ボイボイ日記・ダバオリターンズ

南国フィリピン南部の街ダバオで
はっぴぃな定年ライフを満喫する為の生活情報発信

La Toscanaが移転しました。

2015年03月31日 | 海外ロングステイ

ダバオに数あるイタリアンレストランの中で私の一番のお気に入りの「La Toscana」が最近移転しました。
これまでずっとダバオ・ドクターズ病院向かい側のQuirino大通り沿いで10数年もの長い間営業を続けて来ましたが、このたび市内のセントラル銀行近くに移転しました。
イタリア料理は、フランス料理の原型でもあるそうで、1533年、フィレンツェの名門貴族のメディチ家のカテリーナがフランスのアンリ2世に嫁いでパリに移り住んだ時に、大勢のイタリア人料理人や香料師を連れてイタリア料理や氷菓子、ナイフ・フォークの使い方などのマナーもフランスに持ち込んだそうです。
それをきっかけにして、当時粗野だったフランスの宮廷料理やテーブルマナーが洗練されたそうです。
このように、西洋を代表する世界三大料理に数えられているフランス料理は、イタリア料理の影響を受け、ローマ時代から続くイタリアの食文化が西洋料理の母的存在といわれるのは、こうした歴史によるものと言えます。
イタリア料理はいまや世界中で食べられるようになっていますが、イタリア人の、特に料理人の目から見ると、その多くはイタリア料理とは言えないものもあるそうです。
世界のイタリア料理を正しい道に導くため、イタリア北部の都市パルマにあるフードアカデミー「Academia Barilla」は、外国人向けのイタリア料理に関する10の掟を発表したそうです。
その10の掟の中には、日本人としては耳の痛いものがあります。
「パスタにケチャップをかけてはいけない」、これはイタリア人をひどく不快にさせる行為なのだそうです。
 Academia Barilla ではこれを『許し難い罪』であると定義しているそうです。
イタリア料理に関する多くの著作を持つ Gennaro Contaldo 氏はケチャップの使い方について次のように説明しています。
『わたしは良質なケチャップなら好きで、その用途は、チップスに限定すべきだ』と・・・。
ケチャップを大胆に使用したパスタメニュー「スパゲティ ナポリタン」を発明してしまった日本人としては、なんとも耳の痛い忠告になりますね。
そして、2010年にはギリシャ料理、スペイン料理、モロッコ料理と共に、イタリア料理が地中海の食事として、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。
イタリア料理は、ダバオでも人気のある外国料理で、市内にはイタリア料理レストランが沢山あります。
数あるイタリア料理の店で私が一番気に入っているレストランが<La Toscana Italian Bar & Restaurant>です。
オーナーシェフのPieroさんはイタリアから14年程前にダバオにやって来てこのレストランを開き現在に至っているので、ダバオで本場イタリアの味を提供してくれる最古のレストランなのです。
La Toscanaが移転した場所は閑静な場所にあって、以前に比べて広々としていて全体に明るくなりました。
メニューは以前と変わらず、勿論味も以前と全く同じで、ダバオに居ながらイタリアで食事をしている錯覚を受ける程美味しい味に感動すら覚えます。
そして「ワイン」のストックも店が広くなった分増えたようです。
新しい場所は敷地も広く、駐車場スペースも広々していて、年内にはレストラン脇のお洒落なハウスに「BAR」もオープンする予定だそうです。(写真右上)

La Toscana
住所:Arellano st.Davao city (セントラル銀行近く)
営業時間:月曜日~土曜日 10:30am~10:30pm
電話: 082-305-6556


