ボイボイ日記・ダバオリターンズ

南国フィリピン南部の街ダバオで
はっぴぃな定年ライフを満喫する為の生活情報発信

思い出写真館

2011年08月27日 | 海外ロングステイ

シュラスコ(ブラジル・バーベキュー)

シュラスコ(ブラジルポルトガル語:churrasco)は鉄串に牛肉や豚肉、鶏肉を刺し通し、荒塩(岩塩)をふって、炭火でじっくり焼いたブラジルを代表する肉料理です。
ブラジルポルトガル語ではシュハスコと発音されますが、アルゼンチン、ウルグアイ、ボリビアなどでも好まれている肉料理です。
シュラスコはお祭り好きなブラジル人の大好きな料理で、「誕生パーティ」、「結婚披露宴」、「落成祝賀会」、「送別会」などなど様々なイベントでこのシュラスコが登場します。
とにかく肉とパン、そしてサラダに飲み物を用意してあとは炭さえあればいつでもどこでも簡単に出来る栄養、ボリューム共にたっぷりのダイナミックな料理と言えるでしょう。
牛肉を中心に豚肉、鶏肉、ソーセージなどに「荒塩」(岩塩)を擦り込んでから炭火で焼き上げ、トマト、玉ねぎ、パセリ、ピーマンをみじん切りにして、ワインビネガー、オリーブオイル、塩、胡椒を混ぜて作ったMolho(ソース)を添えてパンにはさんで食べるのです。
サンパウロには移民の数に比例するように各種のレストランの中でもひと際立って目立っているのがChurrascaria(シュラスカリア)「バーベキューハウス」で、店の名前もChurrascaria GauchoとかRincao Gaucho(ヒンコン)「耕地」Porteira de Pampas(ポルティラ・デ・パンパス)「大草原の門」などとブラジル南部の地名に因んだ店名が目につきます。

シュラスカリアはアラカルトメニューで好みのバーベキューを注文する店の他にRodizio(ホディジィオ)と呼ばれるバイキングスタイルのレストランがあって、このRodizioとは「くるくる廻る」という意味で、文字通りシュラスコが次から次へと出て来て、ストップをかけるまで食ぺ放題というわけです。
Rodizioの店はたいてい規模も大きく、生バンドも入っていてボーイ達もカウボーイ・ハットにプーツをはいて革のズボンにベスト、そして腰には必需品のナイフをつけたGaucho(カウボーイ)スタイルが主流です。
10数年前には東京の銀座や渋谷に数軒のシュラスカリアがありましたが、今では淘汰されて表参道にある<バルバッコアグリル>だけになってしまいました。(2年程前に新丸の内ビル内に支店がオープン)
チェンマイでも美味しい肉やソーセージが入手出来、ブラジル直輸入の「ピンガ」(サトウキビから作る蒸留酒)も手に入り、バーベキュー用の「炭」もあるので、既に何度かシュラスコ・パーティーを開いて、遠いブラジルを懐かしんでいます。


フライドオニオン

2011年08月20日 | 海外ロングステイ

時々買い物に行く大型スーパーのMAKROで見付けた勝れモノの食材、それが<フライドオニオン>です。
MAKROの店内に唐辛子やニンニク、玉ねぎ、ハーブ類などを売っているスペースの片隅に置いてあるのが写真のフライドオニオンで、100g入りのパックが4個入りで148バーツ(約380円)です。
サクッとした食感と香ばしい風味が魅力のフライドオニオンはサラダやスープ、カレーなどに入れて簡単に利用出来る素材で、使い勝手も良いので、一つあると大変便利です。
味や香りがよく、かつ低価格というメリットもあって、更に特殊製法によって作られているので、酸化しにくく、油がにじみでてくる心配もありません。
サラダやラーメンにトッピングにすると味わいも増してお薦めですが、和食の「うどん」や「蕎麦」にトッピングしても風味が増します。
また、意外な組み合わせは「味噌汁」との相性で、出来上がった味噌汁に入れてみると深みのある味に変身してくれます。
カレーの時には出来上がったカレーにトッピングするのではなく、カレーを作る段階でたっぷりのフライドオニオンを入れて煮込むのがコツです。
日本では一般的な食材ではないので、輸入食材店の「成城石井」や「小田急OX」などで写真下のようなフライドオニオンが入手出来るようです。
MAKROのフライドオニオンの売り場では一緒に<フライドガーリック>も置いてあるので、併用することによって新たな「味」の発見が出来るかも知れません。


