ボイボイ日記・ダバオリターンズ

南国フィリピン南部の街ダバオで
はっぴぃな定年ライフを満喫する為の生活情報発信

ジョリビー

2014年02月25日 | 海外ロングステイ

ジョリビー(Jollibee)はフィリピン生まれの国内最大のファストフード・レストランチェーン店です。
ジョリビーを運営する「ジョリビー・フード・コーポレーション」はジョリビーの他に、ピザ系のチェーン「Greenwich」、中華料理のファストフードチェーンの「Chowking」、ケーキ専門店チェーンの「Red Ribbon」、バーべキューチキンなどのローカルフードチェーンの「Mang Inasal」、フィリピン国内の「Burger King」と「Delifrance」(パン、サンドイッチチェーン)を運営しています。
ジョリビー・フード・コーポレーションの2013年度の純利益は46億ペソ<約106億円>(対前年比24.5%増)と順調に業績を伸ばしています。
ジョリビーの歴史は1975年に実業家のトニー・タン・カクチョン氏が家族と共にマニラ首都圏のケソン市クバオにアイスクリームパーラーをオープンしたのが始まりで、そこが後に「ジョリビー」の1号店となりました。
ジョリビーは現在フィリピンの他にアメリカ、台湾、香港、ベトナム、インドネシア、シンガポール、ブルネイ、サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦のドバイ、オマーンに進出していて、フィリピン国内に1,941店が営業を展開しています(ジョリビー 733店、Chowking 395店、Greenwich 209店、Mang Inasal 393店など)
そして海外にはJollibee, Chowking, Red Ribbonブランドの店舗が合計562店あります。


米経済誌『フォーブス』によると、カクチョン氏とその家族の資産は2013年時点で17億米ドルに上り、同誌によるフィリピンの富豪番付では、フィリピンの富豪50人の中で11位につけており、国を代表する資産家でもあるのです。
フィリピンには以前から、ファストフード世界大手のマクドナルドやKFCが進出し、ハンバーガーをはじめとしたお馴染みのメニューを提供していますが、フィリピンのファストフード市場では「ジョリビー」が絶大な人気を集め、マクドナルドやKFCに引けをとらないどころか、市場のけん引役となっているのです。
ジョリビーがマクドナルドを超える人気を保持している理由は、フィリピンの食文化に根ざしたメニュー展開にあります。
フィリピン人好みの味付けや、フライドチキンにフィリピン人の主食である「ご飯」を添えたセットメニューを提供していることや、主食以外にもスパゲッティとコーラのセットといったメリエンダ(おやつ)用のメニューやご飯とハンバーグ、ポーク、ビーフ、魚、春巻きなどのセットメニューも充実しているのです。

最近人気がある「Ultimate Burger Steak」はドリンク付きで119ペソ(270円)
冒頭に書いたようにジョリビー・フーズは海外進出に意欲的で、1986年に台湾に進出したのを皮切りに外国での店舗網を広げ、2013年3月時点の海外店舗数は合せて562店に上っています。
こうしたジョリビーの海外進出の特徴は、フィリピン人の海外出稼ぎの広がりに合せて店舗網を拡充してきたことです。
フィリピン政府は自国民の海外への出稼ぎを推進する政策をとっており、フィリピン人は医師や看護師、技術者といった専門職から、建設労働者や家事労働者まで多様な人材を世界に送り出しています。
ジョリビー・フーズはそれに足並みをそろえるように海外事業を広げ、フィリピン人出稼ぎ労働者が多い中東や米国、アジア諸国などで店舗展開を進め、海外に出稼ぎに出たフィリピン人にとって、出稼ぎ先で出会うジョリビーのメニューは「懐かしい味」となっているのです。
そして更に新たな業態の展開などを含め、現在ではフィリピン人出稼ぎ労働者だけではなく、現地の消費者を取り込む計画を推進中です。
これらの国々以外にも、ジョリビー・フーズは巨大な人口を誇るインドやインドネシア、中国など海外での店舗展開を積極化し、2017年までに海外売上を全売上高の半分に高める方針だと伝えられています。
折しも、日本マクドナルドでは昨年からの「大幅減益」、「客足低下」、「売り上げ減」の三重苦に陥っていて、社長の原田泳幸氏が、去年の8月にその座をカナダ人女性のサラ・カサノバ氏に明け渡し、自らは持ち株会社CEOに専念することになりましたが、つい先日その座も失って、「退任」となったようです。
日本のファストフード業界は年々厳しさを増していて、増え続けているコンビニがファストフード店の顧客を奪い合う様相になっていて、天下のマクドナルドも昨年からの業績不振からなかなか抜け出せないようです。
日本マクドナルドホールディングスは2013年12月期の連結経常利益が前期比57.9%減の100億円に落ち込むと発表しましたが、その後も業績悪化の流れは止まらないようです。
そんなマクドナルドに対して、モスバーガーを展開するモスフードサービスの業績回復が鮮明になって来たそうです。
日本生まれのモスバーガーは数年来低迷していましたが、昨年から盛り返して来ました。
同社は、ハンバーガー全24品のうち17品をリニューアルしたことと、国産肉使用の「とびきりハンバーグサンド」シリーズの好調によって、客数が増え、売上高と営業利益に寄与したことが業績回復の要因としています。
つまり商品力の向上が業績回復につながったと言えるでしょう。
低価格商品を出したかと思うと廃止して、今度は高価格商品を投入したりと、価格政策のダッチロールを繰り返しているマクドナルドに対して、一貫して価格競争に参入しなかったところがモスバーガーの戦略でした。
日本でのマクドナルドとモスバーガーの状況は、フィリピンに於けるマクドナルドとジョリビーの販売戦略がオーバーラップするような印象です。
積極的に海外戦略を進めるジョリビー・フード・コーポレーション。
海外には未進出の国や地域もある上、グローバル競争も激化している現在、同社の店舗がどこまで受け入れられるかは未知数です。
また、最近の欧米経済の不安定といった懸念材料もある中で、フィリピン生まれのファストフードが世界市場での競争にどう対応して行くのかが試されることになります。


