ボイボイ日記・ダバオリターンズ

南国フィリピン南部の街ダバオで
はっぴぃな定年ライフを満喫する為の生活情報発信

思い出写真館

2009年10月31日 | 海外ロングステイ

世界二大運河を渡って。

定年後には必ずやってみようと思っていた「地球一周の船の旅」に行ったのが今から8年前の2001年5月のことでした。
96日間に及ぶスエズ運河、パナマ運河の二大運河を渡るこのクルーズは、今まで旅した中で3本指に入る楽しい旅となりました。
合計17ヵ国を96日間に亘って巡り歩き、初めて訪れる国々の各寄港地で歩いた街、出会った人々、そして船の中で巡り会った素晴らしい友人たちとの出会いの数々。
お金では買えない大切な「想い出」をいっぱい手にすることが出来ました。
この航海で印象に残っているのが<世界二大運河>を渡ったことです。
紅海から地中海へと砂漠の景色を見ながら航行するスエズ運河。
カリブ海から太平洋へと抜けるユニークな水門開閉式のパナマ運河のパノラマを見ながらの航海は圧巻でした。
100数十キロにも及ぶ細長いスエズ運河の通行は1方通行になっていて、中間地点に設けられた幅広い湖のような場所で上り、下りの船の運航交代をして地中海側からやって来る船の通過待ちをします。 
日によって船の数が変る為、中間地点から地中海へ抜け出せる予定時間がこの場所に到着しないと事前には分からないそうですが、運がいい事に我々の船がその地点に着いた時には地中海側からの船が殆ど無くて、ほぼストレートにエジプトのポートサイトに向かう事が出来た為、予定より大幅に時間短縮が出来て夕方6時には上陸が出来ました。 (スエズ運河:写真下)


また、1903年から10年の歳月と3億8,700万ドルを投じて建設されたパナマ運河は、スエズ運河とは全く異なる驚異的な運河と言うのが第一印象でした。 
地球一周クルーズ最大のハイライトのひとつである「パナマ運河」通過では大西洋側から太平洋へ抜ける為には高地にあるガトン湖を越えて行かなければならないので、水位を変えながら航行する為の開閉式の水門(正しくは開門と言うそうだ)が3ケ所設置されています。 
船を開門と開門の中に一旦閉じ込めてから海水を注いで水位を上げ、準備された次の水位の高い(下りの場合は低い)位置の開門を開いて船を徐々に進めながら運河を進んで行きます。 (トップ写真)
そして、パナマ運河の通行が可能なギリギリのサイズ(パナマックスサイズ=船幅32m)の巨大な貨物船が次々に通過して行く様子は正に壮観そのものです。 
1914年、人類史上最大の土木工事の結果完成されたこのパナマ運河の開通によって、世界経済および商業開発の形態が変わり、発展途上国の成長を促進させて顕著な効果を発揮して、その重要性は今では地球的規模にまで広がっております。 
96日間の船旅で訪れた国々は合計17ヵ国で、その中で特に印象に残った国が世界遺産に指定され「アドリア海の真珠」と呼ばれるクロアチアのドゥブロヴニクでした。(写真下)



