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ボイボイ日記・ダバオリターンズ

南国フィリピン南部の街ダバオで
はっぴぃな定年ライフを満喫する為の生活情報発信

バーゲンセールは花盛り

2010年08月28日 | 海外ロングステイ
チェンマイに本格的な「雨季」が到来して早や1ヵ月以上になりました。
こちらの雨季は日本の「梅雨」とは少し違っていて、終日シトシトと降り続けることは先ずありません。
そんな雨季に入ったチェンマイで今花盛りなのが「バーゲンセール」です。
チェンマイのバーゲンセールはいわゆるクリアランス・セールで、毎年商品の入れ替わる季節の変わり目に開催されています。
市内にある大型ショッピング・モールの<エアポート・プラザ>の中のテナント各店は派手なポスターで在庫一掃セールを行っています。
50%オフは当たり前で、中には<70%オフ>の看板を掲げている店も現れていて、週末ともなると買い物客でいっぱいになります。
日本におけるバーゲンセールは東京の日本橋にある三越デパートが1923年(大正12年)の8月5日に開催したものが最初だと言われているそうで、この時のバーゲン品は食料品、シャツ、靴下、を普段の価格より2割から3割値引きして販売するものだったそうです。

         

秋の味覚の「王者」

2010年08月24日 | 海外ロングステイ
日本の秋の味覚の王者と言えば「松茸」です。
その貴重な日本の秋の味「松茸」のお裾わけを昨日知人が我が家まで届けてくれました。
先週中国雲南省の昆明、大理、麗江へ旅行に行かれていて「麗江」で採れたばかりの新鮮な松茸をいただきました。
雲南省の松茸は毎年6月から主として日本向けに昆明空港から上海を経由して輸出されているそうです。
毎年7月末から8月いっぱいが出荷量が多く日本の家庭の食卓で麗江の松茸の香りが漂っているようです。
麗江市は中華人民共和国雲南省西北部に位置する街で、麗江古城はかつて少数民族のナシ族の王都だったそうで、現在でもナシ族の人々が多く居住しているそうです。
またナシ族のほかにリス族、プミ族、ペー族、イ族が居住していて、漢族より少数民族人口の多い地域となっています。
1996年の大地震で大きな被害を受けましたが、翌年の古城区(麗江古城)の旧市街世界遺産への登録などを契機に復興が進められ、地震被害はほぼ修復されているそうです。
そして麗江市は岐阜県高山市と友好提携している街でもあります。
戴いた松茸は写真の通り姿形も良く、香りも抜群で早速定番の「松茸ご飯」と「松茸土瓶蒸し風お吸い物」にしていただきました。
日本では相変わらず猛暑が続いているそうですが、チェンマイには本格的な雨季の到来と共に朝晩の涼しさが増して来ていて、日本の「秋」を先取り出来たような、そんな気分に浸れました。

       

アイス・モンスター登場

2010年08月21日 | 海外ロングステイ
エアポートプラザの4階、レストランFujiの向かい側に写真の「Ice Monster」が最近オープンしました。
このIce Monsterは発祥の地が「台湾」だそうで、シンガポールやフィリピンにもフランチャイズ店があって人気のお店のひとつです。
バンコクには数年前からあって、日本でも2005年に関西でオープンしましたが、間もなく閉店してしまったようです。
週末ともなると新しいモノ好きなチェンマイの若者でいっぱいのこの「Ice Monster」とはカキ氷の上にフルーツがたっぷりトッピングされて、更に練乳とガムシロップがかかっている冷たくて美味しいデザートです。
使っているカキ氷がパウダースノーのような細かな氷なので、食感は正に「シャーベット」なのです。
スモールサイズが55バーツ、Mサイズにフルーツのトッピングを一つ選んで85バーツですが、Mサイズと言ってもかなりのボリュームなので女性だったらSサイズで充分かも知れません。
氷の一番下までシロップと練乳がしみ込んでいて、最後の一口まで美味しくいただけます。
マンゴーをはじめとするトロピカルなフルーツからチョコレートのトッピングまでバラエティーに富んだアイス・モンスター。
ロゴに使っているモンスターの「足跡」もユニークで目を惹きます。

          
        

