ボイボイ日記・ダバオリターンズ

南国フィリピン南部の街ダバオで
はっぴぃな定年ライフを満喫する為の生活情報発信

さようなら、ダバオ・・・。

2015年05月26日 | 海外ロングステイ

三年早い定年退職を決めて、第二の人生の定住地としてダバオにお世話になったのが1999年5月のことでした。
月日の経つのは本当に早いもので、あれからあっと言う間に16年が過ぎ去りました。
2007年~2011年の4年間はタイのチェンマイに移り住んで、海に囲まれたダバオとは趣の異なる山に囲まれた街での楽しかった思い出の数々は今でも深く心に残っています。
そして満70歳を迎えた2011年に、将来の介護の問題などの不安を解消する為に再びダバオに舞い戻って来ました。
自分も来年からは「後期高齢者」の仲間入りになることから、最近日本のネット情報サイトなどで「終活」や「エンディングノート」などの言葉が身に沁みるようになりました。
そして最終的に16年間の海外暮らしに終止符を打って、この度日本への帰国を決めました。
あと数週間で長い間お世話になったダバオとお別れです。
いつも当サイトをご訪問いただいた皆さま、長い間のご支援ありがとうございました。
これからの自分自身の日本での「第三の人生」のスタートを前にして、気持ちも新たにしております。
またいつの日か当サイトで皆さまとの再会が出来ることを祈念して・・・。
さようなら・・・、ダバオ!
お世話になりました!


暫くブログの更新をお休みします。

2015年05月05日 | 海外ロングステイ

いつも当ブログをご訪問いただきまして誠にありがとうございます。
諸般の事情で暫くの間更新をお休みさせていただきますのでお知らせ致します。
健康上の理由ではありませんので、どうかご心配なく・・・。


ダバオで簡単「餅」づくり

2015年04月28日 | 海外ロングステイ

昔から餅が大好きで、正月以外でも「お雑煮」などを作って一年中「お餅」を食べています。
今の日本では昔と違って一年中「切り餅」がスーパーなどで売られていますが、遠く離れたここダバオでは年末が近づく頃に市内の日本食材店に日本から直輸入された「切り餅」のパックが店頭に並びます。
輸入された切り餅は日本で買う価格の3倍近くもする高級品ですが、餅好きの私は「買い貯め」をするのが常で、餅は意外と賞味期限も長いので、重宝しています。


その「切り餅」のストックが遂に先日終わってしまい、一時帰国で日本に帰る時期はまだ少し先なので「何とかせねば!」と早速調査を開始しました。
スーパーや市場の「米」売り場には「もち米」が普通に売られているし、フィリピンのお菓子の中には餅を使ったものも色々あるので、もち米を炊いた後、何らかの方法で搗くことで「餅」が出来るのではないかと考えました。
しかし、もっと簡単で素早い方法で美味しい「搗きたて」の餅を作る方法を見付けました。
今日のブログでは、その簡単「餅作り」を紹介しましょう。

「もち米粉」と「水」と「電子レンジ」だけで、超簡単な餅作り。
スーパーの小麦粉やケーキ材料などを販売している棚に「MALAGKIT Rice Frour」と書かれた商品を先ずゲット。(トップの写真参照)
このMalagkit Riceとは「もち米」のことで、もち米の粉がパックされて売られています。
「粉」と言ってももち米を砕いた粗い状態の粉ではなく、パッケージに書かれてあるように「パウダー」状のキメ細かな粉に仕上がっているところが特長です。

「もち米パウダー」を先ず水で溶く。
この「もち米パウダー」は水と馴染みがとても良いので、少しづつ水を加えながら混ぜるだけで、ダマにはなりません。
ソフトクリーム程度の柔らかさになるまで水を入れて調整します。

溶いた「もち米パウダー」を耐熱容器に入れて電子レンジへ
耐熱容器は長方形のものが後で切り餅などにするのには便利です。
容器の中にラップを敷いて、そこに薄くサラダオイルなどを塗って置くと、後の作業が楽です。
「もち米液」の量によって電子レンジにかける時間は変わりますが、少なめにかけながら状態を見て、更に電子レンジにかける方法が失敗がありません。
因みに写真の量で、600Wで3分間電子レンジにかけました。

出来上がった「お餅」で様々なレシピが楽しめます。
熱々の出来立ての「電子レンジ餅」は、まるで臼で搗いたような搗き立て餅の食感です。
甘い「小豆餡」とからめて「あんころ餅」にするのも良し、大根おろしや納豆に絡めて「絡み餅」で食べるのもお薦めです。
そして「切り餅」にするには、長方形にカットした「電子レンジ餅」を天日干しして作ります。

風通しの良い場所だったら丸2日程で「切り餅」が出来上がるので、後は冷蔵庫か冷凍庫で保存します。
また、細かく切った「電子レンジ餅」をしっかり乾燥させた後、油で揚げれば簡単に「揚げあられ餅」も作れます。

お餅の話題を書いていたところ「お餅」に関して珍しい事故が一昨日岡山であったそうです。
一昨日の午後、岡山市内で開催されたイベントでまかれた餅が参加者の額に当たって、5人が救急搬送される事故があったそうです。
市消防局などによると、イベントは「第18回なださきふるさとまつり」で、午後3時半から餅まきが行われ、野外ステージからまかれた紅白の丸餅が、小学生2人と成人女性3人の額に当たって負傷したそうです。
祭の実行委員は、かびの発生を防ぐため餅を冷凍保存し、解凍が不十分だった可能性があると説明していましたが、餅を喉に詰まらせるという事故の話しは良くありますが、投げ餅が当って怪我をしたという珍事は初めて聞きました。


ポメロ

2015年04月21日 | 海外ロングステイ

「ドリアン王国」(Durian Republic)の異名を持つダバオですが、ドリアンの他にもう一つダバオを代表する特産果物があります。
それが今日の話題の「ポメロ」です。
ジューシーで香り豊かなダバオ産ポメロは今では国内生産の5割近くの生産量を誇っています。
このダバオを代表するポメロを更に広めようと、先週から市内のSM Lanangプレミアムショッピングモールの「噴水広場」で「ダバオ・ポメロフェスティバル」が開催されています。
この「ポメロフェスティバル」は5月17日まで開催されていて、週末の土日には「ポメロ」の食べ放題祭りがあったり、市内の料理学校の生徒たちによるポメロを使った料理の数々も披露されます。
ポメロ(別名ザボン、チャイニーズグレープフルーツ)は、柑橘類の中でも大きい品種で、学名はCitrus Grandis(巨大なシトラス)です。


ポメロはグレープフルーツに形がそっくりで、大きさはグレープフルーツと同じかやや大きめで、皮は緑色から黄色で厚くなめらかで、果肉は引き締まっています。
中の果肉は16~18房あって(グレープフルーツは約12房)果肉の色は、白から濃いピンクまでさまざまです。

