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ボイボイ日記・ダバオリターンズ

南国フィリピン南部の街ダバオで
はっぴぃな定年ライフを満喫する為の生活情報発信

落成、Tudaya水力発電所

2014年05月27日 | 海外ロングステイ

2011年3月11日に起こった東日本大震災では福島第一原子力発電所事故が発生し、放射能汚染を東北・関東地方に及ぼしてしまいました。
その影響によって原子力発電所の増設計画の是非や、点検などで停止していた原子力発電所の再稼働の賛否などが焦点となり、今後の原発政策をどうしていくのかという議論が政府やマスコミなどに大きく取り上げられるようになりました。
福島第一原子力発電所の原子炉は、その後4基が2012年4月20日に廃止され、残る2基も2014年1月31日に廃止となって、現在日本国内にある17原発48基全てが稼動を止めていて、その他に廃炉中の原発が9基となっています。
国内の電力各社によると、今年の夏の電力需給は昨年より厳しくなる見込みで、ピーク時の需要に対する供給余力は全国で4.6%と、昨夏より1.6ポイント悪化するそうです。
関西電力と九州電力は特に厳しく、両社は東京電力から融通を受けて安定供給の目安になる3%を確保する予定とのことです。
また、昨年夏は運転していた関電大飯原子力発電所が止まって原発の稼働がゼロになり、更につい先日関西電力大飯原発3,4号機をめぐって、住民らが関西電力に運転の差し止めを求めた訴訟の判決が福井地裁であって、裁判長は250キロ圏内に住む住民らは差し止めを求めることができると判断し、運転差し止めを命じる判決を言い渡しました。
震災後、電力各社は老朽化した火力発電所を稼働させて対応に当たっていますが、不測の事故が起きれば大規模停電につながるリスクは拭えていません。
電力の供給不安はなお続いていて、家庭や企業の節電はまだ緩められず、電力会社や政府が引き続き節電を呼び掛けることが続きそうです。
因みにフィリピンには原発は1基もありません。


フィリピンの電力供給は「火力発電」と「水力発電」に委ねられていますが、去る3月下旬にダバオで電力不足問題が発生し、その後「計画停電」を実施せざるを得ない状況に陥ってしまいました。
ダバオの電力を供給しているダバオ電力会社(Davao Light and Power Comapany)の火力発電機の一基が老朽化でトラブルが発生し電力需要に供給が追い付かなくなってしまったのです。
また、タイミングの悪いことに3月~4月のダバオは降雨量の最も少ない時期で、水力発電所のある地域でも充分な水量が確保出来ず、電力供給が通常の半分近くにまで下がってしまったのでした。
4月末には状況が更に悪化したために、市内を大きく3地域に分け、それぞれの地域で一日2~5時間の計画停電に踏み切らざるを得ない状況になり、計画停電が実施されました。
しかし、5月中旬に入ってから、これまでトラブルで止まっていた火力発電機が復旧し、更に水力発電所のある地域に纏まった雨も降り始めてくれたお陰で、今日現在ダバオの電力不足事情はほぼ解消されました。
そして去る5月13日に、かねてより建設が進められていたツダヤ(Tudaya)水力発電所の<Tudaya 1>と<Tudaya 2>の2基の水力発発電機が完成し、開所式が執り行われました。
Hedcor社が2011年からダバオ市の南西に位置するDavao del SulのSanta Cruz市郊外で建設を進めていた二つの水力発電機が完成の運びとなったのです。


今回完成したTudaya1はアポ山の裾野を流れるHarnessed Baror川とSibulan川を利用した水路式発電で、運用上の分類では「流れ込み式」(run-of-river type)発電所で、発電量は6.6MW/1時間で、Tudaya2はTudaya1と同じ川を利用した流水型水力発電で、こちらは7MW/1時間の発電能力を持っています。(1MW-メガワットは1000キロワット)
流れ込み式」(run-of-river type)発電所とは河川の流量をそのまま利用するタイプの発電で、発電所の出力は河川流量に比例するので任意での出力調整は難しいものの、総電力需要のうちベース部分をまかなうことが出来ます。


