何を今さら言おうとしてるかって言うと…
いや最近、指導をする立場として、
上手になってスクスク成長している生徒やら、荒れて心がすっかりすれちまった学校やら、真面目すぎて心が折れる生徒やら、全く周りの迷惑とか状況とか考えずに(いや、考えたとしてもそれがあり得ないよねって方向に行く感じの)行動する生徒や家族…
そういうのを目の当たりにして、いろいろこちらだって悩んだり戸惑ったり凹んだり、まあもちろんいや~良かったって時もあるんだけど…!
なんとなく、みんなで目に見えて進歩していなかったとしても一緒に練習したり、日々努力して積み上げていくとかってことが、軽んじられているのか、あるいはそんな考えがないというのか…
すぐに結果を求めるというか、その結果までの過程が軽んじられているというか…
具体的に言うと、
普段の練習に出なくても本番には出たい。
仲間に対して上下の関係は作れても横の関係が薄い…一緒に工夫をして試行錯誤していくってよりも、指導する様な関係になりがちって意味。
成果がすぐに出ないとイヤになる。なんでもすぐにできるというものじゃなく、ある程度時間がかかる場合もある、という発想がない。
ちょっとしたことでやる気がなくなったり、自己嫌悪に陥ってしまったりする。
などなど。。。
私自身は、まぁ一応くくりで言うとプロっていう中で仕事はさせてもらっていて、そのプロって言う言葉の呪縛でいろいろ悩んだり苦しんだり、どうやっていけばいいのか迷ったりしたことももちろんあるけど、
今の時点で思うのは、
プロってのは、「結果」がすべて。
結果さえちゃんと出せばいいのだ…と書くと、何だか乱暴だけど、いい意味でも悪い意味でもやっぱり結果がすべてってのがプロの世界なんじゃないかなと。
だから逆に言えば、一緒にやる共演者と当日に初めて会って、パパっとほぼ初見で合わせたんだとしても、商品としてのクオリティーが出せるってことが大切で、その日までにどれほど練習してきたかとか、その人の裏にあるストーリーとか、仲間とどれほど信頼関係があるかとかは、あくまでも付加価値であって、それ自体が問題ではない。
だから、どんなに仲が悪いメンバーだろうと、その本番の最中はそういうことを一切見せず、バチッと決めるってことだし、音楽の意味が分かってなかったとしても、しっかりとそれらしく音を並べることができて、ましてや、その日までぜーんぜん練習してなかったとしても、とにかく本番にちゃんとすることが一番だ。
あー、こう書くとプロって心もなーんもないじゃんって見えるねぇ…。
でも言いたいのはそういうことじゃなくて、まあそれが最低限の基準って事だと思う。
もちろん、ここから芸術とか本当の感動とかそういうことになったら、こんなんじゃあいかん。もっと本質に迫る精神的肉体的なあらゆるものが必要と思うし、私自身だって、こんな味も素っ気もない気持ちでやるのはまっぴらごめんだから、そこにたくさんの付加価値をつけられるように自分の日々があると思っている。
だから、プロってのはそんな味も素っ気もない酷いもんだ!ということを言いたいのではなくて、おそらく基準としてはそういうことだと思う。
一方、アマチュアってのは何だろう?
きっと、プロは上手い、アマチュアはヘタクソ!と思っている人がいっぱいいて、だからこそ、何かの曲でプロの方がヘタだったりするとコテンパンにやっつけてくる玄人はだしのアマチュアもいるし、とにかく上手いヘタが境目と思っている節が絶対ある。
プロは上手くあるべき!アマチュアだから下手でもいい…的なね!
でも、私はたぶんプロとアマの境目はそこじゃないと思うのだ。ようするに本番にある商品価値だけの演奏がコンスタントにできるかどうか、そこに重きがあるのがプロなんだと。
では、アマチュアとは…本番はまあ単なる結果だから、上手くいけばもちろん嬉しいけれど、大切なのはそこではなく、そこへ至るまでの日々の音楽活動そのものに価値を見出している人なのではないかと!!!
アマチュアを日本語訳すると「愛好家」。
なんて良い言葉だ。それにこれほどの贅沢があるだろうか!!!
音楽を愛好するんだよ!!!