独特の風味があって、香りが良く、グレープフルーツに比べて甘く、酸味が穏やかな果物です。
ポメロの原生地は東南アジア・中国南部・台湾などで、日本には江戸時代初期に渡来しました。
ムクロジ目ミカン科ミカン属の低木で、果実が食用とされ、最も重い柑橘類です。
緑色の厚い皮の中に淡紅色あるいは淡黄色の果肉が入っていて、果実は汁気がそれ程多くなく、甘みと酸味があって、少し苦味もあります。
果肉は生食、果皮はザボンのように砂糖漬けにしたり、ジャムにして食べられていて、日本にもたらされて以来、改良された多什質のものが「サボン」や「文旦」などとして生産されています。
使われていた当時の漢字をそのまま日本語読みの「ブンタン」したそうで、伝来したとされるのは鹿児島県の阿久根市で、生産量も多いことなどから1971年に市の木に制定されています。
第二次世界大戦前にはジャボンと呼ばれるのが一般的だったようで、これは文旦貿易に関与したジアブンタン(謝文旦)の略と考えられています。
果実は生食の他、ベトナム、カンボジア、フィリピン、タイ王国などでは果肉を和え物の素材とすることもあります。

加工食品の原料としても用いられ、皮や果肉を用いた砂糖漬け(ザボン漬け、文旦漬け)、マーマレード、ボンタンアメなどは有名です。
また、ポメロの果皮は中国に於いて、光七爪、光五爪などと称し、生薬としても利用されています。
ダバオデは「ポメロジュース」も一般的に飲まれていて、瓶入りの「ポメロジュース」も何種類かスーパーの棚で見かけます。

   


エナジードリンク

2015年04月14日 | 海外ロングステイ

疲れが溜まっていると感じた時や、深夜まで仕事をしていて効率が落ちてきたと感じた時、気分を変えてリフレッシュしたい時などに飲みたくなるのがエナジードリンクで、日本では駅の自動販売機にも入っているくらいポピュラーな飲み物になっています。
エナジードリンクとは別のカテゴリーで、栄養ドリンクがあって、こちらは肉体疲労時の栄養補給などを目的で販売されている飲料で、ドリンク剤とも呼ばれています。
日本ではこの栄養ドリンクが販売された当初はアンプルで流通していましたが、その後各社が徐々に薬臭さを除去し、容量を増やして行き、現在は医薬品または医薬部外品として販売される商品は、おおよそ外見が茶色のガラス瓶で、栓がスクリューキャップを用いているという共通性が見られます。
色付き瓶を用いているのは生薬成分の変質を防ぐという目的もありますが、「医薬品」と同じ色の瓶を用いることで商品の効果をアピールするという目的も含まれているようです。
紙箱に収められた製品でも、中の容器にはやはり濃い色付きの瓶を採用しているものが多く、内容量は概ね100mlから150ml前後です。


栄養ドリンクには各種ビタミンやタウリンなどの必須アミノ酸などの有効成分と呼ばれる物質や、カフェイン、肝臓水解物、漢方生薬由来成分を複数配合して、肉体疲労・病中病後・食欲不振・栄養障害などの場合の栄養補給に適しているとされるものがあります。
但し、配合成分は薬理的に顕著な作用が見られるほどのものではなく、個人差が大きいようです。
一方清涼飲料水として売られている「エナジードリンク」は、瓶入りのもの以外に缶入りやペットボトル入りのもの、また無色透明の瓶を用いたものなど、多種多様なパッケージが見られます。
栄養ドリンクは、1990年代までは韓国やタイなどのアジア、および中東諸国で流通している以外は目立つほどの流通量はなかったのですが、日本においてトップシェアを占める大正製薬などがアメリカ市場の開拓に乗り出したことで大きな動きがりました。
2000年代に入ると、若者のアンダーグラウンド文化を背景に、欧米において「レッドブル」が大きく売上を伸ばし、他にもフィンランドの「BATTERY」、アメリカの「ROCKSTAR」などのブランドが現れて、徐々にエナジードリンクが欧米において定着して行きました。
ダバオのスーパーやコンビニでも最近このエナジードリンクの台頭が目立つようになりました。
日本においては2012年に炭酸飲料の範疇に入るエナジードリンクの売り上げが前年比217%増となって、エナジードリンクが日本国民に急速に普及し始めている証しとなりました。


レッドブル(Red Bull)は、オーストリアのRed Bull GmbHが販売する清涼飲料水で、タイ人創業者のChaleo Yoovidhya(チャリアオ・ユーウィッタヤー)がタイ王国で見出したKrating Daengという清涼飲料水を元に作られました。
現在はオリジナルであるタイ産よりも、世界的に展開されるレッドブルの方が圧倒的に有名になっています。
シャープな缶に入ったオーストリア産レッドブルは、主にカフェイン、アルギニン、ナイアシン、パントテン酸を含み、パフォーマンスを発揮したい時のために開発されました。
レッドブルは日本を含め、世界160か国以上で販売されていて、エナジードリンクとして売上、シェアともに世界で第1位で、2012年には全世界で52億本が消費されました。(内、2億6000万本はイギリスで消費)
各国の法規制(特に薬品関連の規制)の関係からそれぞれ分量・成分の違いはありますが(例えば日本向け製品にはタウリンが全く含まれていない)、エナジードリンクとしてコンビニエンスストアなどで販売しているのです。

粉末エナジードリンク「EXTRA JOSS」


最近スーパーで見付けた勝れモノのエナジードリンクです。
このEXTRA JOSSは最近日本でも通販サイトで販売されていて、カルト的な人気を博している商品だそうです。
コップ1杯分(200ml)の水に、粉末のEXTRA JOSSを入れるだけでシュワっとした炭酸入りのシトラスの香り豊かなエナジードリンクが一瞬の中に簡単に作れるのです。
内容成分も「タウリン」、「ジンセン」、「ビタミンB群」、「ロイヤルジェリー」などなど、瓶や缶入りのエナジードリンクに負けない成分が入っていて、シュガーフリーの粉末エナジードリンクです。
但し1袋(1杯分)にカフェインが50mg含まれているので、「一日2杯まで」と注意書きがあります。(レギュラーコーヒー100mlには約60mgのカフェインが含まれています)
「EXTRA JOSS」は6袋入りのパッケージで販売されていて、1箱24ペソ(約65円)。
溶かす水の量を加減することで、濃い目、薄めの、味の調整も自由自在だし、何よりも持ち運びに便利な軽さなので、外出先でも冷水さえあればいつでも好きな時にエナジードリンクを自分で作って飲むことが出来ます。

<EXTRA JOSS テレビCM>
     


イカ墨パエリア

2015年04月07日 | 海外ロングステイ

最近「あそこ」の「イカ墨パエリア」が無償に恋しくなって、食べに行って来ました。
「あそこ」とはParadise Island Park & Beach Resort(以下パラダイス・アイランド)の海辺のレストランのことです。
パラダイス・アイランドにはその昔良く出かけたものでしたが、ここ一年程足が遠ざかっていました。
家から車でパラダイス・アイランド行きの舟乗り場まで約10分程で行け、そこから目の前のダバオ湾に浮かぶサマール島(Island Garden City of Samal)にあるパラダイス・アイランド行きの舟に乗って10分足らずで到着です。
こんな身近な場所にビーチリゾートがあるのもダバオの魅力の一つで、週末ともなると家族連れのピクニック客で賑わいます。
その昔初めて行った時の第一印象は『江の島みたい!』でしたが、今でも大昔の夏の江の島のイメージがあります。

