ボイボイ日記・ダバオリターンズ

南国フィリピン南部の街ダバオで
はっぴぃな定年ライフを満喫する為の生活情報発信

思い出写真館

2010年12月23日 | 海外ロングステイ

サンパウロのクリスマス

私は現役時代の1969年から1979年の10年間、ブラジルに赴任していてサンパウロに9年、リオ・デ・ジャネイロに1年暮していました。
ブラジルに10年間もの長い間暮していたお陰でかなりあちこちブラジル国内を旅しましたが、当時は今のようにデジカメもパソコンも無かった時代なので、思い出の写真はアナログカメラで撮ったプリント写真が少し残っているだけで、スキャナーで取り込んで何枚かの写真をPCに保存しています。
ブラジルは日本の真反対側にある遠い国ということもあって意外と知られていないことが幾つかあります。
その一つが「ブラジルに雪が降る」ことでしょう。
ブラジルは南半球に位置する為日本とは反対に北部が暑く南部が寒く、ちょうどサンパウロを中心に北部のリオ州、バイヤ州、アマゾン州と北へ行く程赤道に近くなって暑くなります。
そして南部はパラナ州、サンタ・カタリナ州、リオ・グランデ・ド・スル州と南極に近づくため寒くなるのです。
特にサンタ・カタリナ州とリオ・グランデ・ド・スル州では冬になると「雪」が降ります。
南風が吹くと涼しく、北風が吹くと暖かいのも日本やタイとは対照的で面白い現象です。
ブラジルはカトリックの国なので、12月に入ると街中がクリスマス・モードに一転して、美しいイルミネーションンで街が輝き始めます。
暑い真夏のクリスマスは日本とはかなり違ったイメージですが、お馴染みのサンタクロースはブラジルでも12月には大活躍しますが、夏には不釣合いな完全冬装備で現れる為、汗だくで頑張っています。
トップの思い出写真はサンパウロ市内中心部にある<Viaduto de Cha>(御茶ノ水橋)の上から撮った一枚で、今から30年以上も前の写真です。
シャッターを開放で約30秒ほどかけて撮った懐かしい思い出の一枚です。
そして下の写真は最近のリオ・デ・ジャネイロのクリスマス・イルミネーションの写真で、後ろに見えるのが有名な<Pao de Acucar>(砂糖パン山)です。


思い出写真館

2010年12月18日 | 海外ロングステイ

ペトロパブロフスク/カムチャッカ・ロシア
       ・・・・2001年8月21日の日記から

遂にピースボート始まって以来のカムチャッカ寄港が実現しました。 
過去2回のクルーズではいづれも悪天候と荒波に遭って針路変更を余儀なくされたと聞いています。 
バンクーバーを出航してからお天気は曇り空でかなり気温は下がってはいたものの、波は比較的穏やかで、快適な船旅が出来ました。 
ペドロパブロフスクの港は貨物船専用の港の雰囲気で、遠くに見える万年雪の残る尖った火山の景色が特徴的でした。 
寄港地最後のカムチャッカでは多分英語が通じないと考え、久し振りにオプショナルツアーに参加して来ました。 
カムチャッカの人たちとの交流ツアーはこの極寒の地に残るロシア文化のひとつ、ロシア舞踊とロシア音楽を通して交流を図ろうと企画されました。 
船からバスに乗って約15分程の会場では既に我々参加者50名の到着を待っていてくれました。 
会場となったレストランのテーブルにはカラフルな民族衣装を着た可愛い子供たちが待ち受けていて、各テーブルに日本人2名とロシアの子供たち3名づつが座って、素晴らしい民族舞踊の数々が繰り広げられ、特にウクライナ独特の激しいダンスでは拍手喝采を浴びていました。 
子供たちは皆12歳とのことで、片言ながら英語を話すのにはちょっと驚きました。 
そして交流会では美味しいロシア料理のランチを堪能した後、子供たちと一緒に踊ったり、ゲームをやったり楽しい時間があっと言う間に過ぎてしまいました。 
真っ白な肌の可愛い子供たちを見ていて感心したのは、子供たち一人一人が特長のある、強いて言えば主張しているような「表情」を持っていることでした。 
日本の子供たちの画一的な表情に比べてロシアの子供たちの表情の豊かさに暫し感心してしまいました。 
交流会の後はバスで市内観光に向い、郷土資料館や自由市場を見学しましたが、市場の前のデパートへも足を運んでみましたが、品揃えは少なく、元共産国の厳しい姿を垣間見ることが出来ました。 
8月中旬を過ぎて日本では多分厳しい残暑が続いている頃ですが、カムチャッカの人々の服装はまるで「冬」並みの服装だったことが、真冬になると零下30℃もの厳しい寒さになるという片鱗が伺えました。
トップの写真は子供たちの「コサック・ダンス」で、下の写真はレーニン広場の「レーニン像」です。