思い出写真館

2010年08月14日 | 海外ロングステイ
<スワキチ>魂健在!
自他共に認めるスワローズファンの私ですが、思えば小学生の頃からの国鉄スワローズファンが原点で、以降サンケイスワローズ、サンケイアトムズ、アトムズ、ヤクルトアトムズ(1970年 - 1973年)、ヤクルトスワローズ(1974年 - 2005年)、東京ヤクルトスワローズ(2006年 - 現在)と球団名が変わってもずっとスワキチを通し続けています。
その東京スワローズの今年のペナントレースは開幕後はまずまずの出足で頑張っていたものの、6月に入ってからずるずると負け続けて遂に「借金19」という最悪の事態になってしまい、高田監督の解任、小川監督代行の就任と異例の事態にまで発展し、自分の中では「今年のペナントレースは終わった・・・」と半ば諦めていました。
ところが8月に入ってからのスワローズの快進撃ぶりには目を見張るものがあって、俄然元気が湧いて来ました。
昨晩(13日)の対阪神戦では阪神を9-6で逃げ切り、怒濤の10連勝をモノにしたのです。これは2002年8月以来8年ぶり、球団史上5度目の10連勝です。
これによって最大19もあった借金も、遂に<1>にまで減らし、ミラクル5割復帰も間近で、中日を追い越して3位浮上、クライマックス・シリーズ出場も夢ではなくなりました。
今日の「思い出写真」は1990年から1998年までの間監督を務めた「野村克也監督」時代のもので、1997年の「日本一」になった時の祝賀会の折に撮った野村監督、古田選手とのツーショットです。

      

思い出写真館

2010年08月07日 | 海外ロングステイ
北京ダック

北京の代表料理と言えば何と言っても「北京ダック」です。
「北京ダック」は丸々と太ったアヒルの皮の表面にアメを塗って太陽にさらし、更に表面が茶褐色になるまでじっくりと炙り焼きにして作ります。
そしてパリパリに焼き上がったアヒルの皮の部分だけを薄く削いで、ネギやキュウリ、薬味、甜麺醤と共に小麦粉を焼いて作った「薄餅」(バオビン)と呼ばれる薄皮に包んで食べる贅沢な料理です。
コース料理の場合は、残った肉の部位は肉料理にして食べ、骨のがらは白濁した「鴨湯」(ヤータン)と呼ばれるスープを作るのに用います。
通常は皮、肉、骨の三点セットですが、水かき(鴨掌、ヤージャン)はゆでて辛子和えにし、肝臓は素揚げにして食べる事もあり、脳や舌も出す店もあります。
このように、無駄なくアヒルの全ての部位を楽しむ事が出来る料理が「北京ダック」なのです。
シンガポール時代にもこの北京ダックは良く食べましたが、2004年4月の北京旅行の時に北京の老舗「QUANJUDE ROAST DUCK RESTAURANT」で食べた「北京ダック」は今までに食べた何処の北京ダックよりも美味しくて最高でした。
そして市内の北京ダックを出すレストランの多くが、店先で「テイクアウト」用の北京ダックを売っていました。
残念ながら今回の旅ではその「テイクアウト」パックの北京ダックを買って食する機会はなかったのですが、様子をみていると結構良く売れていました。(写真下)

        

雨の日はアクティブに

2010年07月31日 | 海外ロングステイ
チェンマイに本格的な「雨季」が到来してから1週間が過ぎました。
今年の4月~6月のチェンマイの暑さはハンパではなく、エアコンが一日24時間、ほぼ毎日頑張って稼動してくれたお陰で体調も崩さず猛暑を乗り切ることが出来ました。
思い起こせば1969年に初めてブラジルに赴任して以来、シンガポール、メキシコ、フィリピン、そしてここチェンマイと「南国暮らし」が続いています。
ブラジルに10年、シンガポールは4年、メキシコ3年、フィリピン(ダバオ)に8年、そしてチェンマイには3年ちょっと暮らしています。
その中で一番暑かった国と言えばシンガポールで、ほぼ一年中エアコンのお世話になっていた記憶があります。
そのシンガポールで暮らしていた当時の笑い話を思い出しました。
一年中暑いシンガポールには「四季」ならぬ「三季」があると或る時シンガポール人の知人が熱弁を奮って言い切ったのです。
「真夏」以外の2つの季節は何なのか興味があり、彼の話を聞いてみると・・・。
<Hot>、<Hotter>、<The Hottest>、(暑い)、(より暑い)、(超暑い)の三季がその答えだったの笑えました。
ブラジルのサンパウロは意外と知られていませんが、8月~9月が結構寒く、時には「霜」が下りることもあるのです。
メキシコ・シティは標高2200m以上もある高地の為、空気が乾燥していて、ゴルフをプレイしていても汗をかくことが殆どなく、不思議な感じがしたものです。
フィリピンのダバオは海が直ぐ近くにある街で、ビーチリゾートも幾つかあって、気候的には大変住み易いところでした。
チェンマイはこれから毎日少しづつ涼しくなって行き、空気が綺麗なってドイステープの木々が青々としてきて、そこを縫うように雲が流れて行くのを眺めながら快適な「乾季」に向かって行きます。
雨降りには積極的に外出することで気分も爽快になります。
市内にあるゴルフの打ちっぱなし練習場で翌日のラウンドに備えて打ち込み練習を軽く終えた頃には太陽の光が射して来ました。
       