パラダイス・アイランドまでの舟賃は乗客が10人以上になると出航してくれて、舟賃は片道一人15ペソ(約40円)で、10人未満の場合でも150ペソ支払えば即出航してくれます。
パラダイス・アイランドのビーチリゾートに入るには「入島料」が必要で、大人一人200ペソの入島料を入り口で支払ってからビーチ・リゾートの中に入ります。
合計8ヘクタールの広いトロピカルな敷地にあるパラダイス・アイランドの中にはコテージもあるので、宿泊してのんびりと過ごすことも出来るのです。
今回約一年振りに訪れてみて感じたことは、以前に比べて大変ビーチ・リゾート全体が綺麗に整備されていたことです。
ダバオ市内の喧騒から離れて、美味しい空気とオゾンをいっぱい浴びながら、のんびり過ごすことも偶にはいいな・・・、と改めて感じて来ました。
お目当ての「イカ墨パエリア」は入場して直ぐ、右手に広がるレストランのメニューの一つです。
ここのレストランはフィリピン料理とスペイン料理を提供してくれて、スペイン料理はパエリアの他にも色々あって、トロピカルなアイランド・ビーチにはピッタリの料理の数々にメニューを見ただけで嬉しくなります。


パエリアは米どころとして知られるスペイン東部バレンシア地方発祥の米と野菜、魚介類、肉などを炊き込んだ料理のことで、スペインを代表する世界的に人気の料理の一つです。
本場バレンシア地方ではパエリアの祭りもあります。
本来「パエリア」は、バレンシア語でフライパンを意味するそうで、バレンシア地方の外にもこの調理器具を用いた料理法が伝わるうちに、調理器具よりも料理の名称としてスペイン人全体や他国民にも浸透して行きました。
パエリアの起源は、スペインに稲作をもたらしたアラブ人に由来するそうで、西暦9世紀以後、アル・アンダルスのモスリムの間で作られて来ました。
ピラフと同じようにパエリアの歴史はかなり古いのです。
パラダイス・アイランドのビーチレストランの「イカ墨パエリア」は地元特産の「イカ」、「海老」、「蟹」、「マグロ」などの具材に、甲イカの新鮮な「イカ墨」をたっぷり使って作った一品ですが、出来上がりまで1時間以上かかるので、余裕を持って出かけることをお勧めします。
ライブの素敵な音楽を聴きながら、ビーチでいただく「イカ墨パエリア」とサンミゲル・ビールの味は格別美味しくなります。


La Toscanaが移転しました。

2015年03月31日 | 海外ロングステイ

ダバオに数あるイタリアンレストランの中で私の一番のお気に入りの「La Toscana」が最近移転しました。
これまでずっとダバオ・ドクターズ病院向かい側のQuirino大通り沿いで10数年もの長い間営業を続けて来ましたが、このたび市内のセントラル銀行近くに移転しました。
イタリア料理は、フランス料理の原型でもあるそうで、1533年、フィレンツェの名門貴族のメディチ家のカテリーナがフランスのアンリ2世に嫁いでパリに移り住んだ時に、大勢のイタリア人料理人や香料師を連れてイタリア料理や氷菓子、ナイフ・フォークの使い方などのマナーもフランスに持ち込んだそうです。
それをきっかけにして、当時粗野だったフランスの宮廷料理やテーブルマナーが洗練されたそうです。
このように、西洋を代表する世界三大料理に数えられているフランス料理は、イタリア料理の影響を受け、ローマ時代から続くイタリアの食文化が西洋料理の母的存在といわれるのは、こうした歴史によるものと言えます。
イタリア料理はいまや世界中で食べられるようになっていますが、イタリア人の、特に料理人の目から見ると、その多くはイタリア料理とは言えないものもあるそうです。
世界のイタリア料理を正しい道に導くため、イタリア北部の都市パルマにあるフードアカデミー「Academia Barilla」は、外国人向けのイタリア料理に関する10の掟を発表したそうです。
その10の掟の中には、日本人としては耳の痛いものがあります。
「パスタにケチャップをかけてはいけない」、これはイタリア人をひどく不快にさせる行為なのだそうです。
 Academia Barilla ではこれを『許し難い罪』であると定義しているそうです。
イタリア料理に関する多くの著作を持つ Gennaro Contaldo 氏はケチャップの使い方について次のように説明しています。
『わたしは良質なケチャップなら好きで、その用途は、チップスに限定すべきだ』と・・・。
ケチャップを大胆に使用したパスタメニュー「スパゲティ ナポリタン」を発明してしまった日本人としては、なんとも耳の痛い忠告になりますね。
そして、2010年にはギリシャ料理、スペイン料理、モロッコ料理と共に、イタリア料理が地中海の食事として、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。
イタリア料理は、ダバオでも人気のある外国料理で、市内にはイタリア料理レストランが沢山あります。
数あるイタリア料理の店で私が一番気に入っているレストランが<La Toscana Italian Bar & Restaurant>です。
オーナーシェフのPieroさんはイタリアから14年程前にダバオにやって来てこのレストランを開き現在に至っているので、ダバオで本場イタリアの味を提供してくれる最古のレストランなのです。
La Toscanaが移転した場所は閑静な場所にあって、以前に比べて広々としていて全体に明るくなりました。
メニューは以前と変わらず、勿論味も以前と全く同じで、ダバオに居ながらイタリアで食事をしている錯覚を受ける程美味しい味に感動すら覚えます。
そして「ワイン」のストックも店が広くなった分増えたようです。
新しい場所は敷地も広く、駐車場スペースも広々していて、年内にはレストラン脇のお洒落なハウスに「BAR」もオープンする予定だそうです。(写真右上)

La Toscana
住所:Arellano st.Davao city (セントラル銀行近く)
営業時間:月曜日~土曜日 10:30am~10:30pm
電話: 082-305-6556


映 画

2015年03月24日 | 海外ロングステイ

今から60年程前の私の小・中学生時代には年に数回、クラス単位で「映画鑑賞会」があって、学校の近くの映画館で色々な映画を見たものでした。
小学生の頃にはディズニー映画の「白雪姫」、「ダンボ」、「シンデレラ姫」、などで、中学に入ってからは「原爆の子」やディズニー映画の「ファンタジア」、「グレンミュラー物語」などなど、今でも記憶に残っています。1952年に公開されたアニメーション映画の「シンデレラ姫」がディズニープロで実写版の「Cinderella」として製作されて、先日からダバオ市内の映画館で一斉に公開されています。
日本では4月25日からの公開になるそうです。
早速Abreezaモールのの中の映画館で観賞して来ました。
イギリス出身の新星リリー・ジェームズがシンデレラに扮していましたが、CGもふんだんに使った上質のファンタジー映画の仕上がりに大満足で見終わりました。
そして60年以上も前の「映画鑑賞会」のことを思い出し、懐かしさに暫し浸ることが出来ました。
私が初めて映画を見たのは物心のついた小学生の低学年の頃で、冒頭に書いた学校の映画鑑賞会で見たディズニーの長編アニメーション映画の「白雪姫」でした。
この「白雪姫」は記録によると日本での公開が1950年9月26日となっていますので、私の小学校2年生の時でした。
当時の我が家の近くには「映画館」が5か所もあって、映画が身近に感じられ、テレビなど無かった時代なので、「映画」は当時の最大の娯楽だったのです。
小・中学生時代に良く見た映画で憶えているのが「ターザン」映画や、アメリカ映画のアボット&コステロのお笑いコンビの「凸凹シリーズ」で、邦画では「ひめゆりの塔」、「七人の侍」、「二十四の瞳」、「ゴジラ」などが印象に残っています。
そして、1951年にヴェネツィア映画祭で黒澤明の「羅生門」がグランプリを受賞したことで、アジア映画の作品レベルを世界に示したことも印象に残っています。