くいだおれの街、大阪・・・。

2009年10月24日 | 海外ロングステイ

「グリコ」キャラメルが誕生したのが1922年のことだそうで、私が生まれるはるか昔だったのです。
発売当から使っているゴールインマークのランナーの初代は体格も痩せ型であったせいか、表情もどこか険しいものだった為、このゴールインマークを見た女学生から「顔が怖い」とのきつい一言があって、2代目に変更することになったと言うエピソードがあるそうです。
小学生の頃にグリコの「おまけ」のおもちゃが欲しくて、良く駄菓子屋さんに出かけて買ったことを思い出しています。
大阪道頓堀川の戎橋のそばに初めてグリコのネオン塔が立ったのは、1935年(昭和10年)のことで、高さ33mを誇るネオン塔は、トレードマークのランナーとグリコの文字を6色に変化させ、同時に毎分19回点滅する花模様で彩ったものでした。
当時としては型破りのネオンで、一躍大阪ミナミの名物となりました。
5代目になる現在のグリコネオンのデザインは、道頓堀というロケーションを意識して、より親しみを持てるイメージに変わっています。
大阪での滞在ホテルが心斎橋にあったので、徒歩で簡単に道頓堀まで行くことが出来ました。
道頓堀は大阪ミナミの繁華街で、道頓堀に沿う商店街に飲食店が集中していて、グリコネオン、キリンプラザ大阪、かに道楽本店、ふぐ料理のづぼらや、閉店してしまったいだおれ、道とん堀大阪支社、道頓堀ホテル、道頓堀極樂商店街など、多種多様な看板・建物の店舗があふれている地域です。
週末だったこともあって、特に戎橋の上の賑わいは半端ではなく、沢山の若者たちで溢れていました。
「たこ焼き屋」のお兄さんの元気な呼び込みの声も大阪らしさに溢れていて、とてもフレンドリーな印象です。
カラフルなネオン看板を見ていると、ふと香港で見た景色と共通するような色使いを感じました。

        

道頓堀までやって来た以上、外せない場所があったことを思い出して、懐かしい「ぼてじゅう」に入って何年振りかの「お好み焼き」を食べて来ました。
「ぼてじゅう」のお好み焼きを初めて食べたのが20歳の頃で、お好み焼きにマヨネーズとカラシをかけるという東京には当時なかった習慣に戸惑い、且つ美味しかったことが蘇って来ました。

映画「プール」を鑑賞

チェンマイで撮影された映画「プール」が未だ上映中だったので、時間を作って早速映画館に足を運んで来ました。
映画「プール」のキャッチコピーは<理由なんて、愛ひとつで十分だ>で、チェンマイを舞台に、プールがあるゲストハウスに集った5人の6日間の物語です。
小林聡美が主演を務めていて、もたいまさこ、加瀬亮が脇を固めていましたが、小林ともたいを見ていたらその昔深夜テレビで放送されていた三谷幸喜の「やっぱり猫が好き」を思い出してしまいました。


この映画「プール」は漫画家の桜沢エリカが映画化を前提に書き下ろした原作を基に、監督大森美香で制作された映画です。
全編チェンマイで撮影されてはいますが、馴染みのあるシーンは冒頭に出てくる「チェンマイ空港」くらいで、他のシーンは多分郊外で撮影されたようで、見覚えのある場所は全く出て来ませんでした。
テレビドラマのような小品ですが、ほんのりとした気持になって、少し癒された感じで映画館を後にしました。

りんくうプレミアムアウトレット

いよいよ今回の旅も最終日が近付きました。
帰国便の出発が朝9時なので、ロケーションのいい空港の目の前のホテルを予約してあって、少し早めのチェックインを済ませて、予定の行動をスタートさせました。
予定の行動とは前々から興味のあった「アウトレット」の見学です。
アウトレットモールとは1989年代にアメリカで誕生した新しい小売業の形態で、いわゆる「メーカー品」や「高級ブランド品」を低価格で販売する複数のアウトレット店舗を一箇所に集めモールを形成したショッピングセンターのことで、日本では1993年に埼玉県入間郡大井町(現・ふじみ野市)にアウトレットモール・リズムが開業したのがはじまりです。
その後、地方を中心に建設が進んで、2008年までには全国に30ヶ所以上のアウトレットモールがあるそうです。
そのアウトレット・モールが関西国際空港の対岸、りんくうタウンに建ち、約50の有名ブランドを擁する「りんくうプレミアムアウトレット」として誕生したことを知りました。
りんくうアウトレットはアメリカの歴史ある港町チャールストンをイメージして、リゾート感あふれる美しい街並みの中でショッピングが楽しめるのが特長です。
関空からシャトルバスで十数分のところにある「りんくうアウトレット」はまるでテーマパークのようなイメージで、家族連れ、ペット連れの買い物客でいっぱいでした。
季節柄販売されていた商品は「秋・冬物」が中心で、残念ながらチェンマイで使用出来る衣類が殆どなかった為肌着類をゲットして来ました。
モールの中にはレストランが数軒あってどこも長蛇の列・・・。
日本の景気回復を目の前にしたようで、少し安心した気分になりました。