そして。ここで作られた電力はダバオライト社にも供給され、ダバオに住む我々にも電力の供給が既に始まっています。
一昔前まで水力発電は主力電源でしたが、やがて経済規模の拡大と共に水力だけでは賄い切れなくなり、主力の座を火力発電に譲りました。
その後、原子力発電が誕生し、安定供給の観点から原子力、火力、水力をバランス良く組み合わせるベストミックスの時代となったのですが、2011年に起こった東日本大震災時の福島原発事故を契機に大きなターニングポイントに入ってしまいました。
日本では今「核融合発電」の実現に向け、超電導型核融合実験装置の建設が今年の1月、日本原子力研究開発機構の那珂核融合研究所で始まったそうで、2019年の運転開始に向けて準備が進められているそうです。
フィリピン政府は再生可能エネルギー開発で基本法に基づき、小水力のプロジェクトを推進しています。
エネルギー省が開発申請を受けているものは,全国で3,400MWとなっていて、現在ドイツ系の企業が9地点、28MWを申請中で、この他にもイザベラの7,390KW、ダバオでもTudaya1,2を作り終えたHedcor社は現在国内で21基の水力発電所を稼動させていて、合計165MWの電力を供給中で、更なる増設計画の下にフィリピン国内の電力供給への寄与を続けています。

ツダヤ滝:
アポ山国立公園の中のツダヤ滝は高さ150mの壮大な滝で、フィリピンの「美しい滝10選」で第5位に選ばれています。


マグロ

2014年05月20日 | 海外ロングステイ

日本人は古くからマグロを食用としていて、縄文時代の貝塚からもマグロの骨が出土しているそうです。
古事記や万葉集にはマグロは「シビ」の名前で登場していますが、江戸の世相を記した随筆「慶長見聞集」ではこれを「シビと呼ぷ声の死日と聞えて不吉なり」とするなど、マグロの扱いは決して良いものではなかったようです。
その上マグロは鮮度を保つ為に水槽で生かしたまま流通させるには大き過ぎ、保存の効く干魚にした場合マグロは噛めないくらいに身が固くなってしまい、唯一の方法は塩漬けだったようですが、塩漬けのマグロは味がかなり落ちてしまう為、当時のマグロは最下層の庶民の食べ物だったそうです。
ところが、江戸時代中期から調味料として醤油が普及したことによって状況は一変し、マグロの身を醤油漬けにするという新たな保存方法が生まれ、「ヅケ」と呼ばれて握り寿司のネタとして使われ始めたのです。
そして近代以降は冷蔵技術が進歩した事から、赤身の部分の生食が普及し始めましたが、マグロは戦前までは大衆魚でした。
脂身の部分の「トロ」は特に腐敗し易いことから猫もまたいで通る「猫またぎ」とも揶揄されるほどの不人気で、もっぱら缶詰などの加工用だったそうです。
その後冷凍保存技術の進歩と生活の洋風化に伴う味覚の変化などによって、1960年代以降は「トロ」は生食用に珍重される部位となりました。
2011年の1年間に、日本で消費されたマグロを、種別に見てみると、左のグラフのとおりになります。
全体のおよそ30%(約12万トン)を占めているのはメバチで、メバチは同時に刺身や寿司としての消費が多く、その70%以上を占めています。
クロマグロやミナミマグロは、トロが喜ばれる高級なマグロですが、最近は漁業資源の乱獲の影響もあって流通量は全体の1割程度に過ぎません。
比較的安価なキハダやビンナガは刺身のほか、ツナ缶としても消費されています。
スーパーで、お寿司屋さんで、和風、洋風さまざまなお店で、日本ではどこでも手に入り、食べることができるマグロですが、日本のマグロの漁獲量と輸入量は、ともに世界最大となっています。

フィリピンは日本への主要なマグロ輸出国です
日本は世界で取れるマグロの実に5分の1を消費する世界一のマグロ消費大国ですが、自国でも多くの漁獲を行なっている他台湾、韓国、バヌアツ(南太平洋のシェパード諸島の火山島上に位置する共和制国家)、フィリピンなどの国々から大量にマグロを輸入しています。
2011年度の世界のマグロの漁獲量・生産量国別ランキングを見ると以下のようにフィリピンは堂々の4位の座にいます(単位:トン、カジキマグロ類は含まない)
1位 インドネシア 355,432 
2位 日本         205,190 
3位 台湾         153,930 
4位 フィリピン   134,278 
5位 スペイン     127,648
そして2013年1月~8月までにフィリピンから日本へ輸出された冷凍マグロ(キハダ・メバチ)は合計486トンで、台湾、韓国に次ぐ主要輸出国となっています。

