
瞼の裏に広がる深い闇は、やがてそのまま遠ざかって行った。
雪は冴えてしまった頭を抱えながら、ゆっくりと上半身を起こす。
「あ‥眠れなくなっちゃった」

パッ

雪は立ち上がり、部屋の電気を点けた。
暗闇に慣れた目が、その光の眩しさに眩むようだ。
「‥‥‥」

雪はベッドの横にある姿見の前に座った。
そこには冴えない顔をした自分が映っている。

見慣れない顔

真逆に映った自分の顔。
それはまるで初めて出会った人がじっとこちらを見ているかのような、居心地悪さを雪にもたらした。
そして同時に、去って行った彼の背中を思い出す。
迷いなく吹っ切れたようなあの姿

私はいつも、河村氏のああいうところが羨ましかった。

他者の間で曖昧に揺れる自分とは真逆の彼の姿が、雪の心を刺激する。
雪はぼんやりと天井を見つめながら、今自分が置かれている状況を客観視してみた。
それでも私のやるべきことは変わらない。
四年生になること、アルバイト、就活、人間関係

その中で今、一番に考えなければならないことは。

暗闇の中に、彼が立ち尽くしている。
彼女が発する言葉を、じっと待ち続けながら。

雪は心の中で、先輩に向かって言葉を紡ぎ出した。
やるべきことは決まっているのに、自分が一体どうしたいのかが分からない。
その上でどうすればいいのか、混乱しているんです。先輩

先輩のことを「おかしい」と思ったのも私で

それを受け入れると決めたのも私

先輩が健太先輩に対して何をしたとしても、
別に何とも思いません

だけど‥

自身の手。
この手が彼の手を掴んで離さないことを、彼は知った上でそれを黙っていた。
自分が当事者となると話は別だった。
何か形として、被害を受けたわけじゃないけれど

彼が握るその答えを、聞かなければならない。
答えの眠るその扉を、開けなければ始まらない。
プルルル

呼び出し音が小さく響く。
たった数秒のことなのに、果てしなく長い時間に思えた。

「‥ん、雪ちゃん‥」


少し掠れた低い声が、呼び出し音が切れると同時に聞こえた。
雪は少しの間を置いてから、ゆっくりと話し出す。
「こんな時間に電話してごめんなさい」

「いや、むしろありがたいよ‥」


疲弊した声。
いつも耳にする彼の声とは、まるで違っている。
「会社、すごく忙しいんでしょう?」「うん‥」
「少し休みたいんじゃないですか?」「うん‥」

それでも、この胸の憂鬱を見て見ぬふりは出来なかった。
「私もです」


暗く深い闇の中で、淳は雪のその言葉を聞いていた。
それに対する答えを飲み込んだまま。

「‥‥‥‥」

暫く雪は彼からの返答を待ったが、まるで返ってくる気配が無かった。
沈黙の後、雪はその問題を自ら口にする。
「考えてみたら、私本当におかしかったですよね。
いきなり手を掴んで、縋り付いて‥」
「違う。全く」

「君はおかしくなんかない」

まるで頭からその疑問を打ち消すかのような、強い否定が雪を肯定した。

俯いた雪はその先の言葉を誘うように、ゆっくりと真実を探って行く。
「そのこと‥いつから知ってたんですか?」

けれどその先には、鍵が掛かっていた。
「一度でいいから、答えて下さいよ‥」

「たった一度でいいから‥」

扉は開かない。
「‥ごめん」


答えには、辿り着けない。
「ごめん」


沈黙の中で、雪は道を見失った。
その答えが眠る扉は依然として、鍵が無くて開けられない‥。

暗く深い闇の中で、彼はゆっくりと呼吸していた。
間接照明が照らす僅かな光が、その空間を照らしている。

床に散らばっているのは無数のガラスの破片と、
かつて彼が大切に守っていたコレクションの品々だった。

サインボール、限定もののスニーカー、
そして大事に飾っていたラジコンカーまでもが。


サインの入ったシューベルト「楽興の瞬間」の楽譜は、破られて捨てられていた。
これを渡す相手は、もうここには居ない。

まるで力尽きた子供のように、淳は床に横たわっていた。
先程まで彼女と通話していた携帯電話は、沈黙のまま放られている。


扉の内側で守って来たもの全て、傾いで転げ落ちて行く。
全ての価値観が今、覆りそうになっていた。

「雪ちゃん‥」

淳が掠れた声でそう言った。
けれどその声も、いつしか闇に溶けて消えて行く‥。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<開かない扉>でした。
鏡を見ながら自分を客観視する雪ちゃん。

以前、奨学金を譲ったことで言い争った後で、
鏡を見ながら内省していた淳のシーンとかぶりますね。


どちらも淳が「おかしい」ということに関して考えている点を見ても、ここのシーンはリンクしてるんでしょうね。
反対になっている自分の顔を見て、自分と真逆の性格の亮を思い出す所なんかも作り込まれてるなぁと感じました。
いや〜すごいわスンキさん‥

そしてやっぱり暗雲展開ですね。淳、全部壊したのか‥おおお‥

個人的に気になったのはこの淳の頭上にある木の棒です。

まさか‥鹿‥?

鹿〜〜〜〜〜〜


本体がどうなっちゃったのか知りたいような知りたくないような‥鹿ぁーーーー!!
次回は<迷子達>です。
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