ボイボイ日記・ダバオリターンズ

南国フィリピン南部の街ダバオで
はっぴぃな定年ライフを満喫する為の生活情報発信

追悼式

2011年04月29日 | 海外ロングステイ

昨日は東日本大震災で尊い命を落とされた方々の49日にあたる日でした。
チェンマイの「元日本留学生協会北部支部」や「チェンマイ大学人文学部」などが中心となって、今回の大震災で亡くなられた方たちのための追悼式が市内の<3人の王様像広場>で昨晩開催されました。
タイ国の元日本人留学生協会はアジア地域の元留学生会の中で最も長い歴史を有し、タイでは「ソーノーヨー」の名で親しまれています。
会場となった広場に集まった約300名の参加者の約4割が在チェンマイの日本人で、特設舞台には日本語表記もあってタイ人の日本への熱い思いが強く伝わって来ました。
定刻の19時に追悼式が始まり、元留学生協会北部支部の支部長の挨拶に引き続いて参加者全員に配られたロウソクに火を灯し1分間の黙祷を行いました。
      

引き続いて在チェンマイ日本国総領事の挨拶の後主催者側から義捐金の贈呈がありました。
そして式の最後には参加者全員で被災者へ向けて歌で元気を届けようと、日本の歌3曲を合唱して追悼式は無事終了しました。
皆で歌った楽曲は「花~すべての人の心に花を~」(タイ語)「上を向いて歩こう」(日本語)「花 HANA」(タイ語&日本語)を歌いましたが、その中で印象に残った歌が3曲目の「花」(谷村新司作詞・作曲)で、美しいメロディーにタイ語がぴったりマッチして、まるでタイの楽曲のような印象を受けました。
(花 HANA はな・タイ語/日本語) 谷村新司:作詞・作曲
http://www.youtube.com/watch?v=Lt--_1vqhac&feature=related
        


思い出写真館

2011年04月23日 | 海外ロングステイ

ローマの休日

英語のことわざにはローマ発が多いことに気が付きますが、ローマに関することわざは主張が強く命令口調ですが妙に納得してしまいます。
All roads lead to Rome.
すべての道はローマへ通じる
ローマ帝国全盛時に世界各地の道がローマに通じていたことから、手段は異なっても目的は同じであることのたとえ。
Rome wasn't built in a day.
ローマは一日にしてならず
When in Rome, do as the Romans do.
ローマにいるときは、ローマ人のするようにせよ
そんなローマを初めて訪れたのが2002年2月のことでした。
あのオードリーへプバーン主演の名画「ローマの休日」やフェリーニの「甘い生活」の中での「ローマ」のイメージはかなり強烈なものがありました。 
初めて訪れたローマはあの数十年前の映画の世界がそっくりそのまま目の前に迫って来て、かなりの迫力のある街というのが第一印象でした。 
ローマの歴史が始まったのは紀元前753年頃からと言われていますが、その2750年もの長い間繰り広げられたドラマの息吹が、今でも感じられるのが「ローマ」の印象でした。 
早速映画「ローマの休日」にも登場した「スペイン広場」に出かけてみました。
        
到着して先ずびっくりしたのは日本人の若者(男女)がいっぱいだったことです。 
ちょうど卒業旅行シーズンでもありますが、若者たちがローマに惹かれる理由はやはりローマには、ファッション、グルメ、歴史などなどの魅力が満載だからでしょう。 
そのスペイン広場から歩いて10分ほどの所に、これも有名過ぎるほど有名な「トレビの泉」があります。 
後ろ向きでコインを投げ入れるとローマを再び訪れることが出来る・・・、という伝説はあまりにも有名です。 
このトレビの泉は紀元前19年に水道の放水口として建造されたもので、デザインは当時のコンクールで決まったそうで、ネプチューンが中央にたち、両脇のトリトンは一方はおとなしい海馬を引き、もう一方は暴れている海馬を手なずけようとして海の2つの姿を象徴しているそうです。
次に向かったのは、これもローマでは見逃せないコロッセオ(円形闘技場)です。 コロッセオは紀元80年に完成されたもので、猛獣と剣闘士の凄惨な戦いの見せ物場だったそうです。(トップと下の写真) 
建物は巨大な楕円形で今でも当時の威容をしっかり偲ぶことが出来ます。 
床部分がなくなっていて、最初は一体どうなっているのか良く分からなかったものが、後で説明を見てそこが当時の地下の舞台裏で、猛獣の檻や出番を待つ剣闘士の部屋などだった小部屋の集まりと知りました。
今回の旅でイタリア滞在でミラノはほんの半日だけでしたが、ベニスとローマに数日居て感じたことのひとつに「何てパスタ&ピザの店が多いのだ!」ということです。 
イタリアに居るのだから当たり前、と言えば当たり前なのだが、パスタやピザは正直言って2日連続で昼、夜と食べたら飽きてしまう・・・。 
街中全てを調べた訳ではないので間違っているかも知れないが、イタリアの街は「パスタ、ピザ」レストランのオンパレードなのである。 
たまに目にするのが「中華料理店」くらいで、フレンチレストランとかスペイン料理などは全く目にしなかった。 
それとこれは2回目撃したので多分そうした習慣だと確信したちょっと変わった食習慣をイタリアンレストランで目にしました。 
地元のイタリア人にとってパスタ料理は言わば前菜で、パンを食べながらパスタを食べている光景にはそれほど抵抗はなかったが、驚いたのは「サラダ」を最後に食べる習慣でした。 
自分の今までの経験から、先ず前菜を食べて、それからスープ、サラダ、メインディッシュと進んで行くのが何となく胃袋にも優しいイメージを抱いていたのだが、イタリアではそれが覆されました。 
しかし2日目の夕食を取ったレストランのボーイは私が頼んだ料理を出す順番を聞いてくれたので、外国人はイタリア人とは少し違った順番で食べるという意識があったようです。         