ブログ開設3周年

2010年12月11日 | 海外ロングステイ

月日の経つのは本当に早いものでこのブログ「ボイボイ日記」を開設してから3周年になりました。
思い起こせば初めてアップしたのが2007年11月26日で、初アップの記事は「鯖好きタイ人」のタイトルで、サラリーマン時代の「昼食」で好きだったのが「サバの塩焼き」で、お気に入りの新橋駅前のビルの地下にある定食屋さんで良く「サバの塩焼き定食」を食べていたとの書き出しで、タイに住み始めて直ぐに気付いたタイ人の「サバ」好きなことをアップしました。
ブログを始めたきかっけは「老化防止」と日本に住む子供たちに父親健在の証しをブログの更新で知らせることでしたので、一週間に1回は極力更新を続けようと決めてスタートし、現在に至っています。
この3年間、1,090日の間にアップしたブログ記事の合計は219件で、5日に1回更新した計算になり、開設から今までの閲覧数が<109,986>となっていることを知って少し驚いています。
これからも「好奇心」の目を持ち続けて、新しい発見、新しい体験などをブログに書き綴って行きたいと思っています。
いつも訪問いただいている皆さま、今後も宜しくお願い致します。
トップの写真はピン川のロイクラトーン風景で、下はロイクラトーンパレードの様子です。


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2010年12月04日 | 海外ロングステイ

バンクーバー
  ・・・2001年8月10日の日記から

「地球一周の船旅」の第17番目の寄港国カナダのバンクーバーに予定通り到着したのが10日の午後3時です。 
今回のクルーズでは色々感心することがありますが、中でも寄港予定時間の正確さには驚かされます。 
17ケ国の寄港国では殆ど全てが予定通りか予定より早く到着していました。 
バンクーバーは空港通過だけは何度も体験しているのですが、市内に出たのは今回が初めてですが、巨大なビルが立ち並び、街には緑が溢れていてバンクーバーの街の第一印象はあのニューヨークのような近代都市です。 
早くから外国人移民を受け入れている国とは聞いていましたが、街中の看板に「中国語文字」が目立ちます。 
しかし物価は日本に比べて幾分安いといった感じなので、バンクーバーに定住するにはダバオとは比較にならない程の生活費がかかりそうです。 
ちょうど日本ではお盆前の観光シーズンとあって市内の目抜き通りのRobison通りを歩いてみると日本人の多さに驚かされました。
日本人観光客の他に留学生らしい若者の姿が目立っていて、目抜き通りにある「日本料理店」や「寿司屋」の数の多さに驚かされながら、「もしや?」と思って探してみたところ、案の定「日本語」で入力出来るパソコンを10数台も設置してあるインターネットカフェを発見したので、久し振りに日本語でのメール送信や、ホームページなどを覗くことが出来ました。 
今回の地球一周の船旅で訪れた17ケ国の中でバンクーバーは飛び抜けた近代都市と言うのが私の総合評価でした。
トップの写真はバンクーバー発祥の地の「ガスタウン」で、ここに酒場を開いた人のニックネームからこの辺り一帯をそう呼ぶそうです。
19世紀末頃の煉瓦造りのビルが残されていたり、石畳の道やガス灯など昔にタイムスリップしたような気分になれる街並みです。