<青春時代の思い出映画>
高校~大学時代には映画が更に大好きになって、有楽町の映画館に足繁く出かけたものでした。
1955年に公開された「エデンの東」と、1962年に見た「シベールの日曜日」(フランス映画)が私の青春時代にラストシーンで涙腺が緩んでしまった二大作品として今でも深く印象に残っています。


また1961年に公開された「ウエストサイド物語」のミュージカル映画に衝撃を覚え、ハリウッドのミュージカル映画に一時期嵌ったことも憶えています。
「南太平洋」(1959年)、「シェルブールの雨傘」 (1964年)、「マイ・フェア・レディ」 (1964年)、「メリー・ポピンズ」 (1964年)、「サウンド・オブ・ミュージック」 (1965年)、「オリバー!」 (1968年)、「ファニー・ガール」 (1968年)、「キャバレー」 (1972年)などなど、当時公開されたミュージカル映画は全て見ています。

<ブラジル赴任時代の思い出映画>(1969年~1979年)
10年間のブラジル赴任時代の初期には、極力ポルトガル語に馴れようと、ブラジル映画を見ていました。
当時のブラジル映画は「喜劇」が多く、言葉の壁に阻まれて内容を理解出来るようになるまで半年以上かかったことを思い出しました。
ブラジル映画で今でも印象に残っている作品はブルーノ・バレット監督の「ドナ・フロールとふたりの夫」(Dona Flor e Seus Dois Maridos)(1976年)です。
当時テレビドラマなどで大人気だった女優、ソニア・ブラガの主演作品で、ブラジル映画史に残る最大のヒットの一つです。
国際的にも成功をおさめた作品で、ブラジル人の文豪ジョルジェ・アマードの小説が原作で、フロール婦人とその2度目の夫、そして亡くなった前夫の魂との三角関係を取り扱ったコメディ映画です。
そしてブラジル時代の映画の思い出で忘れられないことは「日本映画」を良く見に行ったことです。
当時のサンパウロ市内には日本映画を常時上映している映画館が3館ありました。
松竹映画を上映すす「シネ・ニッポン」、東映映画を上映する「シネ・ニテロイ」、東宝映画を上映する「シネ・ジョイア」で、各映画館で上映される日本映画は法律でポルトガル語の字幕スーパーを入れなければならなかった為、日本で上映されてから約1年遅れで公開されていました。
ブラジル時代には、この邦画専門上映館の3館でフーテンの寅さんの「男はつらいよ」シリーズ、先日亡くなった高倉健主演の「網走番外地」、「緋牡丹博徒」、「仁義なき戦い」などを日曜日になると見に行っていたことを良く憶えています。

<ダバオ時代の思い出映画>(1999年~)
ダバオで上映されている外国映画はほぼ100パーセント「ハリウッド映画」です。
フィリピンの国産映画も数多く上映されていますが、「フィリピン語」が全く出来ないので、映画館で見たことが残念ながらありません。
ダバオで公開されるハリウッド映画のほぼ全てがアメリカと同時公開されるのが特長で、その理由は「英語」を公用語としているフィリピン人には「字幕スーパー」が不要だからと言えます。
日本ではハリウッド映画の公開日は作品の内容やターゲットを考えて、観客動員数を最大に確保する為に計画的に公開日が決められるので、ダバオで公開されてから数ヶ月後の公開になることがしばしばです。
日本で昨年3月に公開されて大ブレークした「アナと雪の女王」はダバオでは2013年11月にアメリカ公開と同時に「FROZEN」というオリジナルタイトルで上映された映画だったので見逃してしまい、その後ダバオのケーブルテレビで配信された時に見ることが出来ました。
日記のメモからダバオで見た映画の中で印象に残っている作品を古い順から以下に書いてみました。
「ミッション:インポッシブル2」、「ハリーポッター」シリーズ、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ、「マトリックス」シリーズ、「ラストサムライ」、「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」、「宇宙戦争」、「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」、「マンマ・ミーア!」、「アバター」、「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」、「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」、「RED/レッド」、「バイオハザードV:リトリビューション」、「アメイジング・スパイダーマン」、「レ・ミゼラブル」、「パシフィック・リム」、「GODZILLA ゴジラ」、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」、「猿の惑星:新世紀(ライジング)」、「トランスフォーマー/ロストエイジ」などなどです。


今年もハリウッド映画は期待の大作が目白押しと聞きます。
「STAR WARS エピソード7」、「ターミネーター5」、「パイレーツ・オブ・カリビアン5」、「ミッション:インポッシブル5」、「ファンタスティック・フォー」などの公開が待ち遠しい昨今です。

  <映画シンデレラの開演前に上映される「アナと雪の女王/エルサのサプライズ」の予告編>
     


ダバオの日(Araw ng Dabaw)

2015年03月17日 | 海外ロングステイ

ダバオ市はフィリピン南部ミンダナオ島ダバオ地方 (Davao Region, Region XII) のダバオ・デル・スル州にある街で、メトロ・マニラ、メトロ・セブ(セブ市とその周囲)に次ぐフィリピン第3位の都市です。
面積2,400km2、2010年現在の人口は約145万人で、国際空港と港を持ち、フィリピン南部の政治・経済・文化の中心地でもあります。
ダバオ市は州からは独立していますが、ダバオ・デル・スル州の一部として見られることもあるようで、ダバオ地方の中心都市としても位置づけられています。
2,400km2もの広さを誇るダバオ市は世界最大の行政面積を持つ都市の一つともされていて、人口は145万人ですが、昼間人口は約200万人に膨れ上がります。
スペイン人による征服は19世紀と遅く、それまでは先住民やイスラム教徒が集落を開いて暮らしていました。
ダバオ市が発展したきっかけは、20世紀初頭の日本人によるアバカ(マニラ麻)栽培の農園経営で、当時は約2万人の日本人が住む東南アジア最大の日本人街がありました。
ダバオ市には現在でも多くの日系人が住み、定年を迎えた日本人の移住先としても注目されています。
現在は木材の積出港であるほか、郊外にはドール社による広大なバナナプランテーションが広がり、その加工や輸出でも有名な街でもあります。
そして最近はアメリカ企業によるコールセンター業務などのアウトソーシング先として開発されていて、巨額の収益が期待されています。
ダバオ市が昨日の3月16日で78年目の市制記念日を迎えました。
ダバオには年に2回大きなお祭りイベントがあって、一つが毎年3月16日の「ダバオの日」を祝う市制記念日のお祭りアラウ・アン・ダバオ「Araw ng Dabaw」で、もう一つのお祭りは8月に行われるカダヤワン・フェスティバル「Kadayawan Festival」(収穫祭)です。