ソンクラーン2011

2011年04月16日 | 海外ロングステイ

今年もタイのお正月、ソンクラーン(水掛け祭り)がやって来ました。
13日の水曜日から15日の金曜日まで、今年もド派手なパフォーマンスがチェンマイ市内で繰り広げられていました。
今年のチェンマイのソンクラーンの特長はお天気に恵まれなかったことでしょう。
去年の12月、今年の1月、そして3月と、普段の年には先ず有り得ない「雨」がチェンマイに降って驚いたものでしたが、そんなこともあって、今年はいつもは靄に隠れて見えなくなるドイ・スーテップの山が毎日クッキリと見えていたのも特長的で、季節外れの雨のせいだったようです。
ソンクラーン初日の昼前から冷たい雨が市内に降り始めて、気温がぐっと下がって涼しくなってしまったので、<水掛け隊>の乗ったピックアップからの放水は少し控え目になったのでは?
13日の初日は「引き篭もり状態」で、部屋でDVD観賞を決め込んでいましたが、「水掛け」は新年の縁起ものでもあることから、2日目にお向かいのセンタンに出かけて<ソンクラーン・ロック・フェスティバル>の様子を見に行って来ました。
大通りは若者たちで溢れていて、センタンとお向かいにある階段広場の二ヶ所で地響きを上げながらロックのリズムが鳴り渡る中を水が飛び交い、私もしっかりソンクラーン2011年の縁起のいい「水」を浴びて来ました。


大変身!Topsマーケット

2011年04月09日 | 海外ロングステイ

お向かいのカド・スアン・ケオー(通称センタン)の中のスーパーマーケット<Tops>が最近リニューアル大変身を遂げました。
暫くの間店内に囲いが出来、何か工事をしていましたが、あっと言う間のリニューアルでした。
トップス・マーケット(Tops Supermarket)は1996年からタイ国内で主にスーパーマーケットを展開する企業<セントラル・ディテイル・コーポレーション>の傘下で、トップス・マーケットの他に、トップス・スーパー、トップス・デイリー、セントラル・フード・ホールなどのブランド名の店舗を展開しています。
タイ国内で154店舗を展開している最大のスーパーマーケットチェーン店で、バンコクに102店舗、地方都市に52店舗あって、チェンマイにもセンタン店の他にもエアポート・プラザ店、タニン市場近くなど数店舗で営業展開しています。
元々欧米系の商品が充実しているスーパーですが、「日本食材」もかなり置いてあるので、日常的に利用している便利なスーパーです。
今回のリニューアルでは「生鮮食品売り場」が拡大・拡充して、特に「惣菜類」、「お弁当類」、「チーズ類」、ハム・ソーセージなどの「加工肉製品」、「冷凍食品」などが増えて、以前に増して客足も伸びている印象です。
リニューアル後に店頭に登場した韓国料理の定番「ビビンバ」が最近のお気に入りです。(写真下)
トッピングされたナムル野菜の種類も豊富で、スパイシーなコチジャンの味も大満足で、1個50バーツ(約140円)の価格も良心的です。


坂本九 上を向いて歩こう 東北地方太平洋沖地震 Pray for Japan!!

2011年04月01日 | 海外ロングステイ

坂本九 上を向いて歩こう 東北地方太平洋沖地震 Pray for Japan!!

震災3日目にインターネットのアンケートで被災者が求めたのは<水>、<正しい情報>に次いで歌だったそうです。
絶望の淵に近い状態になると、人に必要なのは1行の詩であり、歌は心の癒しになるのでしょう。
幾つかの避難所で「上を向いて歩こう」と子どもたちのために「アンパンマンのマーチ」が流されたそうです。
「アンパンマンのマーチ」はアンパンマンの生みの親の高知県出身のやなせたかしさんの作詞で、『そうだ うれしいんだ 生きる よろこびたとえ 胸の傷がいたんでも』の歌詞が胸にしみます。
「上を向いて歩こう」は永六輔作詞、中村八大作曲で、1961年4月からNHKで放送されていたテレビ番組「夢であいましょう」の10月、11月の「今月のうた」として発表され、同年10月にレコードが発売されると爆発的なヒットとなった坂本九が歌った楽曲で、日本歌謡曲史上の最大の傑作の一つと言われています。
「幸せは雲の上に 幸せは空の上に 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 泣きながら歩く 一人ぼっちの夜」 ・・・中村八大のメロディーに乗せて、さびしいんだけど明るい、悲しいんだけど、前を、上を向いて希望を捨てずに歩いていこうというメッセージが伝わり、いつ聞いても励まされます。
坂本九は1985年8月12日、日本航空123便墜落事故に巻き込まれ死去。
享年43歳でしたが、偶然にも私は彼と同じ年に生まれました。