愛好ってのは、日々日常いたるところにあるものだと思う。
音楽を聴いて楽しんだり、楽器を演奏して楽しんだり、仲間とのセッションを楽しんだり。
もちろんその楽しみの中には、上手くいかなかったり悩んだり、いろんな葛藤なんかもあるかもしれない。
それも含めて、日々の中で、そんな苦労をしながらも悩みを解決するという過程すら、後から考えたら楽しい素敵な時間となるに違いない。
好きな仲間や気の合う仲間と、音楽を通して時には言い争いもあるかもしれないけど、そうやりながら分かりあえた時にさらにお互いが近づいて一つになっていく…
そういう、とっても素敵な過程そのものを楽しみ、その成果の発表の場として本番ってものがあるわけで、本番に少々事件が起こったとしても、それまでの日々や体験が無駄になるわけではなく、まぁまた次頑張ろうや!と新たなチャレンジの目標を見出して、むしろ楽しく向かっていけばいいわけで…。
これこそ最高!
私としては、例えばアンサンブルなんかでも効率的にというよりは、時間はたっぷりかかってもくたびれはててもいい。それよりも、あーこれでいいなぁ…と思えるところまでやりたいタイプ。そういう意味では本当にアマチュア的。
ただプロの世界では、時は金なり!というか、そういう風に効率悪く無駄に合わせの時間を使ったりするのは、他の人の生活にも響くし、あまり練習しすぎて、コンディションを崩す、というようなことはあってはならないので、そこら辺を考えると、「まあこのへんでいいんじゃね?」「じゃ、こんな感じで」ということになる。
もちろん、ホントにホントにプロフェッショナルな人たちの中には、この「じゃーこんな感じで!」ってだけで、ましてや本番初見であっても、恐ろしく熱いハイクオリティーな演奏をする人たちもいる(むしろ、そういう状況の方が燃える!)ので、必ずしもそれがいけないことではない。とにかく本番に一番いい状態が作れれば、それがプロってもんなんだから!
やり方は問わないのだ。
つまり…
何が言いたいかって言うと、
アマチュアという、音楽を心から楽しむことができる最高の立場である生徒の身分であるのに、プロのような成果主義の方へ来ようとするのは、なんてもったいないのかってことが言いたい!!
プロはそれがお仕事なのよ。泣いても笑っても、好きでも嫌いでも、それがお仕事なのね。
でもアマチュアは、それを存分に楽しんでいいのだ!!
仲間と一見無駄と思える時間も、たくさん合わせて、その中でお互いをよく知ったり、ヘベレケになるまで練習して次の日全然吹けなくなったって、お仕事じゃないから、いいのだ。あー、ちょっとやりすぎちゃった!って自分でちょっと後悔して…それでいいのだ。
だから、練習は出ないけど本番は出たいってのは、成果の部分だけしか楽しめない。もったいな過ぎる。練習(例えば合わせ)のひととき、いろんな謎が解けて行ったり、できなかったところが出来たり、合わなかった所が合ったり…そんな珠玉の時間。脳内革命的アハ体験的、最高なひとときを全部放棄して、最後のところだけなんて。
結果がすべてじゃないし、結果は過程の延長線上にある。すぐに結果が得られるときもあれば、全く変化が感じられないときもある。
たぶん、植物を育てたりするのと似てるんじゃないかな。
種を植えても、すぐにはなーんにも起きない。何日かしてもまだそのまんま。
でも、それでもずーっと世話をしていたら、いつかちっちゃな芽が出て…そしていつか実を結ぶ。
その成長をじーっくり楽しんでいいのだ。
すぐに実がなると思っちゃいけないし、なーんにも変化がないからって焦っても無駄だし、諦めてやめちゃってももったいない。
時間がかかるものってのも世の中にはたくさんある。でもその過程を楽しむことも、とても贅沢なことなんだ。
プロは、今日芽が出てねー!!!とかってことに浮かれてられないこともある。今すぐ、ちゃんとトマトを持ってくる!!ってのが任務だから。
いや、そうは言ってもプライベートなレベルでは、プロだって、日々そういうちっちゃな成長を楽しんだり、新しい発見に歓喜したり、大事な木を枯らして途方にくれたり、そういうことに一喜一憂しているんだ。
それを肥やしにして、ときには何とか取りつくろって、また音楽に向かって行ったり、本番を乗り切ったりっていうことを繰り返しているのだ。
だから、「音楽をする」ということの一番楽しい素敵な部分をもっと楽しんでほしい。アマチュアは結果としてプロより上手くてももちろんいいけど、そこへ至るまでのすべての時間を満喫してこそ、贅沢で素敵だと思うんだ。
だから、すぐにできるようにならないからって、あきらめないでほしい。
面倒な練習や努力はしたくない…なんて、もったいない!!
