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ボイボイ日記・ダバオリターンズ

南国フィリピン南部の街ダバオで
はっぴぃな定年ライフを満喫する為の生活情報発信

思い出写真館

2010年12月18日 | 海外ロングステイ

ペトロパブロフスク/カムチャッカ・ロシア
       ・・・・2001年8月21日の日記から

遂にピースボート始まって以来のカムチャッカ寄港が実現しました。 
過去2回のクルーズではいづれも悪天候と荒波に遭って針路変更を余儀なくされたと聞いています。 
バンクーバーを出航してからお天気は曇り空でかなり気温は下がってはいたものの、波は比較的穏やかで、快適な船旅が出来ました。 
ペドロパブロフスクの港は貨物船専用の港の雰囲気で、遠くに見える万年雪の残る尖った火山の景色が特徴的でした。 
寄港地最後のカムチャッカでは多分英語が通じないと考え、久し振りにオプショナルツアーに参加して来ました。 
カムチャッカの人たちとの交流ツアーはこの極寒の地に残るロシア文化のひとつ、ロシア舞踊とロシア音楽を通して交流を図ろうと企画されました。 
船からバスに乗って約15分程の会場では既に我々参加者50名の到着を待っていてくれました。 
会場となったレストランのテーブルにはカラフルな民族衣装を着た可愛い子供たちが待ち受けていて、各テーブルに日本人2名とロシアの子供たち3名づつが座って、素晴らしい民族舞踊の数々が繰り広げられ、特にウクライナ独特の激しいダンスでは拍手喝采を浴びていました。 
子供たちは皆12歳とのことで、片言ながら英語を話すのにはちょっと驚きました。 
そして交流会では美味しいロシア料理のランチを堪能した後、子供たちと一緒に踊ったり、ゲームをやったり楽しい時間があっと言う間に過ぎてしまいました。 
真っ白な肌の可愛い子供たちを見ていて感心したのは、子供たち一人一人が特長のある、強いて言えば主張しているような「表情」を持っていることでした。 
日本の子供たちの画一的な表情に比べてロシアの子供たちの表情の豊かさに暫し感心してしまいました。 
交流会の後はバスで市内観光に向い、郷土資料館や自由市場を見学しましたが、市場の前のデパートへも足を運んでみましたが、品揃えは少なく、元共産国の厳しい姿を垣間見ることが出来ました。 
8月中旬を過ぎて日本では多分厳しい残暑が続いている頃ですが、カムチャッカの人々の服装はまるで「冬」並みの服装だったことが、真冬になると零下30℃もの厳しい寒さになるという片鱗が伺えました。
トップの写真は子供たちの「コサック・ダンス」で、下の写真はレーニン広場の「レーニン像」です。


ブログ開設3周年

2010年12月11日 | 海外ロングステイ

月日の経つのは本当に早いものでこのブログ「ボイボイ日記」を開設してから3周年になりました。
思い起こせば初めてアップしたのが2007年11月26日で、初アップの記事は「鯖好きタイ人」のタイトルで、サラリーマン時代の「昼食」で好きだったのが「サバの塩焼き」で、お気に入りの新橋駅前のビルの地下にある定食屋さんで良く「サバの塩焼き定食」を食べていたとの書き出しで、タイに住み始めて直ぐに気付いたタイ人の「サバ」好きなことをアップしました。
ブログを始めたきかっけは「老化防止」と日本に住む子供たちに父親健在の証しをブログの更新で知らせることでしたので、一週間に1回は極力更新を続けようと決めてスタートし、現在に至っています。
この3年間、1,090日の間にアップしたブログ記事の合計は219件で、5日に1回更新した計算になり、開設から今までの閲覧数が<109,986>となっていることを知って少し驚いています。
これからも「好奇心」の目を持ち続けて、新しい発見、新しい体験などをブログに書き綴って行きたいと思っています。
いつも訪問いただいている皆さま、今後も宜しくお願い致します。
トップの写真はピン川のロイクラトーン風景で、下はロイクラトーンパレードの様子です。