Araw ng Dabaw祭りは毎年3月に入ると直ぐに祝賀ムードになり、今年は去る9日にリサール公園でオフィシャル・オープニングのイベントが開催され、スタートを切り、16日の市制記念日当日に行われる市内パレードでピークを迎えます。
3月16日は「祭日」で、市民全員が76回目の市制記念日を祝います。
ダバオ市制記念日週間には市内のショッピングモールでは特別セールも開催され、各モールのイベント広場では有名アーチストによるショーなどで集客を促進しています。

また「ダバオの日」(Araw ng Dabaw)の期間中には毎年2つの大きなイベントがあります。
一つは「Datu Bago Award」(ダトゥ バゴ賞)という市民栄誉賞の受賞者の発表です。
Datu Bagoはスペイン統治時代に勇敢に立ち向かって闘ったダバオ生まれの英雄で、彼の栄誉を讃えて毎年「市民栄誉賞」の受賞者が選出されて授賞式が開催されます。
今年は8名の市民が選ばれて、去る14日の授与式でその栄誉が称えられました。
もう一つのイベントは、Mutya ng Dabaw(ミス・ダバオ)コンテストで、2月末に自薦、他薦の応募者を募り、書類・写真審査を経た後予選が行われ、去る2月28日に15名のファイナリスト
が決まりました。
Mutya ng Dabawは美と才能とダバオの発展のための提案を競うイベントで、最終審査が14日に行われ、Mutya ng Dabaw 2015が決定しました。
今年のミス・ダバオに選ばれたのはアテネオ大学で学んでいる21歳のKris Abegail C. Guanzonさんでした。(写真下中央)




フェルクリス セントラーレ

2015年03月10日 | 海外ロングステイ

ダバオに最近新しい大型商業センターがオープンしました。
「Felcris Centrale」(フェルクリス・セントラーレ)が先月、ドテルテ市長を迎えてオープニングセレモニーが執り行われました。
Felcris Centraleはショッピングモールの他にオフィススペース、ホテル、コンドミニアムの複合施設で、先月オープンしたのは商業エリア部分で、この先順次オフィスやホテル、コンドミニアムが完成する予定です。
ダバオ川の手前にあるLTO(陸運局)の直ぐ目の前に完成したセントラーレのモダンで美しい建物は人々の目を惹いています。


フェルクリス・セントラーレの床面積は、54,000平方メートルで、12階建ての建物の1,2階部分は、スーパーマーケット、ブティック、レストラン、専門店を完備したエンターテイメント・センターが特長で、3階から10階まではオフィス、ホテル、コンドミニアムが年内に完成する予定です。
私が1999年にダバオ暮らしを始めた当時、市内にはVictoria Plaza、Gaisano Mall, Gaisano South Mall, 中華街のNCC Mallの4つのショッピングモールがあっただけでしたが、その後ダバオ市内には新しいショッピングモールの開業が相次ぎ、エコランドにSM City Mallが出来、引き続いてマチナにNCCC Shopping Mallがオープンしました。
更に2010年から2011年にかけてAbreeza Mall, SM Lanang Premium Mallが開業して、現在のダバオ市内にはこのFelcris Centraleを入れて9つのショッピングモールが営業を続けています。
「Felcris」の名前は中華系のYap(葉)ファミリーに由来します。
Yap家の長男のフェリペ(Fel)と妹のクリス(Cris)の兄妹が1969年9月19日に会社を設立したことが始まりで、Felcrisはダバオ市内のアンダ通りで織物を売る小じんまりした小売店が始まりでした。
その後同社は順調に成長を遂げ、1976年11月に「Felcrisスーパーマーケット」が開業しました。
マグサイサイ大通りにオープンしたFelcrisスーパーマーケットはダバオ市で初の充実したスーパーマーケットになったのでした。
その後アメリカの会員制大型ディスカウントショップの成功に刺激を受けて、Yapファミリーは1991年7月14日にダバオ・セントラル会員制大型ディスカウント店社をつくり、Agdaoに開店したダバオ・セントラル会員制大型ディスカウント店は、最も安い価格で消費者にサービスを提供するフィリピン最初の会員制大型ディスカウント店になりました。(右写真)
その後1997年3月12日に24時間営業の「ダバオ・セントラル・コンビニエンスストア社」を設立し、ダバオ市内に現在100店舗近いコンビニが営業を続けてしていて、Yapファミリーはダバオのコンビニエンスストア産業の先駆者でもあるのです。





ダバオでシュラスコ

2015年03月03日 | 海外ロングステイ

その昔仕事で10年の間ブラジルに赴任していたことがあります。
サンパウロに9年、リオ・デ・ジャネイロに1年暮らしていました。
今では成人して大きくなった二人の子供たちがブラジル生まれということもあって、私にとってのブラジルは正に「第二の故郷」なのです。
10年の間のブラジル暮らしは仕事面でも私生活面でも新鮮なことばかりで大変充実していて、思い出話を始めたら丸一日かかっても話し切れないと思います。
そして今でもネット上で「BRASIL」や「ブラジル」の文字を見ただけで心が騒ぎ出す程ブラジル・フリークになっています。
折しもつい先日世界的に有名な「カーニバル」がブラジルで開催されて、今年は日本とブラジルが外交関係を樹立して120周年を迎える記念すべき年にあたることもあって、サンパウロで開催されたカーニバルのパレードに、東日本大震災からの復興を祈る青森県五所川原市の「立佞武多(たちねぷた)」の山車が外国の山車として初めて参加しました。
青森からおよそ40日かけて運ばれてきた高さ15メートルの山車は、東日本大震災で亡くなった人たちの鎮魂と復興への願いを込めて、鹿嶋大明神が地震を招くと伝えられる「なまず」を抑え込む様子が表現されていました。
山車がおよそ1時間にわたってサンバの踊り手とともに会場を行進すると、観客からは地元の山車とは異なる鮮やかな色彩の作品に大きな歓声が上がっていたそうです。
そして「ブラジル」と言えば美味しい「食」の思い出も沢山あります。
中でもブラジルを代表する「シュラスコ」と「フェイジョアーダ」は10年間のブラジル生活の中で数え切れない程食べました。
シュラスコ(ポルトガル語ではシュハスコ)は、鉄串に牛肉や豚肉、鶏肉を刺し通し、荒塩(岩塩)をふって、炭火でじっくり焼いたブラジルをはじめとする南米の肉料理です。
スペイン語圏では「チュラスコ」又は「アサード」と呼ばれていて、アルゼンチン、ウルグアイ、ボリビアなどでも供される肉料理でもあります。
シュラスコを提供するレストランをブラジルでは「シュハスカリア」(churrascaria) と呼んでいて、牛肉を中心に豚肉、鶏肉などの肉(中には鶏のハツなども含まれる)の様々な部位を串刺しにし、ギャルソン(牧童の格好をしている場合はガウーショ)と呼ばれるウエイターが串ごと客のテーブルに運び込み、目の前で食べたい量を切り分けるというスタイルが特長です。
もともとはブラジル南部のガウーショ(牧童)たちが行う料理法であったものが、1970年代からブラジル都市部のレストランでも供されるようになりました。
日本にも1990年代にシュラスコを売り物にしたブラジル料理、肉料理のレストランが数多くオープンしてブームになりましたが、その後バブル崩壊とともに減少してしまいました。
しかし、嬉しいことに最近各地で再びシュラスコ・レストランは増えつつあるようです。
そんな思いで深い「シュラスコ」がダバオで食べれたらいいな・・・、と常々思っていたところ、最近ダバオに「シュラスコ・レストラン」があることを知って、早速出かけて来ました。