さっと行って、さっとできたらいい…それもいいけど、味気なくない?
世の中が、成果主義になりすぎてるんだよな…ってよく思う。
何かの宣伝で、「この問題集全部やるの?数万問から厳選された問題集で合格の近道!」みたいなのがあった。
これは宣伝してる側はその道のプロだからそれでいい。
でも私なら、全部やる方がいいな~。
勉強って、受験のためにやってるわけじゃないし、問題を要領よく解くことと頭の良し悪しは関係ないし、いろんなバージョンの問題をやってみるのって、クイズ解いてるみたいなもんで、贅沢な時間じゃん?!
それをなんで要領よくやらなきゃいけないんだ???
受験に出るのと違うパターンの問題に対しては、力が弱くなっちゃったら、楽しくないじゃん~っと思ってしまう。
手っ取り早く、成果が大事。
これって、ホントは貧相なことなんじゃないかなーって思う今日この頃。せめて音楽くらい、過程を楽しんでいいんじゃないかなー?!
いや最近、指導をする立場として、
上手になってスクスク成長している生徒やら、荒れて心がすっかりすれちまった学校やら、真面目すぎて心が折れる生徒やら、全く周りの迷惑とか状況とか考えずに(いや、考えたとしてもそれがあり得ないよねって方向に行く感じの)行動する生徒や家族…
そういうのを目の当たりにして、いろいろこちらだって悩んだり戸惑ったり凹んだり、まあもちろんいや~良かったって時もあるんだけど…!
なんとなく、みんなで目に見えて進歩していなかったとしても一緒に練習したり、日々努力して積み上げていくとかってことが、軽んじられているのか、あるいはそんな考えがないというのか…
すぐに結果を求めるというか、その結果までの過程が軽んじられているというか…
具体的に言うと、
普段の練習に出なくても本番には出たい。
仲間に対して上下の関係は作れても横の関係が薄い…一緒に工夫をして試行錯誤していくってよりも、指導する様な関係になりがちって意味。
成果がすぐに出ないとイヤになる。なんでもすぐにできるというものじゃなく、ある程度時間がかかる場合もある、という発想がない。
ちょっとしたことでやる気がなくなったり、自己嫌悪に陥ってしまったりする。
などなど。。。
私自身は、まぁ一応くくりで言うとプロっていう中で仕事はさせてもらっていて、そのプロって言う言葉の呪縛でいろいろ悩んだり苦しんだり、どうやっていけばいいのか迷ったりしたことももちろんあるけど、
今の時点で思うのは、
プロってのは、「結果」がすべて。
結果さえちゃんと出せばいいのだ…と書くと、何だか乱暴だけど、いい意味でも悪い意味でもやっぱり結果がすべてってのがプロの世界なんじゃないかなと。
だから逆に言えば、一緒にやる共演者と当日に初めて会って、パパっとほぼ初見で合わせたんだとしても、商品としてのクオリティーが出せるってことが大切で、その日までにどれほど練習してきたかとか、その人の裏にあるストーリーとか、仲間とどれほど信頼関係があるかとかは、あくまでも付加価値であって、それ自体が問題ではない。
だから、どんなに仲が悪いメンバーだろうと、その本番の最中はそういうことを一切見せず、バチッと決めるってことだし、音楽の意味が分かってなかったとしても、しっかりとそれらしく音を並べることができて、ましてや、その日までぜーんぜん練習してなかったとしても、とにかく本番にちゃんとすることが一番だ。
あー、こう書くとプロって心もなーんもないじゃんって見えるねぇ…。
でも言いたいのはそういうことじゃなくて、まあそれが最低限の基準って事だと思う。
もちろん、ここから芸術とか本当の感動とかそういうことになったら、こんなんじゃあいかん。もっと本質に迫る精神的肉体的なあらゆるものが必要と思うし、私自身だって、こんな味も素っ気もない気持ちでやるのはまっぴらごめんだから、そこにたくさんの付加価値をつけられるように自分の日々があると思っている。
だから、プロってのはそんな味も素っ気もない酷いもんだ!ということを言いたいのではなくて、おそらく基準としてはそういうことだと思う。
一方、アマチュアってのは何だろう?