思い出写真館

2010年12月04日 | 海外ロングステイ

バンクーバー
  ・・・2001年8月10日の日記から

「地球一周の船旅」の第17番目の寄港国カナダのバンクーバーに予定通り到着したのが10日の午後3時です。 
今回のクルーズでは色々感心することがありますが、中でも寄港予定時間の正確さには驚かされます。 
17ケ国の寄港国では殆ど全てが予定通りか予定より早く到着していました。 
バンクーバーは空港通過だけは何度も体験しているのですが、市内に出たのは今回が初めてですが、巨大なビルが立ち並び、街には緑が溢れていてバンクーバーの街の第一印象はあのニューヨークのような近代都市です。 
早くから外国人移民を受け入れている国とは聞いていましたが、街中の看板に「中国語文字」が目立ちます。 
しかし物価は日本に比べて幾分安いといった感じなので、バンクーバーに定住するにはダバオとは比較にならない程の生活費がかかりそうです。 
ちょうど日本ではお盆前の観光シーズンとあって市内の目抜き通りのRobison通りを歩いてみると日本人の多さに驚かされました。
日本人観光客の他に留学生らしい若者の姿が目立っていて、目抜き通りにある「日本料理店」や「寿司屋」の数の多さに驚かされながら、「もしや?」と思って探してみたところ、案の定「日本語」で入力出来るパソコンを10数台も設置してあるインターネットカフェを発見したので、久し振りに日本語でのメール送信や、ホームページなどを覗くことが出来ました。 
今回の地球一周の船旅で訪れた17ケ国の中でバンクーバーは飛び抜けた近代都市と言うのが私の総合評価でした。
トップの写真はバンクーバー発祥の地の「ガスタウン」で、ここに酒場を開いた人のニックネームからこの辺り一帯をそう呼ぶそうです。
19世紀末頃の煉瓦造りのビルが残されていたり、石畳の道やガス灯など昔にタイムスリップしたような気分になれる街並みです。


ランナー・ジープン交流祭(日タイ交流祭)

2010年11月27日 | 海外ロングステイ

今年もランナー・ジープン交流祭が17日から始まりました。
21日の日曜日には今年で4回目となる「日本語カラオケコンテスト」がCLLクラブ(チェンマイ・ロングステイ・ライフの会)の主催で昨年同様エアポート・プラザ近くのNim City Dairyで開催されました。
回を重ねる毎に出場者の数も増えて、今年は40名を超える参加者がありました。
去年は若い中学生や高校生の多いコンテストで、歌った楽曲も「アニメソング」や中高年には馴染みのない曲ばかりでしたが、今年は主催したCLL側の努力もあって、「歌謡曲」や「演歌」なども増えてバラエティに富んだ内容のコンテストになりました。
また、今年はCLLのコーラス同好会の「ハーモニックスCLL」が特別出演して、「荒城の月」、「空よ」、「昴」、「You are my Sunshine」の4曲を披露しましたが、特にタイ語で歌った「昴」が拍手喝采を受けていました(写真下)
トップの写真は審査員特別賞を受賞した「男はつらいよ」で、フーテンの寅さんスタイルで登場した少年が見事な日本語で「せりふ」入りの歌を熱唱してくれて会場を沸かせてくれました。

 