約1年半程前にオープンしたダバオ初登場のブラジル料理のレストランは「JUNO Churrasco」(ジュノ・シュラスコ)で、マチナ・タウン・スクエア(Matina Town Square)の中にあります。
Uno AyalaさんとJoy Quimsingさん二人の共同経営のレストランで、二人の名前の頭文字から「JUNO」と名付けられたそうです。
ブラジル料理の店を始めるきっかけとなったのはUnoさんがシンガポールに留学中に見付けたお気に入りのシュラスコの店があって、その店に月に2回のペースで通う程シュラスコファンになったことから、ダバオに戻った後もずっとシュラスコの店のことが頭から離れずにいたそうです。
そして友人のJoyさんを誘ってダバオには無いブラジル料理のレストランを始めようと決心したそうです。
Unoさんはシンガポールでいつも食べていたシュラスコ料理の味を思い出しながら見よう見真似でブラジルスタイルのバーベキューの味付けなどを研究開発して開業にこぎ着けました。
Junoシュラスコではブラジルスタイルの「Rodizio」(食べ放題)がいつでも食べれる他、アラカルトメニューもあります。
Rodizioには牛肉のPicanha(イチボ)、豚肉、鶏肉、自家製ソーセージ、鶏レバーのベーコン巻きなどが次々と運ばれて来て、一通り終了するとお好みの肉をリピート出来ます。
Joyさん(女性)の作った”chimichurri”風の特製バーベキューソースの味も絶品です。


また、このRodizioコースにはブラジル名物の「フェイジョアーダ」も提供されていて、久々にフェイジョアーダの味も満喫出来ました。(写真上、中央下)
「フェイジョアーダ」(feijoada)は、黒豆と豚肉、牛肉などを煮込んだ料理で、ブラジルの他に、ポルトガル、アンゴラ、東ティモールなどポルトガルおよびその旧植民地で食べられていますが、各国で独自の発展をとげてきたため、使われる素材は国によって異なります。
ブラジルのフェイジョアーダの特長は豚肉の他に「豚足」、「豚耳」、「ソーセージ」、「ベーコン」などを黒豆と一緒にじっくり煮込んだ料理で、土曜日の昼食の定番メニューになっています。
久し振りに食べた「シュラスコ」と「フェイジョアーダ」を味わいながら暫し懐かしいブラジル時代のことを思い出すことが出来た一日でした。

  JUNO Churrasco

場所:Matina Town Square
電話:0932 195 8603
営業時間 :18:00 - 0:00

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開業:シティ・オブ・ドリームズ・マニラ

2015年02月24日 | 海外ロングステイ

フィリピンの首都マニラのウォーターフロント地区に、2ヶ所目の大型カジノリゾート「シティ・オブ・ドリームズ・マニラ」が先日オープンしました。
これによって、マニラは世界のギャンブルの中心地になる夢に一歩近づきました。
日本でもカジノ誘致については数年前から導入の関心が高まっていて、最新の情報では日本政府は、カジノを中核とした統合型リゾート(IR)について、2020年の東京五輪・パラリンピックまでに横浜市と大阪市の2か所で開業を目指す方針を固めたようです。
IRの候補地には、全国20か所以上が名乗りを上げて来ましたが、五輪までに開業できるのは、再開発計画などで適地のある横浜と大阪と判断したようです。
横浜市は、再開発計画が進む山下ふ頭(約50ヘクタール)が誘致先となる計画で、大阪市は、大阪湾の人工島・夢洲(ゆめしま)が本命視されています。
「シティ・オブ・ドリーム」の開業は、中国人のギャンブル客がマカオで費消する金額が減少する中、いまひとつ魅力に欠けるアジアの首都の1つであるマニラに、中国などの国から大金を賭けるハイローラーを呼び寄せる能力があるかどうかが試されることになります。
マカオのカジノ会社メルコ・クラウン・エンターテインメント(新濠博亜娯楽)が運営するシティ・オブ・ドリームズ・マニラは、マニラ湾の埋め立て地に造成されたエンターテインメントシティで営業を始めた2カ所目の大型カジノになります。
これによって合計4つのカジノリゾートから成るラスベガス様式の街の完成まであと半分のところまで漕ぎ着けました。

メルコ・クラウンによると、3棟の豪華ホテルと380のゲームテーブルを持つシティ・オブ・ドリームズ・マニラはすでに5000人分の仕事を創出していると言います。
フィリピンのギャンブル規制当局であり、エンターテインメントシティ計画を監督するフィリピン娯楽賭博公社(PAGCOR)は、マニラのエンターテインメントシティの発展により、向こう10年間で同国の年間のギャンブル収入はラスベガスやシンガールを上回る100億ドル(約1兆2000億円)に達する、との見方を示しています。
このメルコ・クラウン・フィリピン社が運営する大型カジノ「シティ・オブ・ドリームズ・マニラ」は昨年末のソフトオープンを経て、今回のオフィシャル・オープンに至りました。
同社は、マカオでシティ・オブ・ドリームズなどのカジノを運営する統合型リゾート開発・運営会社、カジノ王スタンレー・ホー氏のご子息、ローレンス・ホー氏率いるメルコ・クラウン・エンターテインメント(新濠博亜娯楽・香港)の子会社で、総開発費が13億ドル(約1530億円)とされるこの大型カジノには、地元の大手複合企業のSMグループも出資しています。
フィリピン政府がラスベガスとマカオに対抗するためにマニラ湾近くに開発した一大カジノリゾート地区「マニラ・エンターテインメント・シティ」に進出した大型カジノの開業としては2013年3月に開業したソレア・リゾート&カジノ(Solaire Resort & Casino Manila)に次ぎベイエリアでの2つ目の大型カジノとなります。


6棟からなるホテル施設には、VIP御用達260室のオーストラリア高級ホテルのクラウンタワーズホテル、ダブルウィング2棟365室を備えるハイアットホテル、そして、アジア初進出となるノブ・ホテルが登場しました。
注目のカジノエリアは、吹き抜け2フロアにゲームテーブル365台、スロットマシン1680台等々が設置されています。
さらに、人気アニメキャラクターを活用する教育エンターテイメント施設「ドリームプレイ」を開設して、ファミリー向け娯楽提供の拡充を図ります。
一部のショッピング・レストランゾーン等のオープンを待つ「シティ・オブ・ドリームズ・マニラ」のグランドオープンは2015年2月の旧正月前に行われました。
リゾートワールド、ソレアに続く第二の大型カジノが誕生したことで、マニラのカジノ勢力図の行方も注目されるところです。

    


