている間だけが、しあわせなんだわ。起きている時のわたしは、不幸そのもの・・・」
と、ミウはため息をつく。
「ずっと眠っていたい・・・朝なんか、永久に来なければいいのに・・・」
と、ミウは言葉にする。
「どこで、間違えちゃったんだろ、あたし・・・」
暗い顔で、ミウは、いつまでも、台所に座っていた。
朝7時、ミウは朝食もとらずに介護ヘルパーの制服を着込んで、アパートを出てくる。
ママチャリに乗ったミウは、ぼうっとした表情で、自転車で10分程の場所にある「朝日ヘルパー」の事務所に赴く。
「おう、姫ちゃんか。なんだか、冴えない表情をしているぞ。まあ、いつものことだけど」
と、所長の竹島(48)がミウに声をかける。
「おっと、そう言えば、姫ちゃんには、渡さなければいけないモノがあったな」
と、竹島は上着の内ポケットから茶色の封筒を出す。
「これ、この間、頼まれていた前借りのお金。実家のお母さんの容態、そんなに悪いのかね・・・まあ、急用の金なら仕方ないけど、結構借金溜まってるからさ」
と、竹島は親切そうな表情で言う。
「返せなくなると、お互い困るだろ。まあ、今回は特別だけど、返済のことも、そろそろ考えておいて、くれよな」
と、竹島は人の良さそうな表情で・・・でも、言うべきはびしっと言うのだった。
「すいません、いつも・・・所長さん」
と、ミウはぺこりと頭を下げる。
「いや、いいんだ。うちもこんな辺鄙な場所で事務所構えているから、あまり給料をあげられてないのも事実だからなー」
と、頭を掻きながら竹島は、ひとの良さそうな表情を見せる。
「じゃ、今日もがんばってな。姫ちゃんは、人一倍身体が小さいから、大変だろうけどな・・・」
と、竹島は言いながら、所長室に消えていく。
「すいません、所長さん・・・嘘を言って・・・」
と、少し悲しそうな表情のミウは口の中でつぶやく。
「でも、今を乗り切れれば・・・返す当てはなんとか・・・」
ミウは何かを期すような表情で、所長室の入り口を見つめていた。
「山田さん、おはようございます。朝日ヘルパーの姫島です」
と、ミウは一軒家の玄関先で大声を出す。
「おお、姫島さん。いつもすまないねえ、ほら、おとうちゃん、病院に行くよ」
と、山田さん(76)の奥さんが玄関を開けてくれる。
「おとうちゃん、早く・・・おとうちゃんのお気に入りの姫島さんが来てくれてるんだから」
と、山田さんの奥さんは山田さんをせかすように言う。
「おお・・・ちょっとトイレに行っとったもんだから・・・と、待ってくれよ」
と、腰を悪くしている山田さんはゆっくりと玄関に近寄ってくる。
「あせらないでいいですから。まだ、時間はたっぷりありますから」
と、ミウは車椅子を持ちながら、笑顔で山田さんに言う。
「姫島さんはいつもいい笑顔で・・・べっぴんさんだし、こちらまで気分がよくなるねえ」
と、山田さんの奥さんが言ってくれる。
「いいえ・・・はい、山田さん、気をつけて・・・」
と山田さんを車椅子に乗せたミウは、車椅子を車椅子送迎用ワゴンの後ろにつける。
ミウがワゴンの後ろの扉を開けると、ワゴンからガイド板を出し、地面に設置させ、車椅子をワゴンに乗せるガイドとする。
そして、今度はワゴンの中から車椅子回収用の2本のベルトを伸ばし、車椅子にセットし、ミウが回収スイッチを押すと、
車椅子は山田さんを乗せたまま、静かにゆっくりとワゴンの内部に回収されていく。
車椅子がワゴン内部に回収されたら、車椅子を固定器具で車内にしっかり固定し、扉を閉めて、ミウの運転する車椅子送迎車は、病院に出発する準備が出来たのだった。
「じゃ、行きましょうか」
と、ミウが助手席に座る山田さんの奥さんに確認すると、
「はい。よろしくお願いします」
と頭を下げる山田さんの奥さんだった。
ミウは、さらに真剣な表情で車を病院に向け発進させるのだった。
「ただ今、戻りました・・・」