インラック新首相誕生

2011年08月13日 | 海外ロングステイ

タイ下院は去る5日、貢献党のインラック氏(44歳)を新首相に選出しました。
インラック首相は2006年のクーデターで失脚したタクシン元首相の実妹で、タイで女性首相の誕生はは初めてです。
選出後新首相は国民に向けてテレビ演説し、国王陛下への忠誠や国家・国民のために最善を尽くすことなどを強調しました。 
インラック首相は学生時代にはチアリーダーとして活躍した経験もあって、はつらつとした笑顔が好感を呼んで、先の総選挙では「インラック旋風」を巻き起こしました。
すらりとした端麗な容姿のインラック首相は海外メディアからも「フォトジェニック(絵になる被写体)」として注目を浴びています。
そしてインラック首相と新閣僚は去る10日、プミポン国王の前で宣誓式を行い、インラック政権が正式発足しました。
同党議員でタクシン元首相派勢力の反独裁民主戦線(UDD)幹部は入閣が見送られ、選挙活動を支えたUDDへの論功行賞より、政権イメージと反タクシン派からの反発回避を優先した形ですが、地元紙によるとタクシン氏が主な閣僚を決めたとしており、事実上の「タクシン政権」が復活しました。
インラック新首相は現地記者団に対して、7月の総選挙で公約した最低賃金の大幅引き上げなどの大規模な生活支援策を実施に移す考えを示しました。
貢献党は選挙期間中、最低賃金を300バーツ(1バーツ=約2.63円)に引き上げるほか、現在1トン当たり約1万バーツのコメの買い上げ価格を1万5000バーツに引き上げることも公約しました。
また同党は、法人税を30%から23%に引き下げることも公約し、企業の負担を軽減するとしています。
このほか、タクシン政権期の政策を復活させ、30バーツで診療が受けられる医療制度、700億バーツの農村基金などを実現するとしています。
民間研究機関の試算によると、公約実現には国家予算1年分に相当する2兆3000億バーツが必要だといいます。
クーデター後、首都での大規模な騒乱が繰り返されたタクシン派と反タクシン派の政治対立解消も課題です。
そしてインラック首相にとっての最大の課題は、長年にわたり国民を分断してきたタクシン、反タクシン両派の「国民和解」ですが、汚職罪で実刑判決を受け政治活動を禁止され、海外で事実上の亡命生活を送るタクシン氏の帰国、復権問題とも絡んで、反タクシン派は同氏の総選挙への関与などを理由に、裁判による貢献党の解党を画策しているそうで、「国民和解」への道筋は険しいものがあります。
※今朝日本から入って来たニュースによると、タイのタクシン元首相が亡命先のドバイの日本総領事館に入国申請したことを受け、入国を特別に認める方針を菅内閣が固めたそうです。
その為外務省は近日中に査証を発給するため、法務省と調整に入りました。
タクシン元首相氏は「日本・中国・ASEAN経済文化研究会」(会長・水野清元総務庁長官)の招待を受け、今月22日からの訪日を希望していて、東京都内で講演や記者会見をするほか、東日本大震災の被災地訪問も予定しているそうです。
下の写真は選挙運動期間中のインラック氏。


東京ヤクルトスワローズ

2011年08月06日 | 海外ロングステイ

私が小中学生時代に好きだったプロ野球チームは「国鉄スワローズ」で、並み居るジャイアンツファンの友人たちの中では少数派でしたが、当時の国鉄スワローズには大投手の金田正一が居て、彼は14年連続20勝、1951年のノーヒットノーラン、1957年の完全試合と数々の輝かしい記録を残しています。
その国鉄スワローズは1965年にサンケイスワローズとなり、以降サンケイアトムズ、アトムズ、ヤクルトアトムズ、ヤクルトスワローズ、東京ヤクルトスワローズ(2006年~現在)と球団名を変えていますが、私はスワローズ一筋で現在に至っています。
その東京ヤクルトスワローズが今年のペナントレースで快進撃を続けています。
目下のところスワローズはセリーグトップで、2位の広島に7.5ゲーム差をつけるダントツ首位です。(8月5日現在:41勝27敗12引分、勝率。603)
      
東日本大震災で開幕が遅れたプロ野球ですが、オールスターゲームを境にトップで折り返したスワローズですが、本当の戦いは後半のこれからです。
調子の良いヤクルトスワローズとは言え不安材料が無い訳ではありません。
青木も宮本も相川も気力だけで戦っていて、テーピングで固めての出場ですから、少しは休養をしないと体に異変が起こっても不思議ではありません。
満身創痍で戦っている選手の方々には感謝しますが、無理なく頑張って欲しいところです。
このスワローズと私の一番の「思い出」と言えば1978年のV1達成です。
1978年10月4日、ヤクルトスワローズは地元・神宮で対中日戦を行い、私はその日赴任先のブラジル・サンパウロの自宅で試合の行方を固唾を飲んで見守っていました。
ヤクルトの応援席のライト側外野席には「国鉄スワローズ→サンケイアトムズ→ヤクルトスワローズ初優勝!29年間のご支援ありがとう」と書かれた横断幕が既に試合前から掲揚されていました。
そして圧倒的な9-0のリードで迎えた9回1アウト1塁から谷沢健一の打球がセカンドゴロからのゲッツーとなり、念願の地元胴上げで初優勝を達成したのでした。
決定の瞬間、選手らが1塁ベンチから飛び出して広岡達朗監督を胴上げすると、興奮の余りに客席からグラウンドに飛び出したファンからも祝福の胴上げや拍手をし、優勝記念の表彰式どころの騒ぎではなくなっていました。
私の方は赴任先のサンパウロで、数少ないスワローズファンが集まって、盛大な「V1達成祝い」で盛り上がり、更にその年の日本シリーズでは阪急を破り、ヤクルトの球団創立29年目で初の日本一が決定したのでした。
トップの写真は8月4日のドラゴンズ戦での青木選手。
この日の青木選手は内野安打3本を放ち猛打賞! しかも、セカンド、ファースト、サードと3本とも違う方向でした。
このうち1本はチーム唯一のタイムリーとなって、今季通算101安打まで伸ばし、打率.310はリーグトップです。(写真提供:サンケイスポーツ)
下の左写真はヤクルトにおける二塁手の代名詞ですらあった土橋勝柾選手と1997年に撮った一枚です。(土橋選手は現在スワローズ2軍(ファーム)のコーチとして活躍している)
※1973年11月に愛称を「アトムズ」から国鉄時代の「スワローズ」に戻したヤクルト球団公認による球団歌は歌唱力では球界随一と言われていた当時のスワローズのエースピッチャー・松岡弘の歌唱により吹き込まれました。
<とびだせヤクルトスワローズ・Youtube>
http://youtu.be/vwDhJkO9Bns