映 画

2015年03月24日 | 海外ロングステイ

今から60年程前の私の小・中学生時代には年に数回、クラス単位で「映画鑑賞会」があって、学校の近くの映画館で色々な映画を見たものでした。
小学生の頃にはディズニー映画の「白雪姫」、「ダンボ」、「シンデレラ姫」、などで、中学に入ってからは「原爆の子」やディズニー映画の「ファンタジア」、「グレンミュラー物語」などなど、今でも記憶に残っています。1952年に公開されたアニメーション映画の「シンデレラ姫」がディズニープロで実写版の「Cinderella」として製作されて、先日からダバオ市内の映画館で一斉に公開されています。
日本では4月25日からの公開になるそうです。
早速Abreezaモールのの中の映画館で観賞して来ました。
イギリス出身の新星リリー・ジェームズがシンデレラに扮していましたが、CGもふんだんに使った上質のファンタジー映画の仕上がりに大満足で見終わりました。
そして60年以上も前の「映画鑑賞会」のことを思い出し、懐かしさに暫し浸ることが出来ました。
私が初めて映画を見たのは物心のついた小学生の低学年の頃で、冒頭に書いた学校の映画鑑賞会で見たディズニーの長編アニメーション映画の「白雪姫」でした。
この「白雪姫」は記録によると日本での公開が1950年9月26日となっていますので、私の小学校2年生の時でした。
当時の我が家の近くには「映画館」が5か所もあって、映画が身近に感じられ、テレビなど無かった時代なので、「映画」は当時の最大の娯楽だったのです。
小・中学生時代に良く見た映画で憶えているのが「ターザン」映画や、アメリカ映画のアボット&コステロのお笑いコンビの「凸凹シリーズ」で、邦画では「ひめゆりの塔」、「七人の侍」、「二十四の瞳」、「ゴジラ」などが印象に残っています。
そして、1951年にヴェネツィア映画祭で黒澤明の「羅生門」がグランプリを受賞したことで、アジア映画の作品レベルを世界に示したことも印象に残っています。

<青春時代の思い出映画>
高校~大学時代には映画が更に大好きになって、有楽町の映画館に足繁く出かけたものでした。
1955年に公開された「エデンの東」と、1962年に見た「シベールの日曜日」(フランス映画)が私の青春時代にラストシーンで涙腺が緩んでしまった二大作品として今でも深く印象に残っています。


また1961年に公開された「ウエストサイド物語」のミュージカル映画に衝撃を覚え、ハリウッドのミュージカル映画に一時期嵌ったことも憶えています。
「南太平洋」(1959年)、「シェルブールの雨傘」 (1964年)、「マイ・フェア・レディ」 (1964年)、「メリー・ポピンズ」 (1964年)、「サウンド・オブ・ミュージック」 (1965年)、「オリバー!」 (1968年)、「ファニー・ガール」 (1968年)、「キャバレー」 (1972年)などなど、当時公開されたミュージカル映画は全て見ています。

<ブラジル赴任時代の思い出映画>(1969年~1979年)
10年間のブラジル赴任時代の初期には、極力ポルトガル語に馴れようと、ブラジル映画を見ていました。
当時のブラジル映画は「喜劇」が多く、言葉の壁に阻まれて内容を理解出来るようになるまで半年以上かかったことを思い出しました。
ブラジル映画で今でも印象に残っている作品はブルーノ・バレット監督の「ドナ・フロールとふたりの夫」(Dona Flor e Seus Dois Maridos)(1976年)です。
当時テレビドラマなどで大人気だった女優、ソニア・ブラガの主演作品で、ブラジル映画史に残る最大のヒットの一つです。
国際的にも成功をおさめた作品で、ブラジル人の文豪ジョルジェ・アマードの小説が原作で、フロール婦人とその2度目の夫、そして亡くなった前夫の魂との三角関係を取り扱ったコメディ映画です。
そしてブラジル時代の映画の思い出で忘れられないことは「日本映画」を良く見に行ったことです。
当時のサンパウロ市内には日本映画を常時上映している映画館が3館ありました。
松竹映画を上映すす「シネ・ニッポン」、東映映画を上映する「シネ・ニテロイ」、東宝映画を上映する「シネ・ジョイア」で、各映画館で上映される日本映画は法律でポルトガル語の字幕スーパーを入れなければならなかった為、日本で上映されてから約1年遅れで公開されていました。
ブラジル時代には、この邦画専門上映館の3館でフーテンの寅さんの「男はつらいよ」シリーズ、先日亡くなった高倉健主演の「網走番外地」、「緋牡丹博徒」、「仁義なき戦い」などを日曜日になると見に行っていたことを良く憶えています。