薬局

2014年02月18日 | 海外ロングステイ

フィリピンでは薬局の整備が充実していて至るところに薬局があります。
何処でも処方箋の薬が買えるし、店によっては24時間営業している薬局も何軒か市内にあり、ドラッグストアでは薬以外にも化粧品や日用品、食品なども購入出来ます。
お医者さまにかかる必要がないと自分自身で判断した人達は薬局に直接行って薬剤師に相談して薬を買って自分で治療することも可能です。
そのようなことからフィリピンでは薬局も一つの医療機関として重要な役割を果たしていると言えるでしょう。
薬局の中には医師の処方箋の必要な強い薬も一部処方箋なしで売っている所もあって問題視されることもあるようですが、このような薬局の直接利用は、医師にかかる経済的な余力のないフィリピンの庶民の方々にとっては仕方のないことかも知れません。



フィリピンで使用されている医薬品は輸入品が多く、ほとんどが輸入品と言っても過言ではないでしょう。
錠剤などには一錠ごとに製品名と成分名を表示するように法律で定められていて、患者が服用している薬品が判り易くなっています。
日本の医者から処方された医薬品をダバオの薬局で確認すると、日本よりも少し安い価格で入手出来る薬品もあります。
フィリピンの薬の薬容量が日本人にとっては多いと言われる事がありますが、販売されている薬一錠当たりの薬容量が多いものも確かに見受けられますが、処方する医師が服用すべき薬容量を決定しているのでそれ程心配する必要はなさそうです。
日本では健康保険などで処方すべき薬容量が制限を受けていて、医師が充分に自由裁量を発揮し難い面があるようですが、フィリピンではそのような制約が無いので医師が日本より多めの薬容量を指定する事があるようです。
また、薬の中には抗精神薬と呼ばれる睡眠薬をはじめとする一群の薬や、麻薬指定の薬、特に何らかの使い方が難しいと考えられる薬品は専門医として使用認可を受けた医師が登録番号を処方箋に記載する事になっていて、処方箋に担当医師の登録番号が記載されていないと薬局は売ってくれません。
これらの薬品についてはさすがに管理が厳しくなっているのです。
ダバオ市内にはRosePharmacy、Mercury Drugなどの薬局店が沢山あり、勿論病院内にも薬局があります。
これらの薬局を良く調べてみると薬局によって同じ医薬品でも微妙に価格の違いがあることが分かります。
見た目は余りパッとしない薬局でも多くの客の姿がある薬局は確実に他の店に比べて安く薬を売っています。


最近あちこちで目にするようになったのが「Generics Farmacy」(ジェネリック医薬品薬局)です。
後発医薬品(ジェネリック医薬品)は先発医薬品と治療学的に同等であるものとして製造販売が承認された医薬品のことで、一般的に開発費用が安く抑えられることから先発医薬品に比べて薬価が安くなっています。
たとえばフィリピンでよく使われる解熱剤の「Paracetamol」という成分の薬でブランド品の<Biogesic>は一錠約5ペソしますが、他の無名のParacetamol薬は一錠1ペソぐらいで売られています。
前述のようにフィリピンで売られている薬は殆どアメリカ産でかなり値段が高いので、処方箋通りにすべての医薬品を買うと、抗生物質一週間分だけで2,000ぺそ以上かかったりもするので、ジェネリック医薬品が出ていないか確認してみるのも節約の一法だと思います。