マグロの街・ジェネラル・サントス
ダバオから南西に約160Km行ったところにジェネラルサントス(General Santos)と言う海辺の街があります。
ダバオの人たちはこの街の呼び名を<Gen San>(ジェン・サン)と略して呼んでいます。
ジェネラルサントス市営漁港は、フィリピン一のマグロ水揚げ量を誇る漁港で、市は別名<TUNA Capital>(マグロの首都)と言われています。
市内の市場では刺身用のマグロ、又カマ焼き、焼き物、煮物用のマグロが売られていて、日系のツナ缶工場3社、柵にして冷凍し日本へ空輸する会社が1社、生のまま東京と大阪に空輸する会社などがあります。
このようにジェネラルサントス市はツナビジネスが盛んで、人口40万人の町にしては銀行の数が非常に多いいことも特長です。
漁港は市の中心部から車で約20分で、ジェネラルサントス市があるサランガニ湾入り口の沖合にはキハダマグロの稚魚が回遊しているため周囲はマグロの好漁場となっているのです。
漁船の大多数はアウトリガーが付いたバンカ型で、漁は1晩で帰って来て、マグロの水揚げは漁船員が肩にかついで検量所に運びます。


市の漁港は長さ750mの埠頭、2000GT級の冷凍船に対応できる300mの長さの埠頭、巨大な製氷所、マグロ多数を保存する冷凍倉庫など充実した施設があり、ジェネラル・サントスの漁港の一日の水揚げ量はフィリピン最大を誇り、新鮮な魚介類やシーフード料理は市民の自慢でもあるのです。

ダバオ市内の老舗マグロ料理店「ルス・キニラウ」(LUZ KINILAW)
ダバオ市内のマグサイサイ公園近くにある創業40年以上にもなる老舗の「マグロ」料理屋さんがあります。
ダバオ湾に面した大衆食堂風のこの店の名前は<LUZ KINIRAW>と言って、KINIRAW(キニラウ)とはフィリピンを代表する料理の一つで、魚の「刺身」を使った料理のことです。
店の名前の通りマグロの「キニラウ」が美味しい店で、特にこの店のキニラウは「酢」を使わず、塩味のあっさり風味が特長です。
その他に「マグロの腹肉焼き」、「マグロのかま焼き」など、太い串に刺して炭火でこんがり、じっくり焼いた豪快な料理が特長のレストランです。
2階にある客席はかなり広く、夕方6時半を過ぎた頃にはほぼ満席になってしまいます。

手作りマグロ料理ア・ラ・カルト
市内のAGDAO市場の魚エリアの一角に土日だけ開店する「マグロ屋」さんがあります。
早朝6時のオープンと同時にかなりの常連客が店主が切り出すマグロの切り身を待っていて、捌くそばからマグロの柵は飛ぶように売れて行きます。
いつも「メバチマグロ」を持って来て解体しながら販売していますが、冷凍ものではないマグロなので、味も良く、人気の秘密が納得出来ます。


切り出したマグロの柵は「皮」付きが多いので、家に持ち帰ってから刺身用に下ごしらえをして冷蔵庫のチルドに保存すれば4~5日は大丈夫です。
買い物客はフィリピンの人たちばかりで、殆どの客は「キニラウ」用に大き目のサイコロ状に切って貰っています。
この店のマグロは1kg350ペソ(約800円)で、加熱料理にするにはもったいないくらい新鮮でねっとりtpした触感良さも特長です。
海外暮らしを始めてから早いもので今年で丸15年になりますが、やはり日本を離れて暮らしていると「和食」により懐かしさを憶えます。
ここダバオにも美味しい和食レストランはありますが、自分好みの味付けで作る手作り料理の味は格別です。
また、料理をすることで脳が活性化されることは科学的にも実証されているそうで、メニューを考えたり、食材を切ったり、煮たり、焼いたり、炒めたり、最後には綺麗に盛りつけたりなどなど、全てのプロセスで脳の血流が増え、活性化されるそうです。
特に料理は「段取り」が重要なので我々高齢者にとっては老化防止に繋がる脳のトレーニングには最適なのだそうです。


最近前述のAGDAO市場の「マグロ屋」さんにすっかりハマってしまって、2週連続で土曜日の朝「マグロ」を買って来て、「マグロ」三昧の2週間でした。
「握り寿司」は見よう見真似で始めてからかれこれ40年近くも経っているので、その味には結構自信があり、「鉄火巻き」も「マグロ握り」と共に大好きな一品です。
その他に「漬け丼」、「山かけ」、ダバオで初めて作った「マグロのヌタ」もお気に入りの料理になりました。