<ダバオ時代の思い出映画>(1999年~)
ダバオで上映されている外国映画はほぼ100パーセント「ハリウッド映画」です。
フィリピンの国産映画も数多く上映されていますが、「フィリピン語」が全く出来ないので、映画館で見たことが残念ながらありません。
ダバオで公開されるハリウッド映画のほぼ全てがアメリカと同時公開されるのが特長で、その理由は「英語」を公用語としているフィリピン人には「字幕スーパー」が不要だからと言えます。
日本ではハリウッド映画の公開日は作品の内容やターゲットを考えて、観客動員数を最大に確保する為に計画的に公開日が決められるので、ダバオで公開されてから数ヶ月後の公開になることがしばしばです。
日本で昨年3月に公開されて大ブレークした「アナと雪の女王」はダバオでは2013年11月にアメリカ公開と同時に「FROZEN」というオリジナルタイトルで上映された映画だったので見逃してしまい、その後ダバオのケーブルテレビで配信された時に見ることが出来ました。
日記のメモからダバオで見た映画の中で印象に残っている作品を古い順から以下に書いてみました。
「ミッション:インポッシブル2」、「ハリーポッター」シリーズ、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ、「マトリックス」シリーズ、「ラストサムライ」、「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」、「宇宙戦争」、「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」、「マンマ・ミーア!」、「アバター」、「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」、「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」、「RED/レッド」、「バイオハザードV:リトリビューション」、「アメイジング・スパイダーマン」、「レ・ミゼラブル」、「パシフィック・リム」、「GODZILLA ゴジラ」、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」、「猿の惑星:新世紀(ライジング)」、「トランスフォーマー/ロストエイジ」などなどです。


今年もハリウッド映画は期待の大作が目白押しと聞きます。
「STAR WARS エピソード7」、「ターミネーター5」、「パイレーツ・オブ・カリビアン5」、「ミッション:インポッシブル5」、「ファンタスティック・フォー」などの公開が待ち遠しい昨今です。

  <映画シンデレラの開演前に上映される「アナと雪の女王/エルサのサプライズ」の予告編>
     


ダバオの日(Araw ng Dabaw)

2015年03月17日 | 海外ロングステイ

ダバオ市はフィリピン南部ミンダナオ島ダバオ地方 (Davao Region, Region XII) のダバオ・デル・スル州にある街で、メトロ・マニラ、メトロ・セブ(セブ市とその周囲)に次ぐフィリピン第3位の都市です。
面積2,400km2、2010年現在の人口は約145万人で、国際空港と港を持ち、フィリピン南部の政治・経済・文化の中心地でもあります。
ダバオ市は州からは独立していますが、ダバオ・デル・スル州の一部として見られることもあるようで、ダバオ地方の中心都市としても位置づけられています。
2,400km2もの広さを誇るダバオ市は世界最大の行政面積を持つ都市の一つともされていて、人口は145万人ですが、昼間人口は約200万人に膨れ上がります。
スペイン人による征服は19世紀と遅く、それまでは先住民やイスラム教徒が集落を開いて暮らしていました。
ダバオ市が発展したきっかけは、20世紀初頭の日本人によるアバカ(マニラ麻)栽培の農園経営で、当時は約2万人の日本人が住む東南アジア最大の日本人街がありました。
ダバオ市には現在でも多くの日系人が住み、定年を迎えた日本人の移住先としても注目されています。
現在は木材の積出港であるほか、郊外にはドール社による広大なバナナプランテーションが広がり、その加工や輸出でも有名な街でもあります。
そして最近はアメリカ企業によるコールセンター業務などのアウトソーシング先として開発されていて、巨額の収益が期待されています。
ダバオ市が昨日の3月16日で78年目の市制記念日を迎えました。
ダバオには年に2回大きなお祭りイベントがあって、一つが毎年3月16日の「ダバオの日」を祝う市制記念日のお祭りアラウ・アン・ダバオ「Araw ng Dabaw」で、もう一つのお祭りは8月に行われるカダヤワン・フェスティバル「Kadayawan Festival」(収穫祭)です。



Araw ng Dabaw祭りは毎年3月に入ると直ぐに祝賀ムードになり、今年は去る9日にリサール公園でオフィシャル・オープニングのイベントが開催され、スタートを切り、16日の市制記念日当日に行われる市内パレードでピークを迎えます。
3月16日は「祭日」で、市民全員が76回目の市制記念日を祝います。
ダバオ市制記念日週間には市内のショッピングモールでは特別セールも開催され、各モールのイベント広場では有名アーチストによるショーなどで集客を促進しています。

また「ダバオの日」(Araw ng Dabaw)の期間中には毎年2つの大きなイベントがあります。
一つは「Datu Bago Award」(ダトゥ バゴ賞)という市民栄誉賞の受賞者の発表です。
Datu Bagoはスペイン統治時代に勇敢に立ち向かって闘ったダバオ生まれの英雄で、彼の栄誉を讃えて毎年「市民栄誉賞」の受賞者が選出されて授賞式が開催されます。
今年は8名の市民が選ばれて、去る14日の授与式でその栄誉が称えられました。
もう一つのイベントは、Mutya ng Dabaw(ミス・ダバオ)コンテストで、2月末に自薦、他薦の応募者を募り、書類・写真審査を経た後予選が行われ、去る2月28日に15名のファイナリスト
が決まりました。
Mutya ng Dabawは美と才能とダバオの発展のための提案を競うイベントで、最終審査が14日に行われ、Mutya ng Dabaw 2015が決定しました。
今年のミス・ダバオに選ばれたのはアテネオ大学で学んでいる21歳のKris Abegail C. Guanzonさんでした。(写真下中央)