遅めの雨季の到来

2010年07月24日 | 海外ロングステイ
日本列島は梅雨が明けた後に「猛暑日」が続いていて、連日最高気温の新記録のニュースが届いています。
二十四節気の一つで暑さが最も厳しいとされる「大暑」の昨日(23日)の日本列島は、引き続き高気圧に覆われ、東海や東日本を中心に各地で最高気温35度以上の猛暑日となったそうで、岐阜県多治見市などでは全国最高の38.9度を観測しました。
チェンマイの今年のお天気も異変続きで、いつもの年だと4月の「ソンクラン」が終わった頃から雨が徐々に降り始めて「雨季」の前兆が見られるのですが、今年は5月~6月には殆ど雨が降らず、厳しい暑さの毎日が続きました。
特に6月初旬には連日40度を越える猛暑が続いて、インドやアフリカ並みの異常な暑さに驚かされました。
しかし、ここ数日前からやっとチェンマイに本格的な「雨季」がやって来てくれたようで、一日一回降ってくれるスコールのお陰で、つい先日まで30度を越えていた朝晩の気温が24~25度あたりまで下がって、かなり凌ぎ易くなりました。
タイは熱帯気候に属していて、チェンマイでは1日の最高気温は25-35度、最低気温は10-24度ぐらいで、湿度は70-80%とかなり高いです。
季節は乾季(11月から3月)と暑季(3月から5月)、雨季(5月から11月)に分かれます。
チェンマイの乾季は雨が全く降らず、気温・湿度もそれほど高くなく非常に過ごし易い時期と言えます。
12月中旬から1月初旬あたりはタイ人の一番好きな時期で、チェンマイはセーターが必要なほど寒くなります。
チェンマイの暑季は昼間は刺すような日差しと共に温度も非常に高く、ゴルフをプレイする時には日射病・脱水症状に充分気を配り、夜も気温が余り下がらず、寝苦しい熱帯夜が続きます。
そしてチェンマイの雨季の天気は常にどんよりと曇っており、雨が降ったり止んだりを繰り返しますが、長雨はあまりなく、殆どがにわか雨で、すぐ止んでくれますから傘を常備していなくても問題ないでしょう。
湿度は高いですが、日差しが地表に届かないため、気温がそれほど高くならず、比較的過ごし易い時期と言えるのです。
ただし雨期の終わり近くになると毎日のように、大雨・長雨が続くことが稀にあります。
このようにチェンマイの気候は、年間を通して比較的過ごし易く、日本人がチェンマイに移り住むケースが多いのも、1年中過ごし易い気候であるからと言えるでしょう。
タイの首都バンコクが、「汗が全身から噴き出す過酷な猛暑」の時にも、チェンマイは「暑いね!」といったところです。
ただ、チェンマイ市は盆地に位置しているため、暑季は日中の気温が上がり易いのに加え、街の西側には海抜1,677mのドイ・ステープがあって、西からの風を妨げている為、風向き加減によっては市街の空気が滞留し、特に埃っぽい乾季は、街全体が霞んで見える場合があります。

        