万一の時のPRAビザの解約

2014年05月13日 | 海外ロングステイ

Philippine Retirement Authority(PRA)<フィリピン退職庁>はフィリピン政府が所有し管理する法人で、入国管理局が発給するSRRV(退職者用特別居住ビザ)の申請手続きを行う機関です。
1985年に世界中から退職者を受け入れるプログラムを開始して早や30年近くが経過しました。
その間、2006年、2007年と2度に亘る改革で、特別居住ビザ(SRRV)取得に必要な定期預金の金額がスタート当初の5万米ドルから2万米ドルへ、そして更に1万米ドルに「半減」させる新たな制度が導入されて以来7年目になりました。
現在、SRRVを保有している外国人は約1万4千人(申請者本人、同伴者を除く)で、その中日本人は約1,900人となっているようです。
発足当時に比べるとSRRVの取得がかなり容易になったこともあって、最近は韓国人の取得者がかなり増えているそうです。


去る12月10日付けの当ブログで「PRAビザの解約について」の記述をしましたが、今回は万一SRRV保持者が亡くなった場合についてまとめてみました。
SRRV取得のためにPRAの指定する銀行に預金した定期預金はあくまでも申請者本人の預金なので、法律の取り扱い上通常の定期預金と基本的に変わりません。
一般の定期預金との違いは、PRAと銀行との合意の下に、PRAの許可がない限り例え本人といえども解約して預金を引き出すことは出来ません。
不幸にして預金名義人のSRRV保持者が亡くなった場合、その家族或いは相続者が必要書類を添えてPRAに申請すれば定期預金の引き出し許可証が発行されます。
日本の場合では亡くなった方の預貯金は、亡くなった時点から、相続財産(遺産)となって、一部の相続人が勝手に預金を引き出して、他の相続人の権利が侵害されるのを防ぐため凍結されます。(銀行が相続争いに巻き込まれるのを回避する為)
凍結を解除するには先ず相続人全員が話し合い、「誰が相続するか」もしくは「誰が一旦代表して受け取るか」が決まれば解除することが出来ます。
手続きに必要な主な書類は:
・被相続人の、生まれてから亡くなるまでの戸籍謄本(除籍・改正原戸籍)
・相続人全員の戸籍謄本
・相続人全員の印鑑証明書
・相続人全員の実印が押印された銀行所定の用紙(相続届)
以上のようになっています。
しかし亡くなった方のが生前に「公正証書遺言書」を作成していて、預金を取得する人と遺言執行者が定められている場合には、手続きが非常に簡便になり、基本的には被相続人と遺言執行者関係の書類を揃えるだけで解約出来ます。
PRAのSRRV保持者が死亡した場合、その家族ないし相続者がそれを証明できる書類(戸籍謄本など)に死亡診断書を添えてPRAに申し入れれば定期預金の引き出し許可証が発行されます。
それを銀行に持って行って引き出せばよいのですが、銀行としては引き出し人が確かに正当な相続人であるか証明されなければ払い戻しが出来ません。
そのために日本と同じようにかなりの書類と手続きを必要とし時間もかかり、尚且つ全ての書類を「英訳」しなければなりません。
そして、相続人には「相続税」として35%が当国で課税されます。
これらの手続きを容易にするため、日本と同じように事前に「遺言書」を作成してPRAに預けておくことも一法で、更にSRRVを日本から奥さまを同伴して取得している場合は、定期預金を共同名義にしておくことが非常に有利になります。

<PRAビザ解約のすすめ>
これはあくまでも「私見」ですが、或る年齢に達したらPRAビザの「解約」をお勧めします。
万一亡くなった時には相続人は日本で煩雑な書類作成などをしなければならない上、手続きの為にフィリピンに渡航しなければなりません。
更にフィリピンで徴収される35%の相続税の節税の為にも、元気な中にビザをキャンセルして定期預金を引き出すことをお勧めします。
生前にビザをキャンセルして定期預金を引き出すことは約1ヵ月もあれば簡単に出来るのです。(PRAビザの解約方法については去る12月10日付けの当ブログ「PRAビザの解約について」をご参照ください)
また、本年4月29日の当サイトで紹介した<ツーリスト・ビザの最新情報>を一読いただければお分かりの通り、現在はツーリストビザで最長3年間の滞在が出来、ビザの更新(延長申請)も最近は6ヶ月間の滞在許可が取得出来るように改善されています。
このように「PRAビザ」と「ツーリスト・ビザ」の違いが希薄になった現状を良く考えて、賢い選択をされることをお勧めします。
PRAビザを持っていることによるメリットは:
1 フィリピン入国の際に「片道航空券」で入国出来る。
2 マニラの国際空港に到着した時に「PRAビザ保持者優先窓口」が利用出来、一般乗客よりも早く手続きが出来る。
3 フィリピンで就労ビザの申請が出来る。
以上の3点くらいだと思います。
PRAビザ取得には申請料として1,400米ドル、家族を同伴する場合はさらに1名につき300米ドルを現金で支払います。
また年会費が360ドル毎年かかりますから、ツーリスト・ビザの延長に関わる経費とを秤にかけて見てもPRAビザを解約してツーリスト・ビザに変更しても経費的にも遜色はないでしょう。


