いよいよ今年も余すところ1週間となりました。
今年のフィリピンは10月にボホール島とその周辺で起きた大地震に続いて先月にはレイテ島を中心に襲った超大型台風30号によって6,000人以上もの犠牲者が出てしまうという自然災害に立て続けに見舞われてしまいました。
そんな悲惨なニュースが相次いだ後に一年を締め括るに相応しい明るいニュースが飛び込んで来ました。
世界各国・地域から選ばれた女性たちが“美の親善大使”として集う平和の祭典『2013 ミス・インターナショナル世界大会』が去る17日、東京都内で開催され、67ヶ国・地域の美女たちが水着やドレス、民族衣装で華麗な姿を披露しました。
各国代表の頂点となる「ミス・インターナショナル」グランプリに選ばれたのはフィリピン代表のベア・ローズ・サンチャゴさんだったのです。
ファイナル審査のスピーチの時には、11月8日の台風被害に対する各国の支援について感謝の言葉を述べていたサンチャゴさん、「この賞はフィリピンみんなのものです」と涙を浮かべながらスピーチを行い、最後は「アリガトウゴザイマシタ」と日本語で締め括りました。
世界3大ビューティ・ページェントのひとつであるこのコンテストは1960年に誕生しました。
外見的な美しさのほか、国際社会への貢献を目指す世界中のミスたちが、互いに交流を深めることを目的としています。
53回目の今大会は6年振りの東京開催でした。
「ミス・インターナショナル2013」の最終結果は以下の通りです。
1位 フィリピン代表 ベア・ローズ・サンチャゴさん(23歳)
2位 オランダ代表 ナタリー・デン・デッカーさん(24歳)
3位 ニュージーランド代表 ケイシー・ラドリーさん(21歳)
ベア・ローズ・サンチャゴさんはマニラの南部の町Alanang生まれで、幼少の頃には祖父母に育てられ、15歳の時に家族と共にカナダに移住して大学で「コミュニケーション学」を専攻し、卒業後フィリピンに戻りモデルの仕事に就いたことをきっかけに母国のフィリピンで2011年のミス・フィリピンの栄冠や、2012年のミス・インターナショナル世界大会では「ミス・ツーリズム・クイーン」の賞にも輝いたことのある実力派です。
誕生日のパーティも、結婚披露宴も、お祭りも、勿論クリスマスにも、これがなければ始まらないとまで言われているのがフィリピン料理の王様的存在の「レチョンバボイ」です。
レチョンバボイはフィリピンの代表的な料理でレチョンとは丸焼き、バボイとは豚を意味し、子豚の内臓を取り除いて、中に香草を詰めて、頭から尻尾にかけて棒で串刺しにした後、炭火の上でゆっくり回しながら丸1日かけてじっくり焼き上げたものです。
こんがりきつね色に焼かれた皮が香ばしさと、その食感が楽しめて特に美味しいのです。
レバーを使った少し甘いレチョンソースをつけて食べますが、宴会などで余った肉はこのレチョンソースと酢で煮込んで「レチョンパキシゥ」という保存のきく料理になります。
このパリパリと香ばしい皮と、ジューシーな豚肉の食感のコントラストが楽しめる子豚の丸焼き、レチョンバボイは、レストランやフードコートでも味わうことが出来ます。
フィリピン各地にはその土地ならではのレチョンがあるため、色々と試してみたいものですが、特にセブのレチョンは美味しと定評があります。
市内の生鮮食品市場のAGDAO公営市場へ行くと毎朝元気な仔豚の鳴き声が聞こえて来ますが。地元の人たちはここで生きた仔豚の中からお好みの大きさを選んで、バナナの大きな葉に包んで持ち帰りレチョン作りを朝から始めるそうです。
初めてレチョンバボイを目にした時は、頭から尻尾まで仔豚を姿焼きにした料理の形に少しだけカルチャーショックを受けたものでした。
日本にも昔から魚料理の「尾頭付き」があって、尾と頭がついた魚を意味するのですが、もちろん生きた魚では当然の姿なので、死んで食卓に上った魚の状態を言ったもので、日本で尾頭付きの魚は「切り分けられていない」ということで縁起が良いとみなされ、結婚式など晴れの日の料理として古くから用いられています。
レチョンバボイも日本の「尾頭付き」と同じような、縁起の良い料理と言えるのでしょう。
レチョンと言う言葉はスペイン語の「豚」が語源で、レチョンはフィリピン以外でも、キューバ、プエルトリコ、カナダ、ドミニカ共和国やスペイン語圏のラテンアメリカ諸国では大変ポピュラーな料理です。