きっと、プロは上手い、アマチュアはヘタクソ!と思っている人がいっぱいいて、だからこそ、何かの曲でプロの方がヘタだったりするとコテンパンにやっつけてくる玄人はだしのアマチュアもいるし、とにかく上手いヘタが境目と思っている節が絶対ある。
プロは上手くあるべき!アマチュアだから下手でもいい…的なね!
でも、私はたぶんプロとアマの境目はそこじゃないと思うのだ。ようするに本番にある商品価値だけの演奏がコンスタントにできるかどうか、そこに重きがあるのがプロなんだと。
では、アマチュアとは…本番はまあ単なる結果だから、上手くいけばもちろん嬉しいけれど、大切なのはそこではなく、そこへ至るまでの日々の音楽活動そのものに価値を見出している人なのではないかと!!!
アマチュアを日本語訳すると「愛好家」。
なんて良い言葉だ。それにこれほどの贅沢があるだろうか!!!
音楽を愛好するんだよ!!!
愛好ってのは、日々日常いたるところにあるものだと思う。
音楽を聴いて楽しんだり、楽器を演奏して楽しんだり、仲間とのセッションを楽しんだり。
もちろんその楽しみの中には、上手くいかなかったり悩んだり、いろんな葛藤なんかもあるかもしれない。
それも含めて、日々の中で、そんな苦労をしながらも悩みを解決するという過程すら、後から考えたら楽しい素敵な時間となるに違いない。
好きな仲間や気の合う仲間と、音楽を通して時には言い争いもあるかもしれないけど、そうやりながら分かりあえた時にさらにお互いが近づいて一つになっていく…
そういう、とっても素敵な過程そのものを楽しみ、その成果の発表の場として本番ってものがあるわけで、本番に少々事件が起こったとしても、それまでの日々や体験が無駄になるわけではなく、まぁまた次頑張ろうや!と新たなチャレンジの目標を見出して、むしろ楽しく向かっていけばいいわけで…。
これこそ最高!
私としては、例えばアンサンブルなんかでも効率的にというよりは、時間はたっぷりかかってもくたびれはててもいい。それよりも、あーこれでいいなぁ…と思えるところまでやりたいタイプ。そういう意味では本当にアマチュア的。
ただプロの世界では、時は金なり!というか、そういう風に効率悪く無駄に合わせの時間を使ったりするのは、他の人の生活にも響くし、あまり練習しすぎて、コンディションを崩す、というようなことはあってはならないので、そこら辺を考えると、「まあこのへんでいいんじゃね?」「じゃ、こんな感じで」ということになる。
もちろん、ホントにホントにプロフェッショナルな人たちの中には、この「じゃーこんな感じで!」ってだけで、ましてや本番初見であっても、恐ろしく熱いハイクオリティーな演奏をする人たちもいる(むしろ、そういう状況の方が燃える!)ので、必ずしもそれがいけないことではない。とにかく本番に一番いい状態が作れれば、それがプロってもんなんだから!
やり方は問わないのだ。
つまり…
何が言いたいかって言うと、
アマチュアという、音楽を心から楽しむことができる最高の立場である生徒の身分であるのに、プロのような成果主義の方へ来ようとするのは、なんてもったいないのかってことが言いたい!!
プロはそれがお仕事なのよ。泣いても笑っても、好きでも嫌いでも、それがお仕事なのね。
でもアマチュアは、それを存分に楽しんでいいのだ!!