ダバオ~広島~松山、道後温泉へ。

2009年10月22日 | 海外ロングステイ

2年半振りで8年間暮らしたダバオを訪問して来ました。
ダバオの街並みは以前と余り変わりなく、2年半前と同じように活気に満ち溢れていました。
所属していたダバオ日本人会が3つに分裂したことは知ってはいましたが、海外暮らしをする人の多くは個性豊かな人が多い為、改めて異国で日本人の<集まり>を作って運営して行くことの難しさを痛感しました。
ダバオに3日間滞在した後、マニラ経由で関空に向かう機内で懐かしい日本の演歌を聞いていました。
♪長崎から船に乗って神戸に着いた・・・♪ マニラから飛行機に乗って関空に向かっている自分と同じようなシチュエーションの歌詞に親しみを感じながら・・・。
しかし、以前誰かに聞いたことがありますが、長崎から神戸行きの船は就航していないとか・・・。
そんな他愛のないことを考えている中にあっと言う間に関空に到着。
2年半振りの日本の大地に足を踏み出した後、先ずは伊丹の大阪空港へ直行です。
大阪は余り馴染みのない街なので、少し(かなり?)おのぼりさん気分丸出しで、ネットで予約してあった大阪空港前のホテルにチェックイン。
この先広島、松山と移動することになっているので、大きなスーツケースは松山から大阪に戻ってから泊まることにしている心斎橋にあるホテルに宅急便で送る手配を済ませて身軽な格好で広島へ向かうことにしました。
大きなスーツケースはほぼ空っぽ状態で、帰国の時にあれこれと買い物を予定しているので、その為のスーツケースなのです。
広島での目的は「牡蠣」です。
昔から大の牡蠣好きな私は「酢牡蠣」、「牡蠣フライ」、「土手鍋」、「牡蠣グラタン」、「牡蠣カレー」と連日牡蠣のオンパレードでも、飽きることなく連日でも食べられるのです。
前回広島を訪れたのが確か4年程前ですが、その時は宮島に滞在して、昼は「牡蠣フライ」、夜は旅館で「牡蠣づくし」、翌日の昼には「牡蠣のお好み焼き」と、正に牡蠣、牡蠣、牡蠣でした。
広島では行く前から決めていたレストランが、牡蠣船の「かなわ」です。


牡蠣船はその昔、広島の牡蠣養殖業者が、牡蠣を船で大阪の川岸まで運び、そこで直売をしていたことに由来しているそうです。
この牡蠣船に由来する様々な牡蠣料理の魅力を広く伝えたいと、昭和37年、牡蠣船「かなわ」が誕生したそうです。
「かなわ」では旬の牡蠣づくし料理に舌鼓を打って来ました。
「生牡蠣」、「牡蠣フライ」、「土手鍋」、「牡蠣グラタン」、「牡蠣の炊き込みご飯」などなど、瀬戸内海でも最もきれいな海域と云われる大黒神島沖で、大切に育てた身が締まって甘味のある牡蠣を存分に味わって来ました。

