ボイボイ日記・ダバオリターンズ

南国フィリピン南部の街ダバオで
はっぴぃな定年ライフを満喫する為の生活情報発信

思い出写真館

2010年05月29日 | 海外ロングステイ

1972年の思い出の一枚です。

ツーショットの美人は「小柳ルミ子」です。
彼女が「わたしの城下町」で華々しくデビューしたのが1971年のことでした。
そして「お祭りの夜」、「雪あかりの町」、「瀬戸の花嫁」と次々にヒットを出して、天地真理・南沙織らとともに「三人娘」と呼ばれ、1970年代前半を代表するアイドルになりました。
その小柳ルミ子が私のブラジル赴任時代にCM撮影の為にサンパウロまでやって来たのです。
あの年はデビュー3作目の「瀬戸の花嫁」が大ヒット中の超売れっ子の歌手だったので、サンパウロの滞在期間は5日間だけで、その間に4種のCMを撮影して行きました。
当時の私は会社の「広告部」で仕事をしていたことから、小柳ルミ子と撮影隊一行と行動を共にしたのです。
かなり慌ただしい中での撮影で、サンパウロ郊外の「牧場」での撮影の時は前以て現地入りし準備していた撮影隊と合流する為に小型ジェット機をチャーターして小柳ルミ子と一緒に現地入りをしました。
そして牧場で2種類のCM撮影を終えた後はバスで夜間に長距離移動をし、翌朝はサンパウロ市内の中心地での撮影に臨みました。
トップの写真が牧場での撮影の合間に撮った一枚で、下の写真が朝のサンパウロ中心街でのロケの後の一枚です。
当時20歳だった小柳ルミ子は、キュートな八重歯でいつも笑顔を振りまいていました。
彼女はその後アイドルというジャンルを卒業し、持ち前の歌唱力を活かした正統派歌手として「冬の駅」「逢いたくて北国へ」「星の砂」「来夢来人(ライムライト)」「お久しぶりね」などのヒット曲を飛ばし、その軌跡として、デビューの1971年から1988年まで、NHK紅白歌合戦に18年連続出場という実績を残しています。
あれから30数年が過ぎ彼女は今は57歳になっています。
先日テレビで最近の彼女を見る機会がありましたが、あの当時の純情イメージからは想像出来ない程の妖艶な熟女に変貌した小柳ルミ子の姿に驚いたり懐かしんだりしているところです。



冷凍食品

2010年05月22日 | 海外ロングステイ

冷凍食品は1900年初めにアメリカであまり日持ちのしないジャム加工用のイチゴを輸送に適するために冷凍にしたのが始まりだそうです。
当時は家庭用冷凍冷蔵庫もなかった時代なので、冷凍食品が一般家庭に広まるのは冷凍冷蔵庫の普及し始めた1920年代(日本では1930年代)以降となりますが、当初は果物などを保存しておくためのものだったようです。
1950年代のアメリカでは、冷凍食品が「未来の食品」としてもてはやされ、冷凍食品を専門に出すレストランまでありました。
本格的に冷凍食品が広く普及したのは日本では1965年以降で、家庭においてテレビなどの娯楽が増えたこと、また食生活が豊かになり、様々な料理が幅広く受け入れられるようになったことによる部分が大きかったと言われています。
この当時、「冷凍みかん」が駅などで売られるようになり、旬と逆の夏場に少し凍った食感のまま食べることが、新しい味覚として受け入れられました。
また1980年代以降には電子レンジの低価格化に伴う家庭への普及が広がって、同時に家庭用の冷凍食品も広く受け入れられるようになって行ったのです。
最近では、有名ホテルを含む名店や名調理人の名前を冠し、味をそのままに冷凍した高級志向の冷凍食品も登場しています。
時々買い物に出かけるカルフール(Carrefour)で写真の「冷凍食品」を見付けました。
カルフールは世界各地にスーパーマーケットチェーンを展開する売上世界2位のフランス企業ですが、チェンマイにはスーパーハイウエイ沿いにあります。
カルフールの「冷凍食品」売り場は行く度にショーケースが増えていて需要の多さが実感出来ます。
最近の傾向は「飲茶」系の冷凍食品の品揃えの多さです。
電子レンジで簡単に解凍・加熱が出来ることから、調理済みの冷凍食品が急激に増えています。
冷凍ショーケースの中で一段と目を惹いたのが写真中央の<本和風若鶏から揚げ>で、日本でもお馴染みの「ニチレイ」のタイ工場が日本の消費者向けに作られた製品です。
日本で販売されている商品と全く同じパッケージになっていて、説明文も全て日本語です。
揚げ立てのから揚げを急速冷凍加工した製品なので、電子レンジで温めるだけで簡単に食べられるところがとても便利です。
後方の2点は左が「シーフード・スパゲティ」、右が「シーフード・おかゆ」です。