ミスター・インターナショナル

2015年02月17日 | 海外ロングステイ

ミスター・インターナショナル2014-2015が去る2月14日、韓国の安山市で開催され、フィリピン代表のニール・ペレスさんがグランプリの栄冠に輝きました。
ミスターインターナショナルは、2006年から開催されている国際的な男性のコンテストで、今年は29ケ国の代表が参加して、日本からも今年初めて参加しました。


このコンテストに求められるのは、聡明で目的への志向が強く、意識の高い男性です。
現行の世界三大ミスターコンテストは「ミスター・ワールド」「ミスター・インターナショナル」「マンハント・インターナショナル」があって、「ミスター・ワールド」は歴史は長いですが2、3年に一度しか開催されません。
「ミスター・インターナショナル」は毎年開催されていますが、歴史が浅く、日本は今年初参加となりました。
「マンハント・インターナショナル」は、三大会中最も歴史が古いミスターコンテストで、モデルを本業とされている方が参加できる大会で、出場者のレベルが最も高いとも言われているようです。


「ミスター・インターナショナル2014-2015」で見事優勝の栄冠を手にしたフィリピン代表の二ール・ペレスさんは29歳の現役警察官です。
彼は「マヌエルL.ケソン大学」の犯罪学科を卒業後2006年から現職に就いています。
6年のキャリアで、彼は、災害と市民の防災などの対応に於いてその優秀さが認められて、13個のメダルを獲得しているそうです。
そして現在彼は「空港セキュリティグループ」の一員として、ニノイ・アキノ国際空港のターミナル3で勤務しているそうなので、今回の栄冠で一気に知名度が上がって、女性ファンがターミナル3に彼をひと目見ようと訪れることになりそうです。
今年の大会で最終ベスト10に進出した代表は、優勝したフィリピン代表の他に第2位にレバノン代表、第3位、チェコ代表、第4位、ポーランド代表、第5位、スロバキア代表、以下ブラジル、日本、韓国、メキシコ、タイとなっています。
二年程前に当ブログで紹介した「ミス・インターナショナル2013で見事グランプリを受賞したフィリピン代表のベア・ローズ・サンチアゴさん(写真左上)に続いての快挙にフィリピン人の美男:美女が世界レベルに達した証しとなりました。
因みに今年初参加したミスター・ジャパンの橋本将一さん(茨城県代表)は、「ミスター・フォトジェニック賞」を受賞しました。(写真右上)

   


話題の新商品

2015年02月10日 | 海外ロングステイ

以前にバンズの代わりに肉で具を挟むというチャレンジャーな商品を投入したケンタッキー・フライド・チキンが、また新境地を開きました。
KFCフィリピンが、チキンでソーセージを挟むホットドッグを発売しました。
新商品「KFC Double Down Dog」(ダブル・ダウン・ドッグ)は、パンの代わりにフライドチキンでソーセージを挟み、ハニーマスタードとレリッシュ(刻んだ野菜の甘酢漬け)をつかったドレッシングをかけた商品です。
1月26~27日だけの二日間、一部店舗で各店・各日50食限定で発売しましたが初日はすべて売り切れてしまいました。


その後2月に入ってからレギュラーメニューとして再登場し、ソーシャルメディアでは早くも話題となっていますが、栄養士たちは戦々恐々としているとか。
「ダブル・ダウン・ドッグ(Double Down Dog)」と名付けられた新メニューは、ホットドッグとフライドチキンに対するフィリピン国民の愛情に答えようとしている姿勢が感じられますが、マーケティング・ディレクター、エロール・マグダート(Errol Magdato)さんは「我々フィリピン人は食べ物のことになると非常に冒険好きだということも、ホットドッグが大好きだということも分かっている」と述べています。
KFCフィリピンで独自開発された「ダブル・ダウン・ドッグ」は、カロリーでいえば、ダブルチーズバーガーと同じか少ないくらいで、顧客の評判は上々だそうです。
現在のところ「ダブル・ダウン・ドッグ」がフィリピン国外で販売される予定はないそうですが、ソーシャルメディア上ではアメリカ、日本、ヨーロッパ各国で国境を越えて話題が広がっています。


ニュースサイト「マッシャブル(Mashable)」は「KFCが最新のふざけた食品を発売した」と評し、ポップカルチャー情報サイト「Uproxx」は新商品を「KFCのひどい最新ファストフード」と評したとか。
またTwitterには「悪魔よ、ダブル・ダウン・ドッグを発明してくれてありがとう」という投稿もあったそうです。
イギリスでは1,700kcalのハンバーガーですら歓迎されてしまうとあって、米英のKFCがその検討に入る可能性は十分にあるのではないでしょうか。
実際に試食をしましたが、薄味のフライドチキンに挟まれたソーセージの塩味とが上手くマッチして、なかなか良い味でした。

<カナダのテレビ局、City TVのニュース番組で早速紹介されました>
   


台湾旅行

2015年02月03日 | 海外ロングステイ

約7年振りに先週台北に行って来ました。
台湾はその昔初めて海外で仕事をした国だったこともあって、以降5回程出かけていて、ダバオからの訪問は今回で2回目となります。
前回行ったのは「猫空ロープウエイ」が出来て直ぐだったので、調べてみたところロープウエイのオープンが2007年の7月だと分かったので、7年振りの訪問となりました。
台湾はマニラから空路2時間で行ける近い国で、ダバオからだと飛行時間の合計は4時間弱で行けます。
今回の旅の目的は、観光は既に何度かしているので「グルメ」と「買い物」で、ダバオではなかなか入手出来ない品物を買ったり、同じく台湾でなければ味わえない「グルメ」を堪能して来ました。
時期的に台湾は「冬」なので、行く前に<寒さ>が気がかりでしたが、想像していたほど寒くなく、日中でも大変涼しく、快適な旅が出来ました。
今回の旅で一番驚いたことは、7年前に比べて台北市内が清潔でクリーンになっていたことで、その発展振りには目を見張るものがありました。

<からすみ>
今回の旅の目的のひとつに「からすみ」の購入がありました。
今から20年以上も前に初めて「からすみ」を食べた時の感動が今でも忘れられずにいます。
日本ではその気になればいつでも入手出来ますが、からすみはかなりの高級食材なので一時帰国の時には横目で見ながら通り過ぎていました。
しかし台北には「からすみ」の卸問屋があって、そこへ行けば新鮮で美味しい「からすみ」がリーズナブルな価格で入手出来ます。
からすみはボラなどの卵巣を塩漬けにし、塩抜き後、天日干しで乾燥させたもので、名前の由来は形状が中国伝来の墨「唐墨」に似ていたために名付けられたと言われています。
日本ではボラを用いた長崎県産のものが有名で、日本以外では台湾の他にイタリアのサルデーニャ島、スペイン、エジプトでも作られるそうです。
江戸時代から肥前国のからすみは、越前国の雲丹、三河国のコノワタとともに、日本の三大珍味と呼ばれています。


ほんのり塩辛く、ねっとりとしたチーズのような食感は、高級な酒肴として珍重されています。
軽く炙った後薄く切り分けて、同じく薄くスライスした大根に挟んで食べる食べ方が王道で、オードブルには最適です。
台北市内・油化街(ディーホァチエ)にある「永久號」というお店が老舗で、間違いなく美味しいからすみをお手頃な価格で販売しています。
「永久號」の店主は日本語も達者で、『常温で1週間、冷蔵庫で1ヶ月、冷凍で1年』と賞味期限を日本語で教えてくれました。
参考価格:大きさによって違いがありますが、ひとはら600~700台湾ドルで、空港などのお土産売り場で買う価格よりもはるかに安く入手出来ます(約2,200円~2,600円)