豆乳パンと大豆粉パン

2014年02月11日 | 海外ロングステイ

フィリピンの人たちの「ご飯好き」&「パン好き」については以前のブログにも書きましたが、相変わらず街のあちこちに自家製のパンを焼いて売っているパン屋さんが目につきます。
同じ東南アジアのベトナムではフランス植民地時代の名残で、フランスパンが大変美味しいそうですが、ここフィリピンでも400年もの間統治していたスペインの影響を大きく受けているようです。
その象徴的なものがパン好きなフィリピンの人たちの定番の「パンデサル」と言うプチパンです。
「パンデサル」はスペイン語で<塩パン>の意味ですが、塩パンと言っても塩辛いパンではなく、ほんのり甘みのあるパンで、フィリピン人はこのパンデサルを朝食の時にホットコーヒーやホットミルクに浸しながら食べるのが大好きなのです。
以前このブログで紹介した「Bread Talk」は日本のパンの味を思い出す美味しい焼き立てパンが買えるので相変わらず人気がありますが、最近SM Lanangプレミアムにオープンした「FRENCH BAKER」もお気に入りのパン屋さんのひとつです。
2週間前の当ブログで紹介した「ChaTime」と背中合わせのお洒落なお店です。



最近の日本ではパン作りの為の小麦粉、米粉に次ぐ第3の粉として、大豆粉がじわじわブームになっていると聞きます。
大豆といえば、豆腐や納豆、豆乳、味噌などに使われ、日本人にはお馴染みの食品ですが、大豆粉は大豆を生のまま粉砕し、加熱せずに粉にしたものです。
きな粉も大豆を使った粉ですが、大豆を炒っているため、厳密には大豆粉ではありません。
大豆粉は小麦粉に比べると糖質がずっと少なく、タンパク質、食物繊維やカルシウムが豊富で、しかも大豆イソフラボンを含む栄養価の高いヘルシーな食材です。
最近ショッピングモールの中のスーパーで目に付いたのが、「大豆粉」や「豆乳」をミルクの代わりに使って焼いたヘルシーなパンです。(トップの写真と下写真)
特に豆乳を使って焼いたパンは食感も「もっちり」としていて、小麦で作ったパンに負けないくらい美味しく出来上がっていて最近ハマっています。
小麦粉で作ったパンよりも低カロリーなのも有難いことです。


ミンダナオ紛争和平合意とその歴史背景

2014年02月04日 | 海外ロングステイ

フィリピン南部のミンダナオ島を拠点とする武装勢力「モロ・イスラム解放戦線」(MILF)と政府との和平交渉が去る1月25日に再度開催されて、MILFが武装解除をすることで合意しました。(トップ写真左ムラドMILF議長、右アキノ大統領)
政府は2012年10月にMILFに自治政府を認める「枠組み合意」を既に交わしていましたが、武装解除の方法などで議論が難航していたようです。
今回の合意で、2016年中に自治政府「バンサモロ」(イスラム系住民の総称)樹立に向けた具体的な法整備や制度づくりに入ります。
今回の合意によって、10万人を超える死者を出し、40年以上も続いた紛争の終結と和平実現が揺るぎないものになると期待されています。
それにしても、これほどの犠牲者を出し、これほど長く続いた紛争の背景は何だったのでしょうか。

世界的探検家マジェランによって1521年に「発見」された北緯10度、東経125度付近に連なる島々を、剣と十字架によって征服しようと企てたスペインが、数回に及ぶ遠征隊を送って、ビサヤ諸島からマニラのあるルソン島にかけて大まかな支配を固めたのは16世紀後半のことでした。
スペイン人はこの群島をスペインのフィリペ王子(後のフィリペ2世)の島々として「フィリピナス」と呼びました。
スペインはこれらの島々に、アシェンダ(大農園)の領主としてスペイン人修道僧を頂点に置き、スペイン人植民者及び中国人移住者と現地の女性との間に生まれたメスティーソやインディオと呼ばれた現地人の一部を支配層とする社会を築いて、住民に租税と強制労働を課しながらカトリックの信仰を広めていったのです。
スペインはさらに、南部のミンダナオ島やスールー諸島へも侵略を企てましたが、そこには既に14世紀以来強力なイスラム社会が存在し、野望は容易には達成されなかったのです。
スペイン人たちは、当地のイスラム教徒に8世紀に北アフリカからイベリア半島へ侵入したイスラム教徒への敵意を込めた蔑称の「モロ」と名付け、何度も大規模な遠征隊を送りましたが、そのたびに撃退されたばかりでなく、逆にイスラム社会から反撃を受け、スペイン支配地区がイスラム教徒からの攻撃にさらされることにもなりました。
こうして報復が報復を生み、以来300年もの間「モロ戦争」と呼ばれる熾烈な戦いが繰り返されましたが、この間にイスラム社会とスペイン人植民者のみならず、スペイン支配地域のキリスト教徒現地住民社会との間にも、修復出来ないほどの憎悪と敵意が生まれることになってしまいました。
そして、スペインによる支配は1898年、米西戦争に勝ったアメリカが2,000万ドルでこれらの島々を買い取った形で、また現地住民の独立運動の成果をかすめ取った形で、米国に取って代わられたのでした。
米軍政の圧迫に反発するイスラム社会に対して米国は、アメリカ・インディアン平定作戦で用いた皆殺し作戦で臨み、1912年、1913年のホロ島での凄惨な戦いを最後に、勇敢に戦ったイスラム教徒の抵抗もついに力尽きて、南部イスラム社会は、初めて北部のキリスト教徒社会と同一の政治支配に組み込まれることとなり、現在につながるフィリピン国家が完成したのです。