思い出写真館

2010年05月15日 | 海外ロングステイ

大西洋の虹と船上大運動会

「地球一周の船旅」-2001年7月18日(水)の日記から。
数日前から船旅仲間から誘われて朝8時30分にスタートする「英会話中級」と引き続き9時10分から始まる「上級コース」に顔を出すようになりました。 
どちらのクラスも参加者は10数名と少なく、毎回テーマを決めてクイズをやったりディスカッションをしたりなかなか楽しい雰囲気で毎回盛り上がっています。 
上級コースが始まる直前に、先生が「皆さん、船の前方に素晴らしい虹が見えます」と教えてくれたので、全員が部屋を出て前方のデッキへ向いました。 
私は「先ずはデジカメ!」と考え、部屋に急ぎ足で戻ってデジカメを手にしてからデッキに出てみると素晴らしい虹のアーチが船の前方に見えました。 
虹の半円の真中をくぐるような体勢で船はゆっくり進んでいます。 
カメラのシャッターを何枚か押した後、船が虹のアーチをくぐり抜ける瞬間を見ようと船の最先端に陣取ってみたものの、美しい虹は間もなく大西洋の空から消えてしましました。 
さて、今日は久々の船内大型イベントが開催されました。 
「大運動会」があると知って、余り広くもないデッキで一体どんな競技が展開されるのか興味がありました。 
参加者は誕生月によって春夏秋冬の4チームに分かれ、またそれぞれのチームリーダーの下で前もって「応援チーム」も結成されていて、午後2時から暑い太陽の下で大運動会が始まりました。 
競技種目は「人間バケツリレー」、「障害物リレー」、「借り人競争」、「早食い競技」、「ジェスチャー」、「騎馬戦」、「綱引き」などなどで、気温の上がったデッキの上で熱き闘いが展開されました。 
私も日頃の運動不足解消には打ってつけと考え、「障害物リレー」と「借り人競争」に出場して健闘しました。 
自分の所属する「秋組」はスタートから好調でトップに居ましたが、最終の騎馬戦と綱引きで惜しくも敗れ、残念ながら第3位に終わりました。
今日は朝から素晴らしい「虹」を見て、午後からは久し振りにいい汗をかくことが出来て充実した一日でした。