アトランティックサーモン

2010年07月17日 | 海外ロングステイ
私の毎朝の朝食は「和食」が中心で、特に「焼き魚」、「玉子焼き」、「納豆」、「味噌汁」に温かいご飯の朝食が大好きで、週2回は「焼き魚朝食」です。
日本の旅館では朝食に出てくる魚といえば、塩鮭や干物が定番で、地域によって違いはありますが多くの旅館が塩鮭・干物が朝食の定番メニューです。
日本の朝ごはんが塩鮭や干物だという理由は、腐りにくいからだったり、調理に時間がかからないからだと言われているようですが、昔は干物や塩漬けにすることが魚を保存しておく手段で、魚港の近くでない限り、朝、魚を手に入れるのは難しかったからで、そうしたことから、必然的に塩鮭や干物が朝ごはんを彩るようになって旅館の朝ごはんとしても広まっていったようです。
その「焼き魚」の定番とも言える<塩鮭>ですが、美味しい「鮭」がチェンマイでも入手出来ます。
       
市内の外れにある大型スーパーの「MAKRO」でトップ写真の冷凍鮭(アトランティックサーモン)が一尾単位で買えるのです。
一人で丸々一尾は少しばかり量が多いので、いつも親しくしている知人とシェアして購入しています。
冷たく澄んだ海で育ったノルウエー産のこの鮭の鮮やかなサーモンピンクは良質の脂がのったサーモンの証です。
市場に出ているアトランティックサーモンはほとんどが養殖で、MAKROの冷凍サーモンは保存状態も良く、フライ、ムニエル、刺身は勿論「塩焼き」が絶品です。
冷凍サーモンはお店の売り場担当にお願いして、電動ノコで好みの厚さにスライスして貰って自宅に持ち帰り、自然解凍した後に岩塩で一切れづつ丁寧に塩をしてから丸一日冷蔵庫に入れて「塩」をなじませ、その後一枚づつラップをして再度「冷凍庫」で保存します。
          

思い出写真館

2010年07月10日 | 海外ロングステイ

ポルトのポートワインとモツ料理「トリッパ」

「ポルト」はポルトガル北部にあるポルトガル第二の都市です。
2002年2月に二度目のポルトガル訪問の時にリスボン駅からポルトガルが誇る特急列車「ALFA」に乗ってポルトの街まで行って来ました。
特急列車でリスボンから約3時間半かけてポルトの街に到着しました。
ポルトガル入りする前に立ち寄ったヴェニスで見た「仮面カーニバル」がポルトに着いた日にタイミング良く市内のジョアン一世広場で開催されていて、かなりの人出で賑わっていました。(トップ写真)
また、ポルトの街はあの「ポートワイン」で有名な港町で、早速ポートワインのワイン工場を訪ねて美味しいワインをいただいて来ました。


ポートワインというのはワイン醸造の醗酵過程で糖分が10%になった時点でブランデーを足して醗酵を止めてしま更に樽で熟成させて作るワインで、一般のワインと異なり、アルコール度数は25%前後とかなり高く甘口の酒です。
そしてお目当てでもあったポルトの名物料理「トリッパ」(Tripa)を食べて来ました。
Tripaはポルトガル語で「内蔵」を意味しますが、この料理はズバリ、ポルトガル式「モツ煮込み料理」です。
その昔ポルトの街の男たちは戦いの為に船に乗って長い旅に出たそうです。
旅に出る戦士たちの食料として肉類が大量に船積みされましたが、保存の利かない「内蔵」は港に残して船出して行ったので、陸に残された人々はその内蔵肉を工夫して豆と一緒に煮込んだ料理を考えたそうです。
白豆と一緒に柔らかく煮込んだ「モツ」は、にんにくなどの香辛料を使っていないのに独特の臭みもなく大変美味しくいただけました。
この美味しいTripa好きのポルトの人たちのことを「Tripeiro」と呼ぶそうです。
ポルトの市内で極上の「Tripa」(写真下左)が食べれるレストランを事前に調べてあったので早速出かけて来ました。
美味しい「Vinho Verde」(微発泡ワイン:ヴィーニョ・ヴェルデ)との相性もバッチリでした。
風格のあるレストラン<Solar Moinho de Vento>(太陽の風車)で撮った記念の一枚が右下の写真で、一緒に写っている紳士は一見レストランのオーナーに見えますががギャルソン(ウエイター)さんです。
      