母の日

2014年05月06日 | 海外ロングステイ

私の母が他界してからもう20年以上も過ぎてしまいました。
来る5月11日の日曜日は「母の日」ですが、母親に感謝の気持ちを直接伝えることは残念ながら叶いません。
「母の日」の起源は今から100年以上も前のアメリカに遡ります。
1908年5月10日に、3年前に亡くなったミセス・ジャービスを追悼しようと、当時ウエストバージニア州に住む娘のアンナ・ジャービスがフィラデルフィアの教会で母親の好きだった白いカーネーションを配ったことが始まりで、その後も母に感謝する日を祝日にする普及運動が広がったそうで、娘のアンナが教会で初めて母親の追悼を行った日が5月の第二日曜日だったのです。
日本では1913年(大正2年)頃にキリスト教会や教会の日曜学校などで「母の日」が始まったと言われています。
そして1915年(大正4年)に青山学院教授だったアレキサンダー女史によって「母の日」が紹介され、キリスト教関係団体が中心となって広がって行きました。
その後1937年(昭和12年)には森永製菓などが普及活動を展開したことによって「母の日」が全国的に広がり始め,1947年(昭和22年)に公式に5月の第2日曜日が「母の日」となって現在に至っています。
フィリピンでも「母の日」はアメリカや日本と同じように毎年5月の第二日曜日と決まっていて、日本と同じように母親への感謝の気持ちを込めたプレゼントを贈ったり、母親を食事会へ招いて日頃の感謝の気持ちを子供たちが伝える日でもあり、5月11日には市内のホテル内のレストランを中心に各レストランが「母の日特別メニュー」を用意して母の日を盛り上げています。
毎年5月の第二日曜日を「母の日」としている国々はアメリカ、日本、フィリピンの他にも、オーストラリア、カナダ、インド、ドイツ、ジャマイカ、マレーシア、ニュージーランド、パキスタン、シンガポール、南アフリカ、ブラジルなど世界の81の国々で祝っています。
「母の日」に贈る花と言えば日本ではカーネーションが主流ですがが、最近は「バラ」や「あじさい」などの花にも人気が出ているようです。


日本の隣国の中国も「母の日」は大変ポピュラーな日となっていて、日本と同じように「母の日」にカーネーションを贈る習慣があります。
南半球のオーストラリアでは「菊の花」を贈る習慣があって、オーストラリアの「母の日」は一大イベントとなっていて、フィリピンと同じようにホテルなどで母の日の特別プランが企画されています。
私の現役時代に10年間過ごしたことのあるブラジルでは「母の日」には「バラの花」を贈るのが主流です。
ブラジルでは「カーネーション」(O Cravo)は<男性の花>とされています。
ブラジルの言葉には名詞や形容詞には全て男性・女性に区別されていて、花(A Flor)には色々な種類がありますが全てが「女性名詞」で、唯一の例外がカーネーションで、(O Cravo)と男性名詞の花なのです。


ブラジルでカーネーションが男性名詞になっている理由は、カーネーションは男性がタキシードなどの礼服を着た時に胸襟に付けることから男性用の花としての位置付けになっているからたと聞きました。
そんなことからブラジルでは「母の日」には綺麗な「バラの花」を贈ることが昔からの習慣になっています。

フィンランドでも同じく5月の第2日曜日が「母の日」ですが、フィンランドでは母の日の花はミニバラを花屋で買うのが一般的だそうです。
しかし、それよりもっと素敵な母の日の花は、「Vuokko-ヴォッコ」という二輪草の野の花だそうで、子どもたちは母の日の朝に、家の庭や裏の森などから摘んできて、お母さんにプレゼントするそうです。
また、ゆっくりベッドにいる母親に、家族がベッドまで、母の日のプレゼントと一緒に朝食を運んで来てくれる習慣もフィンランドにはあるそうです。
タイではシリキット国王妃の誕生日(8月12日)が「母の日」で、王妃が生まれた金曜日の色の「水色」なので、母の日にはタイ国民は、自分の母親や王妃さまへの尊敬や感謝の気持ちを表すために、こぞって水色の服を着ます。