福岡県太宰府市にある神社「太宰府天満宮」へ行って来ました。
大宰府天満宮は菅原道真を祭神として祀る天満宮の一つで、天神様のお膝元でもあります。
学問の神として知られる菅原道真公を祀る全国の天満宮の総本社といわれる大宰府天満宮には道真公の墓所でもある本殿は重要文化財となっており、境内には樹齢1000年を超える楠木や神木「飛梅」をはじめとする約200種6000本の梅の木、菅公歴史館、宝物殿などがあります。
初詣の際には九州はもとより日本全国から毎年200万人以上の参詣者が集まるそうです。
道真公が学問に秀でていたことから<学問の神様>として崇敬を集め、私が問した日も大勢の中高生たちの姿が目を惹きました。
そして驚いたことは韓国と中国からの観光客の姿が沢山参拝していたことでした。
東京で「天満宮」と言えば直ぐに「湯島天満宮」(湯島天神)が思い出され、高校と大学受験の時には何度か参拝をしてお世話になったものでした。
太宰府天満宮で特筆することは、「牛の像」を見かけたことです。
菅公は承和12年(845年)乙丑(きのとうし)の歳に生まれました。
そしてこの大宰府で亡くなられた後、その遺骸は都府楼の北東(うしとら)の方向へ向かって進み、牛車の止まったところ、当時の四堂のほとりに葬られ、このことが、太宰府天満宮の始まりとなったそうです。
また、天神信仰が初め農耕神として発展したことや、当時牛が農耕のシンボル的存在だったことも大きく関係していて、ご自身の身体と同じ神牛の部分を祈念を込めて、お互いに撫でさすれば身体健全はもとより病気全快するといわれ、また神牛の頭部を同じように撫でさすれば<知恵が付く>という信仰が生まれたそうです。
先日無事古希を迎えたことをきっかけに気持を一新させ、前々から計画していた『或る事』を学び始めるにあたってタイミング良く大宰府天満宮に参拝することが出来、参拝の後に神牛の頭部をしっかり撫でて来ました。
現役時代の福岡出張は仕事を終えてからの中洲や天神に繰り出すことも楽しみの一つで、九州支店の先輩や同僚には当時随分お世話になったものでした。
あの頃は五木寛之の小説「青春の門」がお気に入りの1冊で、小説の舞台となった筑豊地方の飯塚や田川、直方まで足を伸ばしたこともありました。
その福岡の中心地の「博多」も大きな発展を遂げていて、2007年3月には博多井筒屋が入居していた駅ビル(博多ステーションビル)が解体され、阪急百貨店や東急ハンズ、シネマコンプレックス「T・ジョイ」などが入居する新駅ビル<JR博多シティ>が建設され、九州新幹線開業前の今年3月に開業して、なかなかの賑わいを見せていました。
今回の博多滞在中に出かけたのが初めて訪れることとなった「柳川」です。
柳川といえば、水郷の川下りが有名ですが、どんこ舟の船乗場は西鉄柳川駅から歩いて5~10分のところに4カ所と、車で5~6分のところに2カ所あります。
全部で160隻余りのどんこ舟が用意されていて、乗船者が10名前後になり次第、随時出発していて、コースは通常は乗船場~水門~並倉~うなぎ供養碑~白秋道路~お花~沖の端の約70分の行程です。
舟は絵笠にハッピ姿の船頭さんが竿をさして柳川なまりと英語交じりの案内をしながら緩やかに堀を下っていきます。
柳川の堀は大小あわせると総延長約470kmにもなるそうです。
色とりどりの花や、ゆれる柳、水面に影を落とす緑につつまれて、ゆっくりと流れる時間は贅沢そのもので、当日はあいにくの残暑厳しい一日でしたが、舟内で<保冷用冷凍パック>を一個づつ配ってくれた気配りには感心させられました。
柳川というから名物はドジョウかと思いきや、ウナギだそうで、5軒くらいの店があるとの事で早速船頭さんお薦めの1軒に入って昼食を取って来ました。
柳川行きを突然決めたこともあって、前日の昼食に美味しい「うな重」を冒頭に書いたJR博多シティ9階の「てんくう」レストラン街で食べたばかりだったので、うなぎはやめて「どじょう」を食べて来ました。
柳川鍋の発祥地が九州の柳川だとばかり思っていましたが、「柳川鍋」はどじょうを使った江戸生まれの鍋料理だそうです。
開いたドジョウと笹掻きにしたゴボウを味醂と醤油の割下で煮て鶏卵でとじるのが特長で、名前の由来については、『守貞謾稿』によると、天保時代に骨抜き泥鰌を売っていた人物が屋号を「柳川」としたとされているそうで、その「柳川屋」と言う料理屋が始めた料理であることから「柳川」と呼ばれるようになった説があるそうです。
また、福岡の柳川産の土鍋を使ったという説もあったり、他に鍋にドジョウを並べた姿が柳の葉に似ているからという説もありますが余り有力ではないそうです。
「どじょう総理」と別名を付けられた野田新総理にあやかって食べた訳ではありませんが、夏バテ解消にはもってこいの1品でした。