ホワイト・ゴーヤ

2010年07月03日 | 海外ロングステイ

ダバオ時代にも良く食べていた「ゴーヤ」。
沖縄では「ゴーヤ」、本州では「にがうり」の名称で知られるこの野菜は、口の中でじゅわ~っと広がる苦みが独特の南国野菜です。
南国の力強い日差しの下で育ち、緑色のイボイボの中に苦みと水分をたっぷりと蓄えています。
原産地は熱帯アジア。日本では南西諸島と南九州で多く栽培されていますが、独特な苦味があるので好き嫌いが分かれる野菜として知られ、種子にリノレン酸を含むことも分かっています。
未成熟な状態の「果皮」を食用とししているので、ビタミンCなどの水溶性ビタミンを多く含むことや、健胃効果もある苦味(苦味成分として、モモルデシン(momordicin)を含む)のため、夏バテに効く健康野菜・ダイエット食品としての認知度が上がり、日本でも全国規模で栽培されるようになっているそうです。
通常は濃い緑色が特長の「ゴーヤ」ですが、ロイヤル・プロジェクトのお店で見付けたのが写真の真っ白な「ホワイト・ゴーヤ」です。
緑色のゴーヤに比べて苦みが少なく、水分が多いのがこのホワイト・ゴーヤの特長です。
「ツナ缶」を使って簡単に「ゴーヤ・サラダ」を作ってみました。(写真下)
ゴーヤのシャキシャキした食感と「ツナ」の相性も抜群で、ちょっと病みつきになる味です。



サッカーワールドカップの思い出

2010年06月26日 | 海外ロングステイ

Eu te amo meu Brasil, eu te amo
Meu coracao e verde, amarelo, branco, azul, anil
Eu te amo meu Brasil eu te amo
Ninguen segurar juventude do Brasil!

愛するブラジル、大好きなブラジル
僕の心の色は国旗と同じ、緑、黄、白、青、藍色
愛するブラジル、大好きなブラジル
ブラジルの青春パワーは誰も止められない!

2010ワールドカップ・サッカー南アフリカ大会でグループEの日本代表チームがデンマークに3-1で快勝して決勝トーナメントに駒を進めてサッカーファンは元より沢山の日本人がエキサイトしています。
今からちょうど40年前の1970年のブラジルの新年は軽快なマーチのリズムに乗った「応援歌」で幕が開きました。
その応援歌が冒頭の歌詞で、1970年6月に開催された第9回サッカー・ワールドカップ、メキシコ大会に向けてのセレソン・ブラジレイラ(ブラジル・ナショナルチーム)への「応援歌」です。
連日ラジオやテレビから流れるこの応援歌、40年経った今でも鮮明に耳に残っています。

http://www.youtube.com/watch?v=aTcpWd3NnnM&feature=related

ブラジルに赴任して2年目を迎えた私は当時サンパウロ市内に住んでいました。
1970年のW杯のブラジル代表選手はサッカーの王様の別名を持つペレーの4回目の代表入り、そして彼のW杯最後の出場となった記念すべき大会でした。
決勝戦のブラジルvsイタリア戦が行われたのがメキシコシティのアステカスタジアムで、1970年6月21日の日曜日、現地時間の12時(ブラジル時間の午後2時)キックオフでした。
ブラジルのスタメンは:GK:フェリックス、DF:ブリット、ピアザ、カルロス・アルベルト、エベラルド、MF:クロドアルド、ジェルソン、リベリーノ、FW:ジャイルジーニョ、トスタン、ペレ。


その日のサンパウロ市内は決勝戦の始まった時間には「静寂」そのものに変わり、車の姿も全く無く不思議な世界に入ってしまったような印象でした。
全てのブラジル人がその時間には「テレビ」の前でイタリア戦を観戦していたと言っても過言ではありません。
ところが最初の<1点>がブラジルに決まった途端に街中に響き亘る「花火」の音!
サラウンドスピーカーの中心に居るような「音」の洪水に驚かされました。
そして4-1でブラジルのW杯、三度目の優勝が決まった瞬間にパウリスタ大通りは「カルナバル」に早変わりして、勝利に熱狂するブラジル人で溢れ、サンバを踊り、紙テープが舞い、ドラムのパーカッションのリズムが深夜まで街中に響き渡ったのでした。
パウリスタ大通りの直ぐ近くに当時住んでいた私は同僚と一緒に家を飛び出して、勝利の祝いの行進の中に入って♪Eu te amo Brasil を歌いながらフレンドリーなブラジル人たちと一緒に「美酒」を呷ってセレソン・ブラジレイラの勝利を祝ったのでした。
そして、その夜に大統領発表で翌日の6月22日(月)が急きょ国民の「祝日」と決まり、予定していた「業務」が出来ずに困ったことを憶えています。
ブラジルでは国民の祝日に働けるのは病院など極く限られた事業所のみと法律で決められているからです。