食品用ラップフィルム

2010年11月20日 | 海外ロングステイ

海外暮らしをする日本人の多くがストレスを感じるのが現地で入手する食品用ラップフィルムでしょう。
日本での正式名称は「食品包装用ラップフィルム」と呼ばれるこのラップフィルムが日本に初めて登場したのは1960年のことで、呉羽化学工業(現クレハ)がクレラップを、続いてダウケミカルと旭化成の合弁会社である旭ダウ(現在は旭化成と合併)がサランラップを販売しましたが、当時は冷蔵庫や電子レンジの普及率が低かったため、売り上げはいまひとつ伸びなかったそうです。
その後電子レンジの普及も伴って、料理を加熱する際の食器の蓋として利用されるようになって行きました。
冷蔵庫や冷凍庫で食品を冷やし、電子レンジで温める(解凍する)のが日常茶飯事となった現代では、このフィルムなしで過ごすのが困難になりつつあります。
海外で販売されているラップフィルムの多くは日本のラップフィルムと比べて切れ具合が悪かったり、ラップフィルム同志が絡んでしまったりして冒頭に書いた「ストレス」を感じてしまいます。
そんな中、日本のラップフィルムに勝るとも劣らない優れものラップフィルムを見付けました。
Rimpingスーパーで見つけた写真の<GLAD Cling Wrap>がその品で、サラっとした切れ味の良さが抜群で満足出来る商品です。
この<GLAD>ブランドはアメリカ製品ですが、日本へも輸出されているようでネット販売で購入出来ます。
商品名の<Cling Wrap>の<Cling>とは「ぴったりくっつく」と言う意味ですが、正に名前の通りの使い易さ抜群の食品用ラップフィルムです。


思い出写真館

2010年11月13日 | 海外ロングステイ

スペイン国立プラド美術館

スペイン・マドリッドを訪れたのは2002年2月10日の日曜日で、ちょうどプラド美術館は「無料公開」の日で、入り口前には長蛇の列が出来ていて、午後2時までの入場時間に間に合いそうもなかったので諦めて市内見物に切り替えました。
プラド美術館は翌日の月曜日が休館日と分かり、結局セビリアに向う18日の朝イチで行くことにしました。
スペインが誇る国立プラド美術館には常設コレクションとして、スペイン絵画、イタリア絵画、フランドル派・オランダ絵画、フランス絵画、ドイツ絵画、彫刻などが展示されていて、特にスペイン絵画の中世、ルネッサンスを代表するエル・グレコの作品が際立っていました。
       
その他にもスペイン絵画ではリベラ、ムリーリョ、ベラスケスなどの作品が印象に残りました。
このプラド美術館でちょっと驚いたことはフラッシュを使用しなければ館内での写真撮影がOKだったことです。
最近のデジカメは光の充分でない場所での撮影でもフラッシュを使用しないでもかなり綺麗に写るので有難いことです。 
それにしても驚いたのは、日本人の団体ツアー客の多さです。
各グループ共15名~20名くらいの団体で、私が訪れた火曜日の午前中だけで10団体ほど目にしました。
下の写真はスペイン画家ムリーリョの代表作<無原罪のお宿り>(1678年)

           


ちらし寿司

2010年11月06日 | 海外ロングステイ

約一か月の日本滞在中のグルメ三昧のせいで大きな「お土産」をお腹周りに付けてチェンマイに戻って直ぐに出会った知人のリアクションに、その知人以上にショックを受けてしまいました。
体重増加は想定内のことだったとは言え、その知人の「ひと言」がキッカケとなってダイエット大作戦をスタートさせました。
あれから約一か月が過ぎ、予定通り日本に行く前の体重に戻すことが出来ました。
大好き好きだった「とんかつ定食」には目もくれず、ひたすらルクエの「スチームケース」を使って作って食べ続けていたノンオイル&野菜中心料理のおかげと感謝、感謝です。
外食の時には極力カロリー低めの食事に心がけ、最近のマイブームが写真にあるレストラン「FUJI」の<ちらし寿司>です。
とんかつ定食の総カロリーが約880Kcalで、ちらし寿司の方は約550Kcalなので幾分低カロリー食だと思っています。
FIJUレストランの「ちらし寿司」はいわゆる江戸前の乗せ寿司で、酢飯の味もなかなかのものです。
写真の「茶わん蒸し」は別注文ですが、「ちらし寿司」は140バーツ(約380円)、驚くべきチェンマイ価格です。
FUJIレストランの「ちらし寿司にはSpecial(松)とRegular(竹)の二種類がありますが、お薦めはRegularの方で、寿司が大好きなタイ人も好んで「ちらし寿司」を食べている姿を良く見かけ、そんな時は日本人として何となく嬉しい気分になります。