毎年自分の誕生月でもある9月には日本への一時帰国を決めていて、好きな「温泉」でのんびり過ごすことがここ数年の恒例となっています。
昨年は大分の湯布院温泉で評判通りの素晴らしい温泉宿でのんびり出来ました。
今年は松山の「道後温泉」行きが主目的ですが、四国4県の中で一度も訪れたことのない<徳島県>まで足を延ばし、更に愛媛県の南にある海の街<宇和島>へも行くことが出来ました。
初めて訪れた徳島で知ったのが、あの四国霊場八十八ヶ所の1番から23番の霊場が徳島にあることです。
四国霊場八十八ヶ所は弘法大師空海が開いた霊場で、大師が42歳の頃(815年)に開創されたと伝えられています。
四国遍路はその八十八ヶ所霊場(お寺)を巡る旅です。
四国八十八ケ所霊場は阿波の国徳島「発心の道場(第1番から第23番)」土佐の国高知「修行の道場(第24番から第39番)」伊予の国愛媛「菩提の道場(第40番から第65番)」讃岐国香川「涅槃の道場(第66番から第88番)」の全部で88ヶ寺です。
88は人間の煩悩の数と言われていて、四国霊場を八十八ヶ所巡ることによって煩悩が消え、願いが叶うとされているのです。
他の巡礼地とは異なって、四国八十八箇所を巡ることを特に<遍路>と言って、地元の人々は巡礼者をお遍路さんと呼んでします。
八十八箇所を通し打ちで巡礼した場合の全長は1200~1400km程で、自動車を利用すると、打戻りと呼ばれる来た道をそのまま戻るルートや遠回りのルートが多いので、徒歩より距離が増える傾向にあるそうです。
一般的に徒歩の場合は40日程度、観光バスや自動車を利用する場合は10日程度を要します。
機会があったら一度<お遍路>を体験してみたいという願望はかなり前からあったのですが、なかなか実現に至りません。
徳島県を初めて訪れたことで知った1番と2番の霊場が徳島県鳴門市にあると知ってひらめいたのが<にわかお遍路>です。
ほんのさわりではありますが、1番と2番の霊場をお参りして来ました。
最初に訪問したのが一番の霊場の霊山寺 (りょうせんじ・トップ写真)です。
この霊山寺は第一番ということで遍路を始めようとする人はこのお寺を起点とする場合が多いため、巡礼装束である白衣や金剛杖、菅笠、納経帳、掛け軸など様々な巡礼用品を揃えることができる売店が本堂横と駐車場にあって、遍路初心者には遍路作法なども伝授しているそうです。
次に訪れたのが極楽寺(ごくらくじ・中央写真)で、四国八十八ヶ所霊場の第二番札所です。
1番と2番の霊場をお参りした夜は、夜景の美しい眉山の頂上にあるホテルの露店風呂で旅の疲れを解すことが出来ました。
そしていつの日か是非時間を作って残る86ヶ所の霊場を巡りたいと思っています。
地ビールとは特定地域で限定量生産する小規模ビール会社による地域ブランドのビールのことで、日本では緊急経済対策の一環として、1994年の酒税法改正によって、ビールの最低製造数量基準がそれまでの2,000klから60klに緩和されたことを受けて全国各地に誕生した地域密着・小規模醸造のビール会社による、地方ローカルブランドのビールを指します。
英語圏ではクラフト・ビールとも呼ばれ、また地ビールを醸造するビール会社や醸造所をマイクロ・ブリュワリーと呼んでいるそうです。
その出来立ての美味しいドイツビールの地ビール工場がチェンマイにもあります。
作りたてのドイツ地ビールを飲みながらドイツ料理を肴にライブ音楽が聴ける店がスーパーハイウエイ沿いにあるBigC Extra(旧Carrefour)の裏手にあります。
ビールは作りたての味が最高で、特にここにはDark Beer(黒生ビール)もあって、ラガー生ビールと併せて飲む<ハーフ&ハーフ>は最高の味です。
ここで飲める地ビールは<Bock>(ドイツ伝統ビール)、<Dunkel>(マンチェスター・黒ビール)、<Weizen>(西ドイツスタイル)、<Lager>(ドイツ・ピルセン)、<Pilsenr>(ドイツ・ピルセン)などがあって、それぞれ大ジョッキ、中ジョッキ、小ジョッキが選べます。
入口を入ると直ぐ右手に醸造タンクがあって、店内の正面には大きなステージが先ず目に入ります。
毎晩20時になるとこのステージでライブ音楽のショーがあり、客席の数も200席を超える大型ビアレストランです。
開店は毎日16時からで、スーパーハイウエイから旧カールフールの入口を少しだけ通り過ぎたところを左折し、3つ目の道路を右に曲がった直ぐ左側にこのビアレストランはあります。
Chiang Mai German Microbrewery
345 Moo 4 Chiangmai Lampang Road
Tel:053 244 588