下の写真はフィリピン北部ルソン島のバタンガス市で毎年開催されている「レチョンフェスティバル」の様子です。
Philippne Retirement Authority(PRA)<フィリピン退職庁>はフィリピン政府が所有し管理する法人で、入国管理局が発給するSRRV(退職者用特別居住ビザ)の申請手続きを行う機関です。
1985年に世界中から退職者を受け入れるプログラムを開始して早や30年近くが経過しました。
2006年、2007年と2度に亘る改革で、特別居住ビザ(SRRV)取得に必要な定期預金の金額がスタート当初の5万米ドルから2万米ドルへ、そして更に1万米ドルに「半減」させる新たな制度が導入されて以来6年目になりました。
この減額対象は年金受給の月額が800米ドルを超える満50歳以上の外国人に限定されています。
フィリピン観光省のニュースリリースによると、PRAが発給する退職者ビザ取得者のうち、ほぼ半数を韓国人が占めているそうで、日本人取得者数は韓国の5分の1にも満たしていないことが調査で分かりました。
少し古いデータですが、2006年1月~7月度の各国別退職者ビザ取得件数を調べたところ全体で683件、このうち340件が韓国で、割合にして49.8%、実に5割近くが韓国人で占めていました。
次いで中国103件(同15.1%)、日本は第3位で、総数にして61件(8.9%)という調査結果だったそうです。
しかし、韓国、中国、日本の取得総数は全体の73.8%を占めていて、地勢的にもアジアの中心に位置するフィリピンの永住権つき退職者ビザはアジア人の注目を集めていることには変わりません。
PRAのオフィスはスタート当初はマニラに本部があっただけで、SRRVビザの申請にはマニラまで出向いての手続きが必要でしたが、今はセブとダバオに事務所が出来ているので、便利になっています。
さて、今日の話題はSRRVビザの「解約」についてです。
SRRVビザ保持者が死亡した場合や、何らかの事情で日本に帰国する場合など、希望すればいつでもSRRVビザの解約が出来ます。
必要書類を添えて申請すれば約1ヵ月後にSRRVビザの解約が出来、ビザの取消しの後定期預金を引き出すことが出来ます。
ダバオ在住の方はRoyal Mandayaホテル2階のPRAのオフィスへ出向いて手続きを行います。
解約に必要な書類などは以下の通りです。
1 EXIT Interview Form(退会面談書) ※PRAの事務所に所定の用紙が常備されています。
2 ビザの取り消しと定期預金の引き落としを要請するレター。(英文での作成が必要で、簡単な文書を作成して申請者本人のサインをし、レターはPRAの最高実行責任者(CEO)宛てとします)
3 Affidavit of Quitclaim(PRAに対する免責保証書) ※PRAの事務所に所定の用紙が常備されています。
4 IDカード(家族全員)
5 パスポート原本
<申請料>
ビザのキャンセル手数料 500ペソ
短期ビザの発行手数料 3,510ペソ(申請者が死亡または海外から申請する場合は不要)
PRAキャンセルサービス料 US$10
PRAビザ発行サービス料 US$10(申請者が死亡または海外から申請する場合は不要)
以上の方法でSRRVの解約を申請すると、約4週間後にビザの取り消しが行われたパスポートと、定期預金の引き出しの許可証(Withdrawal Clearance)が発行されるので、その書類を定期預金を預け入れた銀行に持参すれば、銀行によって差はありますが、その日の中か、2~3日後に定期預金を引き出すことが出来ます。
特別居住ビザの取り消し後には30日間の「短期滞在ビザ」が発行され、パスポートにスタンプが押されて戻って来ます。
<注意事項>
SRRVビザのキャンセルと同時に申請者は観光で入国した時と同じステイタスに変わり、30日間の短期滞在ビザが発給されます。
もし申請者が最後にフィリピンに入国した日が短期ビザを押されたスタンプの日付から遡って6ヶ月以上経過していた場合には、フィリピン出国時にECC(Exit Clearance Certification)と言う出国許可証を事前にイミグレーションにて取得する必要があるので、ご注意下さい。、
また、6ヶ月以内の継続滞在の場合でもパスポートのVISA延長ページにECCを取得するようにと注意書きが押された場合も取得が必要になります。