スナック菓子

2010年05月08日 | 海外ロングステイ

明治31~2年頃の議会で「ハイカラー」<high collar>のシャツを着用していた洋行帰りの議員たちを「万朝報」がハイカラー党とからかって書き立てたところから西洋風を気どることを「ハイカラ」と呼び、流行を追ったり、目新しいものを好んだりする人たちのことを「ハイカラ族」と言ったそうです。
戦後間もなく日本に米軍の駐留軍人たちがやって来て、私が生まれ育った東京・大森でも良くジープに乗ったアメリカ兵を見かけたものでした。
それまで見たこともなかった「チョコレート」や「チューインガム」を初めて口にしたのもその頃で、『何て美味いものがアメリカにはあるものだ!」と、ハイカラなお菓子に甚く感動したことを憶えています。
タイのスーパーやコンビニに行って良く目にするのが「スナック菓子」で、中には日本でもお馴染みの菓子が店頭に並んでいて、懐かしさが湧いて来ます。
タイのスナック菓子は大きく3つに分類されているようで、一つはタイで生まれ、タイで作られた「スナック菓子」。
二つ目はアメリカが発祥地のポテト・チップスやコーンを使ったメキシコ風の「スナック菓子」で、3つ目は日本生まれ、或いは日本を意識した「スナック菓子」です。
日本でも有名な「グリコ」や「カルビー」がタイに生産工場を持っていて、日本でもお馴染みの「菓子」を製造・販売しています。
日本が発祥の菓子や日本風のスナック菓子には大抵の場合「日本語」が書かれていて、さしずめ「ハイカラ」なイメージを意識している感じがします。
しかし時には間違い表記もあって、思わず笑ってしまうパッケージの商品が店頭に並んでいます。
上の写真の左の商品にはローマ字で<MOOZA>と書かれていますが日本語は「も」が反転していて解読出来ません。
中央の商品の「あとり」はひょっとすると日本の「なとり」を真似た商品かも知れません。
そして右側の「Glico」の製品の<LARB・ラーブ>味は・・・、多分「Harb・ハーブ」の間違いでしょう。
下の写真は日本でもお馴染みの「かっぱえびせん」。
カラフルなパッケージと生きの良さそうな「海老」の絵柄が目を惹きます。



1Q84

2010年05月01日 | 海外ロングステイ

自分は昔から新しいもの好きで、「新製品」とか「新発売」という言葉にも滅法弱く、また<流行>には極力乗り遅れたくはないという性格のようです。
そのことでは色々失敗談もありまして、今から30年以上も前の話ですがソニーが1975年に開発・発売した家庭用ビデオ<ベータマックス>を大枚(当時)はたいて買ったものの、10年後にビクター勢の「VHS」に負けてしまい、渋々VHSデッキを買い変える羽目になったことがありました。
パソコン歴も結構古く、MS-DOSパソコンを80年代初めに買って、当時は年賀状の「宛名印刷」などもやっていましたが、新製品が発売になると欲しくなり、今使っているパソコンはデスクトップ時代から数えて9代目になります。
デジカメも同じで一番最初に買ったものはソニーの製品で、記録媒体が<フロッピー・ディスク>を使用する大型のものでしたが、それなりに重宝しました。
デジカメも今使っているもので7代目になります。
日本を離れて早や11年目になりますが、日本の「情報」には常に敏感で、その情報源の90%はインターネットです。
今やインターネットのお陰で日本は元より世界の様々な情報が瞬時に入手出来る有難い時代になっていて、その便利さのスピードには目を見張るものがあります。
去年の5月に「書き下ろし小説」として新潮社から刊行された「1Q84」が当時のネットニュースで話題になっていて、どうしても読んでみたくなって日本から<Book1>と<Book2>を送って貰い一気に読んでしまいました。
著者の村上春樹は「ノルウェイの森」を読んだだけで、その後余り縁のない作家でしたが、彼の作品は翻訳されてシンガポールや香港、台湾、韓国などでも若者を中心に大きな支持を受けていると聞きます。
Book1とBook2ではスポーツインストラクターであり、同時に暗殺者としての裏の顔を持つ青豆を主人公とした「青豆の物語」と、予備校教師で小説家を志す天吾を主人公とした「天吾の物語」が交互に描かれていて、何となく「続編」を期待させる終わり方でした。
第3部(Book 3)は、当初2010年の夏に出版される予定だったそうですが、その後予定が早められて、去る4月16日に発売されることを知ったので、即予約を依頼して無事5日後にはEMSでチェンマイの私の手元に届いた次第です。
この<Book3>は発売後12日間で100万部を超える売れ行きを更新しているそうです。
Book3では2つの物語に加えて青豆と天吾を調べる「牛河」を主人公とした「牛河の物語」が加わりましたが、(Book4)の続編があるような印象を受けました。