と、午後9時頃「朝日ヘルパー」の事務所に戻ってくると、何人かの同僚が待機所に座り、タバコを吸いながら談笑していた。
「姫ちゃん、今帰り?遅かったなあ?今日は早番だったんだべ?」
と、同僚の柴田アキ(55)が言ってくれる。
「姫ちゃんは、美人だから、ごひいきがおおいんだんべ。なあ、姫ちゃん」
と、同僚の村田ヒロコ(58)が気さくに声をかける。
「そうだが。姫ちゃんにひたむきに介護されたら、やめらんねえべ。ほれ、身体もくっつけてくれるんだから、あそこも何十年ブリにビンビンだが」
と、豊島テルコ(60)が少し下品に笑う。
「そりゃ、そうだがな。はっはっはっは」
と、3人は笑っている。
「姫ちゃん、明日も早番だべ?今おらたち話してたんだけど、明日もし時間があったら、一緒に飲みにいかねーか?美味いもん食って、酒でストレス解消だが」
と、豊島テルコが声をかけてくれる。
「あ、明日ですか・・・明日はちょっと別の用事があって・・・ごめんなさい・・・」
と、ミウは元気なさそうにそう答える。
「そうか・・・まあ、それなら、仕方ねーけど・・・姫ちゃん最近顔色悪いから、心配で・・・」
と、豊島テルコは、心底心配そうな顔をする。
「いや、大丈夫です。今日、少し疲れたのかも・・・」
と、ミウは力なく笑う。
「そうか・・・なんか、心配ごとがある時は、遠慮なく相談してくれていいんだど。ま、出来ることと出来ないことはあっけどよ」
と、豊島テルコはそう話す。
「はい、ありがとうございます・・・今日はお風呂入ってすぐ寝ることにします。明日も早いし・・・」
と、ミウは言うと、
「じゃ、お先です。失礼します!」
と、力の無い笑顔で、ミウはお辞儀をして事務所を出て行く。
「口ではあんな事言ってるけど、要は俺たちのこと、見下してるんじゃねーの?」
と、裏の扉を開けて入ってくるのは、同じく同僚の咲田ヨウコ(30)だった。
「なんか、最初から気に入らなかったんだよ、あいつ。色白の綺麗な顔して、わたしひたむきにがんばりますみたいな風情で・・・」
と、自らも色白の美人なヨウコは言った。
「ああいう女がけっこうすごい事、裏でやったりしているんだよな。嫌いなんだよ。性にあわねー」
と、ヨウコはテルコの横に座るとタバコをぷかぷか吸い始める。
「そんな見た目だけで人を判断してはいけないって、あれほど言ってるだが」
と、テルコはヨウコをたしなめる。
「見た目にこそ、その人間の本質が隠されているもんさ。俺は若い時にそれを知った。だから、俺の勘は当たるぜー」
と、汚いものを見るような目でミウの消えた扉を見つめるヨウコだった。
「あの善良なひとたちに話せることなんて・・・わたしには、ひとつも無いわ・・・」
と、アパートに帰ったミウはウィスキーの水割りをひとり飲みながら、寂しそうに話している。
「重い・・・重くて死にそう・・・ああ、早く酔って、すべてを忘れたい・・・そうしなければ、眠りにさえ、つけやしない・・・」
と、ミウはつぶやいている。
「死にたい・・・でも、死ねない・・・でも、生きる希望もない・・・」
と、ミウは水割りを飲みながらつぶやいている。
「なんで、わたしは、こんなところにいるの・・・なんでわたしは、ひとりぼっちなの・・・」
と、ミウはのたうちまわっている。
「なんで、わたしは、こんな場所に追い詰められてしまったの・・・」
と、ミウはつぶやきながら、少しずつ酩酊していくのだった。
「あの時、あんな事さえ、なければ・・・手を出さなければ、よかったのに・・・」
と、ミウは、酔った頭で、コロリと眠りにつく前に、そんな風につぶやいていた。
32歳の姫島ミウは、パジャマ姿で、布団の中に潜り込み、気持ちよさそうな表情で眠っていた。
その表情は普段見せることがないくらい、しあわせそうな表情だった。
(つづく)
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