仲間と一見無駄と思える時間も、たくさん合わせて、その中でお互いをよく知ったり、ヘベレケになるまで練習して次の日全然吹けなくなったって、お仕事じゃないから、いいのだ。あー、ちょっとやりすぎちゃった!って自分でちょっと後悔して…それでいいのだ。
だから、練習は出ないけど本番は出たいってのは、成果の部分だけしか楽しめない。もったいな過ぎる。練習(例えば合わせ)のひととき、いろんな謎が解けて行ったり、できなかったところが出来たり、合わなかった所が合ったり…そんな珠玉の時間。脳内革命的アハ体験的、最高なひとときを全部放棄して、最後のところだけなんて。
結果がすべてじゃないし、結果は過程の延長線上にある。すぐに結果が得られるときもあれば、全く変化が感じられないときもある。
たぶん、植物を育てたりするのと似てるんじゃないかな。
種を植えても、すぐにはなーんにも起きない。何日かしてもまだそのまんま。
でも、それでもずーっと世話をしていたら、いつかちっちゃな芽が出て…そしていつか実を結ぶ。
その成長をじーっくり楽しんでいいのだ。
すぐに実がなると思っちゃいけないし、なーんにも変化がないからって焦っても無駄だし、諦めてやめちゃってももったいない。
時間がかかるものってのも世の中にはたくさんある。でもその過程を楽しむことも、とても贅沢なことなんだ。
プロは、今日芽が出てねー!!!とかってことに浮かれてられないこともある。今すぐ、ちゃんとトマトを持ってくる!!ってのが任務だから。
いや、そうは言ってもプライベートなレベルでは、プロだって、日々そういうちっちゃな成長を楽しんだり、新しい発見に歓喜したり、大事な木を枯らして途方にくれたり、そういうことに一喜一憂しているんだ。
それを肥やしにして、ときには何とか取りつくろって、また音楽に向かって行ったり、本番を乗り切ったりっていうことを繰り返しているのだ。
だから、「音楽をする」ということの一番楽しい素敵な部分をもっと楽しんでほしい。アマチュアは結果としてプロより上手くてももちろんいいけど、そこへ至るまでのすべての時間を満喫してこそ、贅沢で素敵だと思うんだ。
だから、すぐにできるようにならないからって、あきらめないでほしい。
面倒な練習や努力はしたくない…なんて、もったいない!!
さっと行って、さっとできたらいい…それもいいけど、味気なくない?
世の中が、成果主義になりすぎてるんだよな…ってよく思う。
何かの宣伝で、「この問題集全部やるの?数万問から厳選された問題集で合格の近道!」みたいなのがあった。
これは宣伝してる側はその道のプロだからそれでいい。
でも私なら、全部やる方がいいな~。
勉強って、受験のためにやってるわけじゃないし、問題を要領よく解くことと頭の良し悪しは関係ないし、いろんなバージョンの問題をやってみるのって、クイズ解いてるみたいなもんで、贅沢な時間じゃん?!
それをなんで要領よくやらなきゃいけないんだ???
受験に出るのと違うパターンの問題に対しては、力が弱くなっちゃったら、楽しくないじゃん~っと思ってしまう。
手っ取り早く、成果が大事。
これって、ホントは貧相なことなんじゃないかなーって思う今日この頃。せめて音楽くらい、過程を楽しんでいいんじゃないかなー?!
私は逆に、本番に出れなくても練習はしたいタイプです。←ジャマだってゆう…
合奏…一人じゃない練習…が一番大事な時間(ある意味本番)で、そのために一人練習するのもまた大事。
一見なんのための練習かわからないものも、うまく吹けても吹けなくても何か収穫があるし、昨日やった練習も今日またやってみれば違う収穫があります。
練習して上手くなったかもヽ(・∀・)ノと思える日もあれば、何もかもうまくいかない(;・ω・)としか思えない日もあります。
でもいいんですよね♪全部自分の財産です
ひとりよがりかも?って思うこともありますが、ゆこちん先生がそう言ってくださるなら本物だ♪本当だ♪
安心しました。救われました、ありがとうございます(^人^)″☆
まあ!!何てステキなんでしょう!最上級の楽しみですよねー!
是非是非満喫して下さいo(^▽^)o
仮に一回で一年分の収入が得られる(そうしたレベル)ならばそれなりに合わせや練習に時間をかけてもいいでしょう。演奏して金を堂々と請求して、相手も納得して払ってくれるのがプロです。聴いていただいているお客様の存在や評価が一番大事ではありませんか。
そして通りすがりさんのお陰で、自分が書いたものとはいえ、もう1度自分の考えていたことに触れることができて、なんだか1人で勝手に納得してしまいました。
通りすがりさんの最後の1文、これは本当におっしゃる通りですね。商品は買ってくれる人がいて初めて価値が出る。お客さん(お金を払ってくれる人)がいなければプロとして「お仕事」になりませんもんね!
で、通りすがりさんがどう言う立場の方なのかが、このコメントからでは分からないのですが、この記事は「プロとは」を語りたい、というよりも、「アマチュア」という最高の立場を満喫して、音楽の出来ていく「過程」を楽しんでほしい、と熱く伝えたい気持ちの記事です。
生きていくために悠長なことは言ってられない…という世知辛いプロの生活のための演奏(自虐含む!)ではなく、音楽活動すべてを楽しんでいいと言うアマチュア本来の立場を乱用して、どうか思い切り満喫してほしいと生徒や学生(もちろん別のお仕事をお持ちの社会人なども)に伝えたいと思って書いています。
伝わってたら嬉しいです。