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2010年10月30日 | 海外ロングステイ

リスボン旅情

初めてポルトガルを訪れたのが1998年、未だ現役時代のことでした。 
ポルトガルへの初訪問ではリスボンとコインブラに滞在して、リスボンでは最初の訪問ということもあって「観光バス」で市内や近郊の町を巡ったことを憶えています。 
石畳と坂道の多いリスボンの街は想像以上に感動的な街で、季節は5月でしたが気候も大変爽やかで過ごし易かった印象があります。
抜けるような紺碧の空の色はまさしくリスボン色、風の香りも全てが日本にはない、ヨーロッパ独自の雰囲気をかもし出していました。
二度目の訪問は2002年の2月で、イタリア~スペイン~ポルトガルを巡った時でした。 
この時の旅行ではミラノーヴェニスーリスボンーローマーミラノ間の空路での移動の他に、夜行寝台列車を使ってポルトガルースペイン間の国境越えを体験しました。 
この年はちょうど1月に「ユーロ」がポルトガルにも導入されたばかりの時で、TAXIメーターも車によってはユーロ表示の変更が間に合わず、「換算表」が車内に置いてあったことを憶えています。 
そして二回目のポルトガル訪問では初回に実現出来なかった「ポルト」まで足を伸ばすことが出来、念願だった「ワイン工場」で美味しい「ポートワイン」を味わって来ました。
リスボンの旅での一番の「グルメ」の思い出は下の写真にある<いわしの炭焼き>と<ヴィーニョ・ヴェルデ>です。
ヴィーニョ・ヴェルデはポルトガル語で「若い(緑)ワイン」という意味で、さわやかな緑を感じさせる薄い黄色のワインで、酸味があり、軽くフレッシュな風味が特徴です。


そして2004年10月に三度目のポルトガル旅行を実現して、念願だった「マデイラ島」まで足を伸ばすことが出来ました。
リスボンの街には観光名所の一つの「べレンの塔」が市内を流れるテージョ川の川沿いにあってその優雅な佇まいが印象的です。(トップ写真)
司馬遼太郎がテージョ川の公女と呼んだ「ベレンの塔」は16世紀の初め、ポルトガルがインド洋航路を発見し、大航海を以って繁栄を極めた頃に建てられた要塞で、3階は王族の居室、2階は砲台で、その優雅な姿は2度と帰れぬかも知れない大航海に出る船乗りたちを見送り、また幸いに故国に帰って来た男たちを優しく迎えて来たテージョ河口のシンボルです。
この「べレンの塔」は1983年には世界遺産に登録されています。
またリスボンは「七つの丘の都」と言われるくらい丘が多く、高台からリスボン市内を一望の下に見渡せる丘が幾つかあって、下の写真はサンジョルジ城が見える丘からの一枚です。


冬支度

2010年10月23日 | 海外ロングステイ

10月も半ばが過ぎ、そろそろ「乾季」に入る時期が近づいて来ました。
毎年この時期の季節の変わり目には<最後のあがき>のような大雨が降って驚かされますが、今年も数日前の午後にチェンマイ市内に大雨が降って、地盤の低い場所では排水が間に合わずに道路が水没している個所もあちこち出て、ラッシュ時間の交通渋滞がハンパではなくなります。
一方北部タイの各地でも「豪雨」の影響で各地で浸水騒ぎも起こっていて農作物の被害も出ています。
そして最近の朝の最低気温が少しづつ下がっていて、今朝の気温が23℃・・・、昨日より1℃下がっていました。
これから11月に入ると毎朝の最低気温が徐々に下がり始めて、去年の12月には<13℃>まで冷え込みました。
そんな季節の変わり目を感じさせてくれるのがデパートの「衣料品売り場」です。
写真にあるように長袖セーターやジャケット、そして防寒衣料の「手袋」や毛糸の「帽子」「マフラー」、「防寒耳あて」など、日本の冬には欠かせないアイテムが南国チェンマイのデパートでも販売されるのです。
寒さに滅法弱いタイ人にとって、これらのアイテムは「冬支度」の為の必需品なのでしょう。