ECC(出国許可証)の申請にはパスポートの他に2x2サイズの写真3枚と費用(500ペソ)が必要となり、上記に該当する方はこのECC無しでは出国が許可されないのでくれぐれもご注意下さい。
ボクシングで世界6階級制覇を果たしフィリピンの英雄として知られるマニー・パッキャオ選手が1年ぶりの復帰戦を見事に勝利で飾りました。
先日突然襲ったフィリピン中部の台風被害で苦しむ被災者にファイトマネーを寄付すると宣言していたパッキャオ選手にとって、被災地に捧げる勝利となりました。
ボクシング、WBOインターナショナル・ウェルター級王座決定戦12回戦は去る11月24日、マカオで行われ、マニー・パッキャオは判定の末3-0でメキシコ系アメリカ人のブランドン・リオスを下しました。
昨年12月、ファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)に6回KO負けして以来のリングでしたが、軽快なステップ、素早い左ストレートは健在で、終始、試合のペースを握り続け、12回を戦い抜いたのでした。
台風30号の被災地のレイテ島のタクロバンでは試合が開かれたマカオからの衛星中継を街頭テレビなどで視聴し、再起をかけて戦う元世界チャンピオンに自らの思いを重ねながら声援を送っていました。
判定の直後にリング上でマイクをとったパッキャオは、『これは私の復帰戦ではない』と語り、『これは自然災害と悲劇からの、わが国民の復帰戦だ』、『支援のため、被災地に行きたかったのですが、トレーニングがあるので祈ることしか出来ませんでした。試合が終わったので、出来るだけ早く被災地を訪れたいと思います』と語っていました。
フィリピンのミンダナオ島のジャングルで極貧から身を起こしたパッキャオは、自らを“出稼ぎ国家”フィリピンの一員と位置づけ、様々な形でファイトマネーを祖国に還元して来ました。
ボクシングで成功するまで、彼は本当に貧しく、家も土地もなく路上で寝ていたと聞きます。
それ故彼は貧しい人たちの気持ちや必要とするものが分かるのです。
身長169センチの小柄なパッキャオは、目に見えない程高速の左ストレートを武器に、自らよりも上の階級の選手を次々に倒し、アジア人として初めてアメリカでスーパースターの座に上り詰めました。現在までのプロ戦績は、62戦 55勝 (38KO) 5敗 2分となっています。
WBC世界フライ級
IBF世界スーパーバンタム級
WBC世界スーパーフェザー級
WBC世界ライト級
WBO世界ウェルター級
WBC世界スーパーウェルター級
以上が、パッキャオが獲得したタイトルで、オスカー・デラ・ホーヤに次いで世界で二人目となる6階級制覇の王者です。
海外では、実質的に8階級制覇として扱われることもあり、フライ級からスーパーウェルター級の体重差は実に16Kgになります。
通常の選手であれば、階級を上げるごとにスピードや相対的なパワーが目減りし、程なくしていわゆる「階級の壁」にぶち当たるのは常です。
ところが、パッキャオは次々と階級を上げてもスピードや相対的パワーを維持してきた点が極めて特異であり、さらに階級アップを通じて技術的完成度を向上させ続けてきたのでした。
パッキャオは挑んでいくボクサーで、日本の亀田選手のように階級をキープしたり記録を出すために下位ランカーの選手を指名して試合するビジネスライクな事はパッキャオにはありえません。
常に無理目の相手を選び、体重調整も対戦相手といかに互角に戦うかを考えて行っているのです。
マニー・パッキャオは名実共にフィリピンでは英雄であり、1度目の選挙では落選したものの、2度目の出馬となった2010年の下院選挙では有力候補を抑え初当選、現在もプロボクサーと国会議員の二足の草鞋を履きながら活躍しています。
また、平成24年6月より日本国内にて「一般社団法人マニー・パッキャオワールドスポーツ機構」をスタートさせ、自らも理事として参加しています。
この団体は、ボクシングを通じて日本とフィリピンの人的交流を行うことにより、新たなる雇用の促進を図り、フィリピン国内の貧困層の自立などの支援も目的としています。
<ご連絡>
当ブログに去る11月27日にメッセージを送っていただきました、H.Eさん。
メールアドレスの記載が無いので返信メールが送れません。