ボイボイ日記・ダバオリターンズ

南国フィリピン南部の街ダバオで
はっぴぃな定年ライフを満喫する為の生活情報発信

サッカーワールドカップの思い出

2010年06月26日 | 海外ロングステイ

Eu te amo meu Brasil, eu te amo
Meu coracao e verde, amarelo, branco, azul, anil
Eu te amo meu Brasil eu te amo
Ninguen segurar juventude do Brasil!

愛するブラジル、大好きなブラジル
僕の心の色は国旗と同じ、緑、黄、白、青、藍色
愛するブラジル、大好きなブラジル
ブラジルの青春パワーは誰も止められない!

2010ワールドカップ・サッカー南アフリカ大会でグループEの日本代表チームがデンマークに3-1で快勝して決勝トーナメントに駒を進めてサッカーファンは元より沢山の日本人がエキサイトしています。
今からちょうど40年前の1970年のブラジルの新年は軽快なマーチのリズムに乗った「応援歌」で幕が開きました。
その応援歌が冒頭の歌詞で、1970年6月に開催された第9回サッカー・ワールドカップ、メキシコ大会に向けてのセレソン・ブラジレイラ(ブラジル・ナショナルチーム)への「応援歌」です。
連日ラジオやテレビから流れるこの応援歌、40年経った今でも鮮明に耳に残っています。

http://www.youtube.com/watch?v=aTcpWd3NnnM&feature=related

ブラジルに赴任して2年目を迎えた私は当時サンパウロ市内に住んでいました。
1970年のW杯のブラジル代表選手はサッカーの王様の別名を持つペレーの4回目の代表入り、そして彼のW杯最後の出場となった記念すべき大会でした。
決勝戦のブラジルvsイタリア戦が行われたのがメキシコシティのアステカスタジアムで、1970年6月21日の日曜日、現地時間の12時(ブラジル時間の午後2時)キックオフでした。
ブラジルのスタメンは:GK:フェリックス、DF:ブリット、ピアザ、カルロス・アルベルト、エベラルド、MF:クロドアルド、ジェルソン、リベリーノ、FW:ジャイルジーニョ、トスタン、ペレ。


その日のサンパウロ市内は決勝戦の始まった時間には「静寂」そのものに変わり、車の姿も全く無く不思議な世界に入ってしまったような印象でした。
全てのブラジル人がその時間には「テレビ」の前でイタリア戦を観戦していたと言っても過言ではありません。
ところが最初の<1点>がブラジルに決まった途端に街中に響き亘る「花火」の音!
サラウンドスピーカーの中心に居るような「音」の洪水に驚かされました。
そして4-1でブラジルのW杯、三度目の優勝が決まった瞬間にパウリスタ大通りは「カルナバル」に早変わりして、勝利に熱狂するブラジル人で溢れ、サンバを踊り、紙テープが舞い、ドラムのパーカッションのリズムが深夜まで街中に響き渡ったのでした。
パウリスタ大通りの直ぐ近くに当時住んでいた私は同僚と一緒に家を飛び出して、勝利の祝いの行進の中に入って♪Eu te amo Brasil を歌いながらフレンドリーなブラジル人たちと一緒に「美酒」を呷ってセレソン・ブラジレイラの勝利を祝ったのでした。
そして、その夜に大統領発表で翌日の6月22日(月)が急きょ国民の「祝日」と決まり、予定していた「業務」が出来ずに困ったことを憶えています。
ブラジルでは国民の祝日に働けるのは病院など極く限られた事業所のみと法律で決められているからです。