フルーツ・カービング

2010年10月13日 | 海外ロングステイ

手先の器用さは日本人のお家芸だと昔から思っていましたが、10数年前に初めてタイのバンコクを訪れた時にその思いが揺らぎました。
チャオプラヤー川沿いのシャングリラホテルに泊った時の翌朝、朝食の時にレストランの前で器用な手さばきで「西瓜」に彫刻を施している女性の姿に見入ってしまい、完成した大輪の「花」の見事さに感動すら覚えました。
タイ国の文化であるフルーツ・カービングは王宮で王様の食卓に料理を出す際に、果物や野菜に花や鳥・動物を彫刻して、ディスプレイやテーブルへのセッティング、料理皿の飾りとして添えてもてなす為に発展して来たそうです。
現在では王宮をはじめホテルのレストランでも入り口に飾られていたり、ビュッフェスタイルのディスプレイ用にセッティングされたり、皿の飾りや器以外の目的でもフルーツカービングは使われています。
タイではスコータイ王朝の時代から、12月の満月の日に灯籠を流すローイ・クラト-ンという伝統行事が行われています。
当時、宮廷の女官たちは、灯籠の飾り付けに工夫をし、その美しさを競い合ったそうです。
そしてある年、プラルアン王の妻であるナーンノッパマート妃は、他のどの妃よりも、灯籠に美しく個性的な装飾をしたいと考えました。
そこで、ナーンノッパマート妃は今まで誰もしたことのなかった装飾を思いつきました。
それは、色々な花びらを選んで色とりどりに重ね、牛車の外輪ほどの大きさの花の形を作り、果物にはカービングをして様々な種類の鳥や孔雀を作り、花をついばんだり、蓮の花にとまったりする姿を色鮮やかに表現したのでした。
その斬新で他に類のない灯籠は、都中の注目の的となったそうです。


キンジェー(採食週間)

2010年10月06日 | 海外ロングステイ

先のブログに書いた「スチームケース」が連日活躍していて、食事の中心を「蒸し野菜」にしたお陰もあって、1週間でお腹周りが少しだけスッキリしました。
そんな中、実にタイミング良く一年に一度タイで行われるキンジェーと呼ばれる「採食週間」が始まります。
キンジェーは旧暦の9月の最初の9日間に行われる華人系の人々が中心となって行う行事で、今年は10月7日から16日まで実施されます。
キンジェーはその昔殺生を慎むための華僑の人々が中心の習慣でしたが、今ではタイ人の間に広まっているそうです。
期間中は、菜食だけでなくお酒やタバコを控えて、蚊や虫なども殺さず、身も心も潔白を守って穢れをはらうとされています。
中華系の年配者などは身を清めるため9日間白い服を着ています。
厳粛な習慣のように見えますが、期間中はお祭りのように街が賑わい、何でも商売に結びつけるのが上手い中華系タイ人の人たちが、キンジェーにちなんだ商品を道端で売ったり、豆乳製品を大々的にプロモーションしたりします。
お向かいのカド・スアン・ケオーのショッピングモールにも早速トップの写真のような「看板」が出ていて明日から特設会場で行われるキンジェー料理レストラン開設の告知をしていました。
そしてスーパーマーケットのTopsでもキンジェー料理の食材などの特設売り場が出来ていました。
キンジェー料理はいわゆるタイ式精進料理で、肉、魚、乳製品、匂いの強い野菜(パクチー、ねぎ、たまねぎなど)を使わない料理が並びます。
またタイ料理の調味料の代表であるナンプラー(魚醤)も使用されません。
キンジェー料理は、大豆や豆腐、湯葉を使ってまるで本物の肉や魚のように仕立てて料理されているので、ベジタリアン料理だとわからないほど美味しく工夫されています。