フェルクリス セントラーレ

2015年03月10日 | 海外ロングステイ

ダバオに最近新しい大型商業センターがオープンしました。
「Felcris Centrale」(フェルクリス・セントラーレ)が先月、ドテルテ市長を迎えてオープニングセレモニーが執り行われました。
Felcris Centraleはショッピングモールの他にオフィススペース、ホテル、コンドミニアムの複合施設で、先月オープンしたのは商業エリア部分で、この先順次オフィスやホテル、コンドミニアムが完成する予定です。
ダバオ川の手前にあるLTO(陸運局)の直ぐ目の前に完成したセントラーレのモダンで美しい建物は人々の目を惹いています。


フェルクリス・セントラーレの床面積は、54,000平方メートルで、12階建ての建物の1,2階部分は、スーパーマーケット、ブティック、レストラン、専門店を完備したエンターテイメント・センターが特長で、3階から10階まではオフィス、ホテル、コンドミニアムが年内に完成する予定です。
私が1999年にダバオ暮らしを始めた当時、市内にはVictoria Plaza、Gaisano Mall, Gaisano South Mall, 中華街のNCC Mallの4つのショッピングモールがあっただけでしたが、その後ダバオ市内には新しいショッピングモールの開業が相次ぎ、エコランドにSM City Mallが出来、引き続いてマチナにNCCC Shopping Mallがオープンしました。
更に2010年から2011年にかけてAbreeza Mall, SM Lanang Premium Mallが開業して、現在のダバオ市内にはこのFelcris Centraleを入れて9つのショッピングモールが営業を続けています。
「Felcris」の名前は中華系のYap(葉)ファミリーに由来します。
Yap家の長男のフェリペ(Fel)と妹のクリス(Cris)の兄妹が1969年9月19日に会社を設立したことが始まりで、Felcrisはダバオ市内のアンダ通りで織物を売る小じんまりした小売店が始まりでした。
その後同社は順調に成長を遂げ、1976年11月に「Felcrisスーパーマーケット」が開業しました。
マグサイサイ大通りにオープンしたFelcrisスーパーマーケットはダバオ市で初の充実したスーパーマーケットになったのでした。
その後アメリカの会員制大型ディスカウントショップの成功に刺激を受けて、Yapファミリーは1991年7月14日にダバオ・セントラル会員制大型ディスカウント店社をつくり、Agdaoに開店したダバオ・セントラル会員制大型ディスカウント店は、最も安い価格で消費者にサービスを提供するフィリピン最初の会員制大型ディスカウント店になりました。(右写真)
その後1997年3月12日に24時間営業の「ダバオ・セントラル・コンビニエンスストア社」を設立し、ダバオ市内に現在100店舗近いコンビニが営業を続けてしていて、Yapファミリーはダバオのコンビニエンスストア産業の先駆者でもあるのです。