想い出写真館

2010年06月19日 | 海外ロングステイ

ピラミッドとスフィンクス<エジプト>

「地球一周の船旅」2001年6月26日(火)の日記から。
100数十キロにも及ぶ細長いスエズ運河の通行は1方通行になっていて、中間地点に設けられた幅広い湖のような場所で上り、下りの船の運航交代をして地中海側からやって来る船の通過待ちをします。 
日によって船の数が変る為、中間地点から地中海へ抜け出せる予定時間がこの場所に到着しないと事前には分からないそうで、運がいい事に我々の船がその地点に着いた時には地中海側からの船が殆ど無くて、ほぼストレートにエジプトのポートサイトに向かう事が出来た為、予定より大幅に時間短縮が出来て夕方6時には上陸が出来ました。 
エジプトに着いての第一印象は同じアフリカの国でありながら、今まで回ったケニア、エリトリアとは全く異なる顔立ちの人々に出遭ったことです。
エジプトの人々の肌は白く、外見もアラブ系の彫りの深い顔立ちに変っています。
上陸二日目は期待していた「ピラミッド群探訪」ツアーに参加しました。 
ルクソールで起こったイスラム過激派のテロ事件から十数年経った今でも、エジプト観光局は観光客の安全を重視して、今回のツアーに仕立てた観光バス10台の列の前後に銃で武装した警察の護衛車をつけてコンボイ編成で約3時間離れたカイロの街へ向いました。 
カイロ市内はさすがに観光とスエズ運河収入で潤っているエジプトらしく活気に溢れていて、市内のあちこちにある立派な建物が目を惹きます。 
最初に訪れたのがサッカラのピラミッドで、砂漠の中に作られた4000年以上も前のピラミッドが悠然と聳えていた。 
次に三大ピラミッドで有名な「ギザのピラミッド」に到着して最初に一番大きなクフ王の大きなピラミッドの前で早速記念写真を撮ることにしましたが、大きなピラミッドだけに全体を一枚の写真のフレームに入れるのが困難でした。 
そして写真でしか見たことのなかった有名な「スフィンクス」の姿を見て大いに感動しました。 
ピラミッドと言えば以前数回出かけたことのあるメシコのチチェンイッツアーにあるマヤ遺跡のピラミッドを思い出しましたが、エジプトのピラミッドは「お墓」で、マヤのピラミッドは「祭壇」と、作られた目的が大きく異なっています。
ただ、マヤのピラミッドの方が幾分保存状態が良好に思え、ピラミッドの頂上へ上らせてくれるのもマヤの遺跡の方だったし、厳かな雰囲気の漂うマヤ遺跡の方に軍配を上げたいと思います。 
エジプトのピラミッド見学で感じたことは何処の観光地でも見かける「土産品売り」の数が多く、その上かなり執拗に迫って来るので閉口したが、土産品の特長がメキシコのマヤ遺跡で売っている品物とかなりの共通点があることに驚きました。 
昼食と夕食で食べたエジプト料理もなかなかの味で、エイシと呼ばれるピザの生地のようなパン、ハマームと言うハト料理、有名なシシカバブーなどなど、どの料理も美味しくいただけました。



ミスドの「寿司ド」

2010年06月12日 | 海外ロングステイ

ミスタードーナツ(Mister Donut)はアメリカ・マサチューセッツ州ボストンで1955年に創業されたドーナツチェーンのブランドで、日本では「ミスド」の略称で親しまれています。
日本への進出は1971年のことで、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドなどと同じく日本で最も早い時期に始められたフード系フランチャイズです。
その「ミスド」のチェンマイのお店で見付けたのが可愛い「SushiDO」、寿司型ドーナッツです。
日本食が大好きなタイ人に日本を代表する「寿司」に目を付けて開発したこの可愛い「SushiDo」、スイーツと「寿司」のミスマッチがいかにもタイらしく、カラフルな色遣いもタイならではのものでしょう。
「イクラ」に似たトッピングは「ゼリー」で出来ていて、味はいたって普通のドーナッツです。
写真の10個入りセットが89バーツ、日本円換算で約250円です。
タイのテレビで流れている「SushiDo」のCMが以下のサイトでご覧になれます。
http://www.misterdonut.co.th/04_tvc/index.php?Id=14



茶碗蒸しは「おふくろの味」

2010年06月05日 | 海外ロングステイ

誰にでも「おふくろの味」の思い出があるでしょう。
「おふくろの味」は、家庭料理によって養われる味の記憶で、母親の持つ暖かいイメージから生み出される優しさに溢れた「味」のことでもあります。
50歳以上の好きな「おふくろの味」ランキングがネットに載っていて、ベスト3が以下の料理に決まったそうです。
1位 味噌汁
2位 肉じゃが
3位 玉子焼き
今思うと私のおふくろはかなり「料理上手」の母親だったと思います。
出来合い(市販品)の惣菜類が嫌いで、「佃煮」や「沢庵」「塩辛」などを新鮮な素材選びから丹念に作ってくれていました。
数ある「おふくろの味」の中でも特に好きだったのが「茶碗蒸し」です。
たっぷりの鶏肉と蒲鉾、そして我が家の茶碗蒸しには子供にはちょっと不似合な「ギンナン」が必ず二粒入っていました。
チェンマイに来て驚いたのはタイにも日本の茶碗蒸しにとても良く似た「カイ・トゥン」というタイ風茶碗蒸しがあることです。
そしてもっと驚いたのは芸術品のような「茶碗蒸し」にチェンマイのレストランで出逢ったことです。
そのレストランとはフェイケーオ通りのチェンマイヒルホテル内の「水仙亭」です。
昼食に時々出かけて「寿司定食」をいただいています。
ランチメニューには寿司定食の他にも「天婦羅定食」、「焼き魚定食」など数種類あって、どの定食にも写真の「茶碗蒸し」が付いているのです。
写真でも分かるように茶碗蒸しの表面に青菜やニンジン、椎茸を使って綺麗な絵柄が浮かんでいて、食べる時に崩してしまうのを躊躇する程綺麗に描かれています。
勿論味も申し分なく、水仙亭の茶碗蒸しを食べる度に「おふくろの味」を思い浮かべています。