Eu te amo meu Brasil, eu te amo
Meu coracao e verde, amarelo, branco, azul, anil
Eu te amo meu Brasil eu te amo
Ninguen segurar juventude do Brasil!
愛するブラジル、大好きなブラジル
僕の心の色は国旗と同じ、緑、黄、白、青、藍色
愛するブラジル、大好きなブラジル
ブラジルの青春パワーは誰も止められない!
2010ワールドカップ・サッカー南アフリカ大会でグループEの日本代表チームがデンマークに3-1で快勝して決勝トーナメントに駒を進めてサッカーファンは元より沢山の日本人がエキサイトしています。
今からちょうど40年前の1970年のブラジルの新年は軽快なマーチのリズムに乗った「応援歌」で幕が開きました。
その応援歌が冒頭の歌詞で、1970年6月に開催された第9回サッカー・ワールドカップ、メキシコ大会に向けてのセレソン・ブラジレイラ(ブラジル・ナショナルチーム)への「応援歌」です。
連日ラジオやテレビから流れるこの応援歌、40年経った今でも鮮明に耳に残っています。
http://www.youtube.com/watch?v=aTcpWd3NnnM&feature=related
ブラジルに赴任して2年目を迎えた私は当時サンパウロ市内に住んでいました。
1970年のW杯のブラジル代表選手はサッカーの王様の別名を持つペレーの4回目の代表入り、そして彼のW杯最後の出場となった記念すべき大会でした。
決勝戦のブラジルvsイタリア戦が行われたのがメキシコシティのアステカスタジアムで、1970年6月21日の日曜日、現地時間の12時(ブラジル時間の午後2時)キックオフでした。
ブラジルのスタメンは:GK:フェリックス、DF:ブリット、ピアザ、カルロス・アルベルト、エベラルド、MF:クロドアルド、ジェルソン、リベリーノ、FW:ジャイルジーニョ、トスタン、ペレ。
その日のサンパウロ市内は決勝戦の始まった時間には「静寂」そのものに変わり、車の姿も全く無く不思議な世界に入ってしまったような印象でした。
全てのブラジル人がその時間には「テレビ」の前でイタリア戦を観戦していたと言っても過言ではありません。
ところが最初の<1点>がブラジルに決まった途端に街中に響き亘る「花火」の音!
サラウンドスピーカーの中心に居るような「音」の洪水に驚かされました。
そして4-1でブラジルのW杯、三度目の優勝が決まった瞬間にパウリスタ大通りは「カルナバル」に早変わりして、勝利に熱狂するブラジル人で溢れ、サンバを踊り、紙テープが舞い、ドラムのパーカッションのリズムが深夜まで街中に響き渡ったのでした。
パウリスタ大通りの直ぐ近くに当時住んでいた私は同僚と一緒に家を飛び出して、勝利の祝いの行進の中に入って♪Eu te amo Brasil を歌いながらフレンドリーなブラジル人たちと一緒に「美酒」を呷ってセレソン・ブラジレイラの勝利を祝ったのでした。
そして、その夜に大統領発表で翌日の6月22日(月)が急きょ国民の「祝日」と決まり、予定していた「業務」が出来ずに困ったことを憶えています。
ブラジルでは国民の祝日に働けるのは病院など極く限られた事業所のみと法律で決められているからです。