ダバオの「七夕」の思い出。
フィリピンのダバオシテイで1999年から2007年までの8年間ロングステイしていた頃の思い出の写真です。
ロングステイを始めた1999年に市内にあるPNJKスクール(Philippine Nikkeijin Kai School)という私立学校(当時幼・小・中・高一貫校で、現在は大学まである)の小学部で「日本語」を教えていました。
フィリピンの学校は小学校から大学まで全て学校休暇が毎年4月初旬から6月初旬までの2ケ月間続きます。
日本の学校に比べると随分長い休暇に感じられますが、フィリピンではこのスクールホリデーの他には半期に約1週間、クリスマス時期に同じく約1週間の短期休暇があるだけで、春休みも冬休みもありません。
休暇日数のトータルで見ると日本の方が少し長いかもしれません。
私が日本語を教えていたPNJKスクールで、或る年に初めて「たなばた祭り」のイベントを企画しました。
小学校低学年から高学年、そしてハイスクールの生徒も全員参加で「たなばた」のお祭りをやることになり、各担当の日本語教師が生徒たちに「たなばた」の概要を説明し、子供たちに「短冊」を書かせました。
イベントを盛り上げる為に欠かせないのが「たながたさま」の歌です。
短い歌詞なのでみんな直ぐに憶えてくれて、生徒たちはそれぞれの「願い」を五色の短冊に書いて、ダバオの郊外から伐採して来た「笹」にしっかり飾り付けを済ませて、七夕祭りのイベントを全校生徒が集まって実施しました。
短冊をひとつひとつ読んで見ると、オーソドックスな「世界の人々に平和を」と大きな願いを書いた短冊、家族の健康を願ったもの、そして「成績が一番になりますように」といった生徒自身の願いがやはり一番沢山あって、中には「サンタクロース」への願いのような「携帯電話が欲しい」や「プレイステーション2が欲しい」、「パソコンが欲しい」、などの物的な願いが沢山書いてありました。
当時の私は小学5年生と6年生を担当していましたが、各クラスに居る5~6名の日系人の子供たちが短冊に書いた「願い」が悲しい願いだったので心が痛みました。
彼らの全てが母親がフィリピン人で、日本人の父親は日本に居て離れ離れで暮らしていたのです。
彼らが書いた短冊には、「お父さんと一緒に暮らせますように・・・」、「早くお母さんと一緒に又日本に戻れますように」、「日本に居るおばあちゃんと早く会えますように・・・」と、切実な願いが書いてありました。
PNJKスクールは私立学校で、それなりの学費がかかるので、多分日本に住む彼らの日本人の父親はしっかり「仕送り」をしていた筈ですが、子供たちにとっては経済的な安定もさる事ながら、やはり家族一緒に暮らしたいという願いが強いのでした。
『短冊に書いた願い事は本当に叶うの?』と真剣な顔で聞かれてしまって、「みんなでお星さまにお祈りして願いを叶えて貰いましょう・・・」というのが精一杯でした。