永久號
住所:台北市延平北路2段36巷10号
電話:02-2555-7581 02-2555-5481
営業時間:8:00~18:00
定休日:無
最寄り駅:中山駅から徒歩で20分くらい

<小籠包>
鼎泰豐(ディンタイフォン)は台湾台北市に本店を置く小籠包が看板料理の上海料理レストランです。
日本、アメリカ、中国、オーストラリア、インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、韓国にも店舗を持つ有名店です。
1958年、中国山西省出身の楊秉彝(ヤン・ピンイー)によって、台湾台北市信義路に第1号店が開店しました。
鼎泰豐は、食用油を販売する油問屋として開業しましたが、小籠包の販売は本業の食用油の売り上げが落ち込んだ時期に、副業として開始されました。
その後、鼎泰豐の小籠包は地元の人々の間で評判となり、1980年代には本業であった食用油の販売を取りやめ、小籠包の専業レストランに商売替えをしました。
当時は近隣住民が利用する地元の普通の食堂で、台湾国内外の観光客をターゲットにした商業形態は取っていなかったそうです。
1993年、アメリカの『ニューヨーク・タイムズ』紙で「世界の10大レストラン」に選ばれ、同紙の紹介によって一躍知名度が上がって、その後台湾国内、国外から多くの観光客が台北の店舗に来店する転機となりました。
その後、台湾国外店舗としてロサンゼルスと東京の店舗を開店させ、以降国外の店舗を次々と開店して行ったのです。
日本においては東京都内の中央区・港区・渋谷区・世田谷区・立川市のほか、横浜、名古屋、京都、大阪、福岡、熊本などの各市に店舗を持っていて、大半の店は高島屋への出店形態を取っています。
今回の滞在中に、余りの美味さに2回も訪れてしまった鼎泰豊は、本店ではなく最近オープンしたSOGO復興館地下2階の復興店で、MRT忠孝復興駅から直接SOGOに入れる便利な場所にあります。


出入り口に並べられた椅子は、行列必須を物語っていますが、オープンキッチンは順番を待つ人がガラス越しに小籠包作りを見学できるようになっていて、テキパキとしたリズミカルな手つきを見ただけで、手作り小籠包の美味しさが想像出来ます。
この復興店は美しい照明と最高の雰囲気という表現がぴったりのチャイニーズレストランで、内装はシンガポールの有名デザイナーである宋毅氏が手掛け、設計にも材質にも相当こだわって作られています。
木製のテーブルや大家による書や絵だけでなく、漬物などを盛る小皿にも特注の陶器が使われていて雰囲気も抜群です。
「小籠包」の他に点心などの料理の数々が写真付きのメニューに載っているので、選ぶのも簡単です。
時間帯によっては「60分待ち」から「120分待ち」となることがしばしばなので、少し早めに出かけて店頭の受け付けカウンターで申し込みをすることをお勧めします。

鼎泰豐
復興店:台北市忠孝東路三段300號B2(SOGO復興館 地下2階) 02-8772-0528

<士林夜市>
士林夜市(しりんよいち)は台北市士林区にある観光夜市です。
夜市の名が示すように夕方になると常設店舗の前などの路上に小吃と呼ばれる飲食物や衣料品、生活雑貨、遊戯などの様々な屋台が出店し、多くの来客で賑わう「夜市」は台北市内に何か所かあります。
中でもこの士林夜市は日本人観光客も多く訪れることから、多くの店では日本語が通じ、日本語のメニューを用意している店もあります。
元々このエリアは、基隆河を介して万華区や大稲埕へ士林近辺の農産物を輸送する交易の場として栄えていて、当初は媽祖を祀った「慈諴宮」の門前の広場に夜市が立っていましたたが、日本統治時代の1909年に「士林市場」が作られると従来の夜市のエリアに加え、市場の場外にも夜市が展開するようになりました。
士林市場は、1909年開場の古い施設の為老朽化による衛生上・安全上の問題があったため、台北市政府は大規模改修をするため、2002年に同市場を閉鎖し、代替施設として剣潭駅前に「士林臨時市場」が設置されました。


臨時市場は2002年11月に営業を開始し、士林市場にあった飲食店の多くが臨時市場に移転しました。
そして2011年12月25日に、従来の士林市場を改修・拡大した「新士林市場」が開業し、昔ながらの雰囲気をそのままに、安全で衛生的な環境で食べ歩きやショッピングが楽しめるようになりました。
新士林市場の地上階は、ショッピングエリアになっていて、多くの土産物店が軒を連ねていて、夜市の楽しみの一つでもあるゲームコーナーも、地上階に点在しています。
地下は屋台が集中する「美食街」となっていて、冷房も完備されていて、雨の日でも傘をささずに屋台料理が楽しめます。

士林夜市 交通アクセス
MRT 台北捷運淡水線剣潭駅より徒歩2分

<漢方薬>
歳を取るに連れて、病気とまでは行かないものの、身体のあちこちが「老化」して来て、いわゆる老化現象が起こるのはどうにもならない現象のようです。
「漢方薬」は昔から信頼していて、今回の旅行では老化現象の緩和目的の「漢方薬」の購入もありました。
台北市内の「迪化街」 (ディーホァチエ )は乾物店と漢方薬店街で有名な場所です。
迪化街はフカヒレ・ツバメの巣・干しホタテ・昆布・高麗にんじん・漢方薬・強壮剤・花茶(フラワーティ)・からすみ等々が激安価格で販売されています。
迪化街は19世紀中頃の清朝末期、貿易や船荷を扱う商店が街を形成したのが始まりで、城隍廟が建立されたのもこの時期です。
日本統治時代には茶葉が台湾の特産品となり、その積出港となっていたのが今の迪化街です。


20世紀初頭の日本統治時代は、台湾全土から乾物、漢方薬、お茶、布などを扱う商店がここに集結して、台湾の主要な商業エリアとなりました。
通りには、美しいバロック建築の建物が並んでいて、裕福な商人たちはこの街に集結したのです。
戦後になって現在の「迪化街」という地名がつきました。
現在でも台湾一の漢方、乾物、布問屋街として賑わう「迪化街」は、特に旧正月前には、歩くこともままならないほど、大混雑となります。
漢方薬店では症状を伝えて調合して貰います。
治療目的なら処方箋を持って行くのが良く、体質改善など、体にいいものはすぐに調合してくれます。
女性向きの美容関連のもの、滋養強壮のものなどはパックになっているものから購入することが出来ます。
日本で買う漢方薬の半値以下で入手出来るところが有難いです。

台北市迪化街
行き方 MRT「北門」駅出口2を出て塔城街を北上します。
途中市民大道をくぐり進んで行くと、南京西路を越えた辺りから迪化街に道の名前が変わり,この辺り一帯です(徒歩10分強)

  <士林夜市の美食街の様子を動画でご覧下さい>