スチームケース

2010年09月29日 | 海外ロングステイ

3週間余りの日本への一時帰国から無事戻って、空港に着いた瞬間にホッとした気分になれるのは3年半余り住んでいるチェンマイが私自身の「本拠地」となっているからでしょう。
チェンマイに戻ってから2日目に、鈍っていた身体を解す為にゴルフに出かけて来ましたが、案の定ゴルフズボンのウエストがかなりきつくなっていました。
毎度のことながら日本ではついつい「グルメ三昧」になってしまうので、当然の結果ですが、これから約1ヵ月の間元の体重に戻すことを目標に頑張るつもりです。
約一年振りの日本でしたが、覚悟していた暑さは台風の通過と同時に和らぎ、帰国前の二日間は11月中旬の気温になって念の為スーツケースに入れて持って行った長袖シャツとジャケットが役立ちました。
そんな一年振りの日本で見付けたのが写真の不思議な形の容器です。
この容器はスペイン・ルクエ社の「スチームケース」です。
高品質のシリコンで出来たこのスチームケース、値段が5800円もする高価な商品ですが、野菜や魚、肉などをケースに入れて電子レンジで「チン」するだけで簡単に「蒸し料理」が出来る優れものです。

火や油を使わずに手早く美味しい料理が出来、また料理のカロリーを出来る限り抑えたヘルシーな料理が簡単に作れることから、今の私にぴったりのアイテムとも言えます。
このスチームケースは調理器具と「食器」を兼ねているので、電子レンジからそのまま食卓へ出していただくことが出来るのです。
トップの写真はスチームケースを使って作った第一作の「白身魚の野菜蒸し」で、ヘルシーな「茸」や「スナップえんどう」、「ズッキーニ」などをたっぷり入れてみました。
また、このスチームケースで簡単に「白米」や「炊き込みご飯」(写真下)も作れ、一人分のパスタを茹でることも出来る優れもので、幅広い耐熱性を持っていることから電子レンジや、オーブン、冷凍庫などの温度、マイナス30℃~260℃までマルチに対応しています。



東京スカイツリーと東京タワー

2010年09月19日 | 海外ロングステイ

私の高校は都内の港区にあって、今から半世紀以上も前になりますが当時建設中だった東京タワーの工事の進捗状況を毎日通学の時に見ながら通っていました。
東京タワーが完成して一般公開されたのが1958年のクリスマスイヴの日でした。
その翌年の3月に高校を卒業した私は卒業の記念に学友たちと東京タワーに上ったことが懐かしい思い出として残っています。
当時の東京の様子を背景に制作された映画「オールウエイズ・三丁目の夕日」を見て、都電や建設途中の東京タワーの映像に甚く感動したものでした。
今では東京のシンボル的存在の東京タワーですが、時代の流れと共に東京タワーに代わる新たな東京スカイツリーという世界一高いタワーが建設中と知って浅草まで出かけて来ました。
               
関東地方の地上デジタル放送は2003年12月から放送が開始せれていますが、都心部に林立する200m級の超高層ビルの影響を受け難い600m級の新タワーからの送信が望まれていました。
新タワーに移行すると、地上デジタル放送の送信高は現在の約2倍となりますので、年々増加する超高層ビルの影響が低減できるとともに、2006年4月に開始された携帯端末向けのデジタル放送サービス「ワンセグ」のエリアの拡大も期待されているそうです。
このような背景の下に東京スカイツリーの建設計画がスタートしました。
東京スカイツリーは東京都墨田区押上に建設中の電波塔です。
着工当初は高さを610.6mとする計画でしたが、2009年10月に高さが634mとなるように計画を変更したため、完成すれば自立式電波塔としては世界一の高さとなります。
2008年7月14日に着工し、工期は約3半年と想定しているそうなので2011年12月竣工、2012年春開業予定となっているそうです。
東京スカイツリーの塔体の高さは現在400mを超えていてツリーは順調に成長中だそうです。(下の写真は1957年当時の東京タワーの建設途中の写真です)


