ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

こんにゃく畑製造中止

2008年10月11日 08時38分27秒 | Weblog
なんでこういうことになってしまうんだろう?!

喉に詰まらせてしまう…これは本当に痛ましいこと。でもそれって商品のせいなのだろうか?!

近ごろでは、公園の遊具も本当に当たり障りのないものが増えたし、入っていいような川とか、とにかく『危険』と見ればすぐにイコール『悪』という物凄く安直な考えが横行しているように思えてならない。


多くの場合、『危険』に直面するのは子供。危険から子供たちを守るのは大人の務め…それは当然!

でも問題は『守りかた』じゃないかと。

この地球には危険なところはたくさんある。別に秘境とかそういうんじゃなくて、身近なところでも、沼とかエスカレーターとか滑り台…なんなら鉛筆やシャープペンだって危険だ。

危険なものを『排除』する方法で子供たちを守ろうとしたら、きっとほとんどのものが無くなってしまうし、そうじゃなければ、子供をどこかに閉じ込めておくか、何もさせないか…そんな風にしかできない…


自分が子供だったころ…

カッターで鉛筆を削って得意になったり、調子に乗って失敗して血が出たり

回旋塔で調子に乗ってすっ飛んで全身擦り傷だらけになったり

ブランコを漕ぎまくって空に飛んで行けそうな錯覚にワクワクしたり…そのあとおっこちて頭を打ったりもするんだけど…

テトラポッドの間にカニを見つけてはしゃいだり

黒鳥に近付きすぎて羽で殴られたことも…


こうやって少しづつ痛みと併せて危険を覚えて、自ら危険を回避する力をつけて行った気がします。
もちろん、大人の指導もありました。それにチャレンジさせてくれたからこそ、死んでしまうほどの大失敗をせずにすんだ。
あとは大人が放っておくことなく、見守ってくれていたと思います。そこが一番大事だと思う。小さな失敗は見ていてくれて、大きな事故になりそうなときは止めてくれる。


それが一番、危険から子供たちを守れると思う。『自ら身を守るために、経験を積ませて知恵を授ける』、それでもあまりに予測不可能で回避できないときに初めて、『危険なもの』そのものをどうするか云々するべきだと思う。



それに危険なことは楽しかった!とってもスリルがあって、達成感や満足感もあった。

こういうのを普段の生活で体験しなかったらつまんないし、バーチャルなゲームの世界で我慢するか、あるいは心が籠の鳥のように感じて反動で犯罪行為に走る人もいる気がしてしまう。


考えてみれば、大人が『子供を危険から守る』と称して、責任転化したり、見守る手間を惜しんでいるってことなんじゃないかって気もしてくる。

『手間』…何でも無駄はよくない、できるだけ効率よく…そんな風な時代だけど、生きていくって結構『手間』のかかることじゃないかな。

自分もついつい『手間』『無駄』=『ダメなこと』と考えてため息が出ちゃうこともあるけど、手間や無駄から豊かなものが生まれたりするような。


こんにゃく畑を飲み込んでしまった子がいたら、どんな手を使ってもすぐに助ける!!そしてツルッと飲み込んだら危険だって言うことを教える。子供はそのときの大変だったことや大人が自分を生かすために必死だったことを忘れないだろう。そしたら次の危険が予知できるようになる。

それか、まだ分別のない子供のそばに飲んだら危ないものを置かない。大人の危険予知能力も問われる。


ただそういうことなんじゃないか?!

だから選挙の票稼ぎのような決まりをとりあえず作るようなそんなことでこの世の中をおかしくしないでほしい。
そう思ってしまいました!!

最後に…マンナンライフは悪くないっ!
コメント (5)
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