想い出写真館

2010年06月19日 | 海外ロングステイ

ピラミッドとスフィンクス<エジプト>

「地球一周の船旅」2001年6月26日(火)の日記から。
100数十キロにも及ぶ細長いスエズ運河の通行は1方通行になっていて、中間地点に設けられた幅広い湖のような場所で上り、下りの船の運航交代をして地中海側からやって来る船の通過待ちをします。 
日によって船の数が変る為、中間地点から地中海へ抜け出せる予定時間がこの場所に到着しないと事前には分からないそうで、運がいい事に我々の船がその地点に着いた時には地中海側からの船が殆ど無くて、ほぼストレートにエジプトのポートサイトに向かう事が出来た為、予定より大幅に時間短縮が出来て夕方6時には上陸が出来ました。 
エジプトに着いての第一印象は同じアフリカの国でありながら、今まで回ったケニア、エリトリアとは全く異なる顔立ちの人々に出遭ったことです。
エジプトの人々の肌は白く、外見もアラブ系の彫りの深い顔立ちに変っています。
上陸二日目は期待していた「ピラミッド群探訪」ツアーに参加しました。 
ルクソールで起こったイスラム過激派のテロ事件から十数年経った今でも、エジプト観光局は観光客の安全を重視して、今回のツアーに仕立てた観光バス10台の列の前後に銃で武装した警察の護衛車をつけてコンボイ編成で約3時間離れたカイロの街へ向いました。 
カイロ市内はさすがに観光とスエズ運河収入で潤っているエジプトらしく活気に溢れていて、市内のあちこちにある立派な建物が目を惹きます。 
最初に訪れたのがサッカラのピラミッドで、砂漠の中に作られた4000年以上も前のピラミッドが悠然と聳えていた。 
次に三大ピラミッドで有名な「ギザのピラミッド」に到着して最初に一番大きなクフ王の大きなピラミッドの前で早速記念写真を撮ることにしましたが、大きなピラミッドだけに全体を一枚の写真のフレームに入れるのが困難でした。 
そして写真でしか見たことのなかった有名な「スフィンクス」の姿を見て大いに感動しました。 
ピラミッドと言えば以前数回出かけたことのあるメシコのチチェンイッツアーにあるマヤ遺跡のピラミッドを思い出しましたが、エジプトのピラミッドは「お墓」で、マヤのピラミッドは「祭壇」と、作られた目的が大きく異なっています。
ただ、マヤのピラミッドの方が幾分保存状態が良好に思え、ピラミッドの頂上へ上らせてくれるのもマヤの遺跡の方だったし、厳かな雰囲気の漂うマヤ遺跡の方に軍配を上げたいと思います。 
エジプトのピラミッド見学で感じたことは何処の観光地でも見かける「土産品売り」の数が多く、その上かなり執拗に迫って来るので閉口したが、土産品の特長がメキシコのマヤ遺跡で売っている品物とかなりの共通点があることに驚きました。 
昼食と夕食で食べたエジプト料理もなかなかの味で、エイシと呼ばれるピザの生地のようなパン、ハマームと言うハト料理、有名なシシカバブーなどなど、どの料理も美味しくいただけました。



ミスドの「寿司ド」

2010年06月12日 | 海外ロングステイ

ミスタードーナツ(Mister Donut)はアメリカ・マサチューセッツ州ボストンで1955年に創業されたドーナツチェーンのブランドで、日本では「ミスド」の略称で親しまれています。
日本への進出は1971年のことで、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドなどと同じく日本で最も早い時期に始められたフード系フランチャイズです。
その「ミスド」のチェンマイのお店で見付けたのが可愛い「SushiDO」、寿司型ドーナッツです。
日本食が大好きなタイ人に日本を代表する「寿司」に目を付けて開発したこの可愛い「SushiDo」、スイーツと「寿司」のミスマッチがいかにもタイらしく、カラフルな色遣いもタイならではのものでしょう。
「イクラ」に似たトッピングは「ゼリー」で出来ていて、味はいたって普通のドーナッツです。
写真の10個入りセットが89バーツ、日本円換算で約250円です。
タイのテレビで流れている「SushiDo」のCMが以下のサイトでご覧になれます。
http://www.misterdonut.co.th/04_tvc/index.php?Id=14