ダバオでシュラスコ

2015年03月03日 | 海外ロングステイ

その昔仕事で10年の間ブラジルに赴任していたことがあります。
サンパウロに9年、リオ・デ・ジャネイロに1年暮らしていました。
今では成人して大きくなった二人の子供たちがブラジル生まれということもあって、私にとってのブラジルは正に「第二の故郷」なのです。
10年の間のブラジル暮らしは仕事面でも私生活面でも新鮮なことばかりで大変充実していて、思い出話を始めたら丸一日かかっても話し切れないと思います。
そして今でもネット上で「BRASIL」や「ブラジル」の文字を見ただけで心が騒ぎ出す程ブラジル・フリークになっています。
折しもつい先日世界的に有名な「カーニバル」がブラジルで開催されて、今年は日本とブラジルが外交関係を樹立して120周年を迎える記念すべき年にあたることもあって、サンパウロで開催されたカーニバルのパレードに、東日本大震災からの復興を祈る青森県五所川原市の「立佞武多(たちねぷた)」の山車が外国の山車として初めて参加しました。
青森からおよそ40日かけて運ばれてきた高さ15メートルの山車は、東日本大震災で亡くなった人たちの鎮魂と復興への願いを込めて、鹿嶋大明神が地震を招くと伝えられる「なまず」を抑え込む様子が表現されていました。
山車がおよそ1時間にわたってサンバの踊り手とともに会場を行進すると、観客からは地元の山車とは異なる鮮やかな色彩の作品に大きな歓声が上がっていたそうです。
そして「ブラジル」と言えば美味しい「食」の思い出も沢山あります。
中でもブラジルを代表する「シュラスコ」と「フェイジョアーダ」は10年間のブラジル生活の中で数え切れない程食べました。
シュラスコ(ポルトガル語ではシュハスコ)は、鉄串に牛肉や豚肉、鶏肉を刺し通し、荒塩(岩塩)をふって、炭火でじっくり焼いたブラジルをはじめとする南米の肉料理です。
スペイン語圏では「チュラスコ」又は「アサード」と呼ばれていて、アルゼンチン、ウルグアイ、ボリビアなどでも供される肉料理でもあります。
シュラスコを提供するレストランをブラジルでは「シュハスカリア」(churrascaria) と呼んでいて、牛肉を中心に豚肉、鶏肉などの肉(中には鶏のハツなども含まれる)の様々な部位を串刺しにし、ギャルソン(牧童の格好をしている場合はガウーショ)と呼ばれるウエイターが串ごと客のテーブルに運び込み、目の前で食べたい量を切り分けるというスタイルが特長です。
もともとはブラジル南部のガウーショ(牧童)たちが行う料理法であったものが、1970年代からブラジル都市部のレストランでも供されるようになりました。
日本にも1990年代にシュラスコを売り物にしたブラジル料理、肉料理のレストランが数多くオープンしてブームになりましたが、その後バブル崩壊とともに減少してしまいました。
しかし、嬉しいことに最近各地で再びシュラスコ・レストランは増えつつあるようです。
そんな思いで深い「シュラスコ」がダバオで食べれたらいいな・・・、と常々思っていたところ、最近ダバオに「シュラスコ・レストラン」があることを知って、早速出かけて来ました。


約1年半程前にオープンしたダバオ初登場のブラジル料理のレストランは「JUNO Churrasco」(ジュノ・シュラスコ)で、マチナ・タウン・スクエア(Matina Town Square)の中にあります。
Uno AyalaさんとJoy Quimsingさん二人の共同経営のレストランで、二人の名前の頭文字から「JUNO」と名付けられたそうです。
ブラジル料理の店を始めるきっかけとなったのはUnoさんがシンガポールに留学中に見付けたお気に入りのシュラスコの店があって、その店に月に2回のペースで通う程シュラスコファンになったことから、ダバオに戻った後もずっとシュラスコの店のことが頭から離れずにいたそうです。
そして友人のJoyさんを誘ってダバオには無いブラジル料理のレストランを始めようと決心したそうです。
Unoさんはシンガポールでいつも食べていたシュラスコ料理の味を思い出しながら見よう見真似でブラジルスタイルのバーベキューの味付けなどを研究開発して開業にこぎ着けました。
Junoシュラスコではブラジルスタイルの「Rodizio」(食べ放題)がいつでも食べれる他、アラカルトメニューもあります。
Rodizioには牛肉のPicanha(イチボ)、豚肉、鶏肉、自家製ソーセージ、鶏レバーのベーコン巻きなどが次々と運ばれて来て、一通り終了するとお好みの肉をリピート出来ます。
Joyさん(女性)の作った”chimichurri”風の特製バーベキューソースの味も絶品です。


また、このRodizioコースにはブラジル名物の「フェイジョアーダ」も提供されていて、久々にフェイジョアーダの味も満喫出来ました。(写真上、中央下)
「フェイジョアーダ」(feijoada)は、黒豆と豚肉、牛肉などを煮込んだ料理で、ブラジルの他に、ポルトガル、アンゴラ、東ティモールなどポルトガルおよびその旧植民地で食べられていますが、各国で独自の発展をとげてきたため、使われる素材は国によって異なります。
ブラジルのフェイジョアーダの特長は豚肉の他に「豚足」、「豚耳」、「ソーセージ」、「ベーコン」などを黒豆と一緒にじっくり煮込んだ料理で、土曜日の昼食の定番メニューになっています。
久し振りに食べた「シュラスコ」と「フェイジョアーダ」を味わいながら暫し懐かしいブラジル時代のことを思い出すことが出来た一日でした。

  JUNO Churrasco

場所:Matina Town Square
電話:0932 195 8603
営業時間 :18:00 - 0:00

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