博多~熊本~由布院~宇佐の旅

2010年09月12日 | 海外ロングステイ

約一年振りの一時帰国で、日本の残暑厳しい「秋」を満喫しています。
去年は道後温泉でのんびり過ごしましたが、今年は博多・熊本を巡って初めての「由布院温泉」で素晴らしい温泉に浸り、美味しい食事に舌鼓を打った後、昨日から東京に戻って来ました。
福岡空港到着時間と台風9号がニアミスしそうな状況での到着でしたが、幸いなことに台風の方は対馬海峡の方向に逸れてくれたので、「雨」に遭うこともなく無事博多のホテルに到着出来ました。
昔からの自称「晴れ男」が未だ健在で満足しています。
由布院温泉は大分県由布市湯布院町にある温泉で、すぐそばには標高1584mの火山、由布岳があって、その由布岳の恵みを受けた豊富な湯量を誇る温泉です。
       
温泉湧出量は全国3位の量で、源泉の数は852本存在し、これは別府温泉に次いで全国第2位にランク付けされています。
かつてはひなびた温泉で団体観光客向けの大型ホテルや歓楽街は整備されていなかったことがプラスに転じ、昭和40年代から町ぐるみで毎年夏に映画祭や音楽祭を開催し、歓楽色を排して女性が訪れたくなるような環境整備を続けてきたことが功を奏しました。
駅前から温泉街への方向の正面には由布岳が見え、町のランドマークとなっています。(Top写真)
由布院温泉からの帰路には宇佐神宮に立ち寄って参拝して来ました。
宇佐神宮は大分県宇佐市にある神社で、全国四万四千社と称する八幡宮の総本社です。
正式名は宇佐神宮ですが、宇佐八幡あるいは宇佐八幡宮とも通称されていて、広大な自然の中の宇佐神宮は壮大なイメージが印象的でした。

        


ムーンケーキ(月餅)

2010年09月04日 | 海外ロングステイ

タイでは華人を自称する人は700万人も居るとされているそうで、そのため中部タイで中国人の子孫でない人を探すのは難しいとさえ言われています。
そんな訳でタイには中国の文化や風習が沢山移入していて特に食べ物には中華料理の影響を多分に受けたものがタイ料理に多く見られます。
一年のうちに満月の日は数多くありますが、9月の満月が特別なのは秋の澄んだ空の満月が特に美しいからと言われています。
日本でも『中秋の名月』として親しまれている中秋は、陰暦(旧暦)8月15日の満月を祝う行事で、今年は9月22日が旧暦の8月15日に当たります。
中秋節の時には、家族や親しい友人が集まって月を愛でて「月餅」を食べる風習が古くからあって、現在は中秋節が近づく頃、親しい人やお世話になっている人に「月餅」を贈ることが盛んになる為、今の時期になるとスーパーの店先にも「月餅」が並び始めます。
そんな中、市内に幾つかあるアメリカの有名なアイスクリームショップの<Swensen's>で目に止まったのが写真の「ムーンケーキ・アイスクリーム」です。
柔らかなモチモチの皮に包まれたこのムーンケーキの中身は冷たいアイスクリームで出来ているのです。
いかにも南国タイらしい発想の新感覚デザートのムーンケーキ・アイスクリームは西洋デザートの代表格の「アイスクリーム」と中国を代表する「月餅」の洋中のフュージョンから生まれた美味しいデザート・アイスクリームです。
下の写真は左から「ストロベリー」、「クッキー&クリーム」、「モカ・アーモンド」、「チョコレート・アーモンド」の4種。