茶碗蒸しは「おふくろの味」

2010年06月05日 | 海外ロングステイ

誰にでも「おふくろの味」の思い出があるでしょう。
「おふくろの味」は、家庭料理によって養われる味の記憶で、母親の持つ暖かいイメージから生み出される優しさに溢れた「味」のことでもあります。
50歳以上の好きな「おふくろの味」ランキングがネットに載っていて、ベスト3が以下の料理に決まったそうです。
1位 味噌汁
2位 肉じゃが
3位 玉子焼き
今思うと私のおふくろはかなり「料理上手」の母親だったと思います。
出来合い(市販品)の惣菜類が嫌いで、「佃煮」や「沢庵」「塩辛」などを新鮮な素材選びから丹念に作ってくれていました。
数ある「おふくろの味」の中でも特に好きだったのが「茶碗蒸し」です。
たっぷりの鶏肉と蒲鉾、そして我が家の茶碗蒸しには子供にはちょっと不似合な「ギンナン」が必ず二粒入っていました。
チェンマイに来て驚いたのはタイにも日本の茶碗蒸しにとても良く似た「カイ・トゥン」というタイ風茶碗蒸しがあることです。
そしてもっと驚いたのは芸術品のような「茶碗蒸し」にチェンマイのレストランで出逢ったことです。
そのレストランとはフェイケーオ通りのチェンマイヒルホテル内の「水仙亭」です。
昼食に時々出かけて「寿司定食」をいただいています。
ランチメニューには寿司定食の他にも「天婦羅定食」、「焼き魚定食」など数種類あって、どの定食にも写真の「茶碗蒸し」が付いているのです。
写真でも分かるように茶碗蒸しの表面に青菜やニンジン、椎茸を使って綺麗な絵柄が浮かんでいて、食べる時に崩してしまうのを躊躇する程綺麗に描かれています。
勿論味も申し分なく、水仙亭の茶碗蒸しを食べる度に「おふくろの味」を思い浮かべています。



思い出写真館

2010年05月29日 | 海外ロングステイ

1972年の思い出の一枚です。

ツーショットの美人は「小柳ルミ子」です。
彼女が「わたしの城下町」で華々しくデビューしたのが1971年のことでした。
そして「お祭りの夜」、「雪あかりの町」、「瀬戸の花嫁」と次々にヒットを出して、天地真理・南沙織らとともに「三人娘」と呼ばれ、1970年代前半を代表するアイドルになりました。
その小柳ルミ子が私のブラジル赴任時代にCM撮影の為にサンパウロまでやって来たのです。
あの年はデビュー3作目の「瀬戸の花嫁」が大ヒット中の超売れっ子の歌手だったので、サンパウロの滞在期間は5日間だけで、その間に4種のCMを撮影して行きました。
当時の私は会社の「広告部」で仕事をしていたことから、小柳ルミ子と撮影隊一行と行動を共にしたのです。
かなり慌ただしい中での撮影で、サンパウロ郊外の「牧場」での撮影の時は前以て現地入りし準備していた撮影隊と合流する為に小型ジェット機をチャーターして小柳ルミ子と一緒に現地入りをしました。
そして牧場で2種類のCM撮影を終えた後はバスで夜間に長距離移動をし、翌朝はサンパウロ市内の中心地での撮影に臨みました。
トップの写真が牧場での撮影の合間に撮った一枚で、下の写真が朝のサンパウロ中心街でのロケの後の一枚です。
当時20歳だった小柳ルミ子は、キュートな八重歯でいつも笑顔を振りまいていました。
彼女はその後アイドルというジャンルを卒業し、持ち前の歌唱力を活かした正統派歌手として「冬の駅」「逢いたくて北国へ」「星の砂」「来夢来人(ライムライト)」「お久しぶりね」などのヒット曲を飛ばし、その軌跡として、デビューの1971年から1988年まで、NHK紅白歌合戦に18年連続出場という実績を残しています。
あれから30数年が過ぎ彼女は今は57歳になっています。
先日テレビで最近の彼女を見る機会がありましたが、あの当時の純情イメージからは想像出来ない程の妖艶な熟女に変貌した小柳ルミ子の姿に驚いたり懐かしんだりしているところです。