<道後温泉と坊ちゃんの街>

道後温泉は日本三古湯の一つと言われている温泉で、その存在は古代から知られている温泉です。
古名を「にきたつ」(煮える湯の津の意)といい、万葉集巻一に記述があるそうです。
かつてはこの周辺が温泉郡(湯郡)と呼ばれていて、「道後」はこの温泉にちなむ地名だそうです。
伊予国(いよのくに)という名前も湯国(ゆのくに)が転じたものという説もあって夏目漱石の小説『坊つちやん』にも描かれ、道後温泉は愛媛県の代表的な観光地となっています。
2009年3月には、ミシュランガイド(観光地)日本編において<2つ星>に選定されました。
道後温泉街の中央にあるのが重要文化財の「道後温泉本館」で、「坊ちゃん湯」の愛称でも親しまれている銭湯感覚で気軽に入浴出来る温泉です。
文豪・夏目漱石が松山中学の英語教師として赴任したのは、本館の完成した翌年のことで、漱石はその建築に感嘆して手紙や後の小説『坊つちやん』の中で「温泉だけは立派だ」と絶賛しています。
実際に漱石は頻繁に通ったそうで、手紙によれば8銭の入浴料で「湯に入れば頭まで石鹸で洗ってもらうことができ」、また3階に上れば「茶を飲み、菓子を食うことが出来た」と書かれています。
この道後温泉本館は年末になると必ずNHKニュースで「すす払い」の映像が流れるので、久し振りに訪問したという気持が薄れていました。
また、道後温泉本館の周辺には温泉旅館・ホテルが建ち並んでいて、夕食前のひとときを各宿の正面玄関前にある「足湯」に浸かったりしながら、宿の湯とは別にわざわざ道後温泉本館まで足を運んで来る観光客の姿が沢山見られます。
そして道後温泉本館の近くの温泉街の外れには「坊ちゃん列車」や「からくり時計」があって、坊ちゃんやマドンナ、赤シャツの出迎えを受ける仕掛けになっているのです。(つづく)



旅の空から・・・。

2009年10月16日 | 海外ロングステイ

先週から久々にチェンマイを離れて「旅」に出ています。
今回の旅先は懐かしの「ダバオ」そして約2年半振りの日本です。
日本は大阪、広島、松山が今回の滞在地で、秋の味覚と「温泉」が主たる目的です。
ダバオでは懐かしい昔仲間と再会して、ダバオ日本人会主催の「日比親善ゴルフコンペ」に参加したり、最近オープンしたばかりの本格的な「日本料理」店で新鮮な海の幸に舌鼓を打って来ました。
関空で降りた後大阪空港(伊丹空港)に移動して広島~松山~大阪~バンコク経由チェンマイが今回の旅程です。
久し振りに訪れた「道後温泉」でのんびりとしているところで、旅日記はチェンマイに戻ってからゆっくりアップするつもりです。


ドラゴンフルーツ

2009年10月06日 | 海外ロングステイ

見た目の派手さが印象的な南国の果物「ピタヤ」。
果皮が竜のウロコのように見えるため「ドラゴンフルーツ」とも呼ばれていて、最近ではこの名前のほうが一般的になっています。
私の最近のマイブームがこの「ドラゴンフルーツ」です。
「ピタヤ」は熱帯地域に生息する数種類のサボテン類の果実のことを指し、ドラゴンフルーツと呼ばれているのはウロコ状の果皮をしたものです。
果肉の中にはゴマのような種子が散らばっていて、果肉はやわらかくサクサクした食感で、キウイと似た感じです。
ドラゴンフルーツは農薬をほとんど使わずに栽培出来るということもあって、最近の日本でも健康志向の自然食としても注目されつつあるそうです。
ドラゴンフルーツには豊富なたんぱく質と水分を含有している他に、多くのビタミンとミネラルを含んでいます。
またナトリウムの排泄を促すカリウムが多く含まれているので、高血圧予防に効果が期待出来るそうです。
一個の大型の果実には、数千から数万のゴマ状の種子が入っていますが気にせずに食べられます。
また、果肉は写真のように紅色と白色がありますが若干の酸っぱさが違うだけですが、赤いドラゴンフルーツの果肉の色は、「ベタシアニン」という色素によるもので、ベタシアニンはポリフェノールの一種で、強い抗酸化作用により「がん」を抑制するとも言われているのです。
市内のフルーツ売り場には今が旬のドラゴンフルーツが山積みになって、沢山売られています。