フィリピンはその後、日本の軍政と米国の再占領を経て、1946年に独立を果たしますが、南部イスラム社会はまた新たな苦難を迎えることになったのでした。
フィリピン国家の権力はマニラを中心とする北部キリスト教徒民の手に握られ、南部イスラム教徒は偏見と差別に晒されるのみならず、ミンダナオ島では北部キリスト教徒が進める入植や農園、鉱山の開発によって土地を奪われ、生活と社会、文化までも破壊されることとなったのです。
1965年に発足したマルコス政権下でこの傾向は更に強まりましたが、1972年の戒厳令布告によって議会を通じての異議申し立ての道を閉ざされたミンダナオのイスラム青年たちはモロ民族解放戦線(MNLF)を結成して、南部の分離独立をめざして武装闘争を開始したのです。(左写真)
マルコス政権を含め、その後のアキノ、ラモス、エストラーダ、アロヨの各政権とも、米軍と連携した掃討作戦を進める一方で、懐柔や和平を試みましたが、いずれも不徹底さや欺瞞性から失敗を繰り返して来ました。
とりわけラモス政権の1996年の和平協定では、南部4州を自治地域としてMNLFリーダーのミスアリ議長をその長官に据えましたが、一向に改善されぬ状況の中から新たにモロ・イスラム解放戦線(MILF)が台頭し、2000年には政府軍とMILFとの戦闘で約80万人もの難民を出してしまいました。
これが今回、アキノ政権と和平協定を結んだ組織です。
さらに、アロヨ政権が取り組んだ2008年の和平交渉では、ミンダナオのイスラム住民を、独自の歴史と文化を持ち自己統治を行ってきた人々と認め、そのアイデンティティと先祖伝来の土地や資源に関する権利を認めることを基本理念としましたが、これはこの地域に利権を持つ北部キリスト教徒の実業家や政治家の猛反対を受け、最高裁判所がこの交渉に違憲の判断を下したことから、和平自体が葬り去られることとなったのでした。
この時もMILFと政府軍との軍事衝突で約60万人の難民が発生しました。
冒頭に記した「バンサモロ(モロ民族)」の概念と呼称はこのときの交渉で現れたのでした。

このような経緯を経ての今回の和平合意です。
自治政府の実現には今後、政府とMILF、国際機関の代表からなる移行委員会で詳細が詰められますが、政権側には長引く紛争が国際テロ組織の温床になる懸念や、新たな資源と市場への期待からの国際社会からの圧力、MILF側には武器や資金の入手先としてのアラブ世界の変化などに背を押されているとは言え、MILFの数万の兵力の武装解除や憲法改正、またこの和平が既得権をもつキリスト教徒入植者や実業家、政治家をはじめ、キリスト教徒を大多数とする国民一般の理解を得られるか、さらにミンダナオの他の小武装組織がMILFの合意に従うかなどなど、課題はあまりにも多いのです。
日本政府は国際停戦監視団への専門家派遣やMILF支配地域のインフラ整備などに加え、日本国内でアキノ大統領とMILFのムラド議長との極秘会談をセットしたなど、強い関心を深めて来ました。

今後の和平プロセスは「バンサモロ政府(Bangsamoro Government)」(自治政府)の創設に向けた移行プロセスに入ることになり、具体的には今回の合意を基礎とするバンサモロ基本法(Bangsamoro Basic Law)の制定、管轄領域を画定するための住民投票の実施,ムスリム・ミンダナオ自治地域(ARMM: Autonomous Region in Muslim Mindanao)の廃止と暫定移行機関(Bangsamoro Transition Authority)の設置を経て、2016年の自治政府発足を目指すことになります。