
亮は練習室にて、女連れで自由にピアノを弾いていた。
コンクールの為の練習とは違い、演奏は好き勝手に飛んで跳ねて、音は煌めきながら空間に溶けて行く。

そんな亮の様子を見ていた講師が言った。「演奏も本人のように陽気で良いじゃないか」と。
周りで見ている学生達も、思わずその演奏に感嘆の息を吐く‥。


演奏の終わった亮は、女と連れ立って楽しげに歩いていた。
するとそんな二人の元に、一人の男子生徒が声を掛けて来たのだった。
「あの!」

目の前に立つその男が誰なのか、亮には分かりかねた。
顔を見てよく考えても、彼の名前は出て来ない。
「何だ?‥えっと‥後輩だよな」

確か同じピアノ科の後輩、というところまでは思い出せた。
そして声を掛けて来た彼の横には、同じくピアノ科の学生二人が亮の方を睨んでいる。
「亮先輩、ちょっと独占しすぎじゃないっすか?練習室のことです」

後輩はやにわにそう口にし、先ほど亮が演奏していたグランドピアノが置いてある部屋を指差した。
隣に居る学生が、「そうだよ。皆で順番決めてるはずだろ」と言って後輩を援護射撃する。
すると亮は頭を掻きながら、軽い調子で言い返した。
「あ、聞いてなかった?オレ許可もらってんの。コンクールの準備でよ。
ゴメンな~?静香がピアノ壊しちまってさぁ」

大きな口を開けてHAHAHAと笑う亮に、ピアノ科の彼等の反応は冷ややかだった。
それはお前個人の事情だ、と言ってまるで理解は示さない。
「練習室ならもう一つあんだろーが」と言い返す亮の言葉にも、
そっちの部屋だって順番が決まっているんだと言って彼等は憤慨する。

しかも亮はコンクールの準備と言ったが、先ほど女の子を隣に置いて弾いていたのはただの遊びだった。
そんなところも彼等を苛立たせていたのだった。
「はぁ?!どーしてこんなに責めんだ?今んなこといちいちツッコむ必要あっかよ?
ちょっと指慣らししてただけだろーが!」

げんなりしながらそう口にする亮に、後輩はキッパリと言った。
「コンクールの準備をしてるのは、先輩だけじゃないんです!」と。

亮はそこでピンと来た。
彼等の抗議の一番奥にある、自分への嫉妬と悪感情を。亮は目を見開きながら呟く。
「あ~‥だから今オレに出てけって言ってるわけね」

そしてまだ亮が黙って聞いているのを良いことに、彼等は小言を続けた。
「グランドピアノがあるのはここだけじゃないだろ?ピアノの塾なり家なり行けよ」
「じゃあテメーが行けよ」

亮がそう言い返すと、眼鏡を掛けた男子はその形相の恐ろしさに身を竦めた。
亮は舌打ちをしながら、自分が今置かれている状況に閉口する。

亮はウンザリしながらも、彼等に向かって口を開いた。
「お前らよぉ、ピアノの修理なんて何日もかかんねーってのに、なに睨み利かせて来てんだよ。
ちょっとヒドイんじゃねーか?オイ」

そう言って鋭い視線で睨む亮は、彼等より頭一つ分背も高く、威圧感があった。
彼等はその雰囲気に幾分怯んだが、やはり胸につかえている不満はおさまらないようだ。
亮がこのように”特例”で練習室を使うのは今年に限ったことではないのだ。去年もその問題児の姉のせいで、同じ様な問題で揉めたのだった。
もっと姉の素行を改めさせろと言う彼等に、亮は反論して鋭く睨む。その目つきは恐ろしい程だ。
しかし後輩の男の子は怯まず、キッと亮を見上げると、キッパリと自分の意見を口に出した。
「先輩は特別扱いされんのを当然視しすぎじゃないですか?
俺らだって、同じピアノ科の学生ですからね!」

すると亮の隣に居た女が、プッと小さく吹き出して口を開く。
「はー?ウケるー。あんたら”河村亮”だからこんなに責めるんでしょ~?
責めるなら今しかないって、ここぞとばかりにさぁ」

「はい?違いますよ!」
彼等をバカにしたような態度の女に、後輩は大きな声で反論した。
亮は一つ深く息を吐くと、後輩の肩に自身の腕を凭れかけながら彼に話し掛ける。
「は~‥なーんかオレ悲しくなっちまうなぁ~。後輩君、オレが何か寂しい思いでもさせたか?
お前をパシらせたかよ?シメでもしたかよ?何もしてねーだろーが」

少し絡むようにそう口にする亮に、後輩は声を上げて口を開いた。
「む、無関心じゃないっすか!俺の名前は知ってます?!」と。

その言葉を受けて、亮は口を噤んだ。後輩の言葉通り、亮は彼等の名前を誰一人として覚えていなかったのだ。
そしてそれこそが彼等が憤っている原因だった。
自分達のことなど歯牙にも掛けないその態度が、彼等は何よりも気に食わないのだ。
「ん?どーした?」

「何かあったんか?」

すると階段の方から、一人の男が亮達に声を掛けて来た。
その男の方を見て、後輩君が小さく呟く。
「兄ちゃん‥」

声を掛けて来た男と亮は、顔見知りだった。二人は軽く手を上げて挨拶を交わす。
よぉ、亮~ よぉ、泰士~

男の名は岡村泰士といった。割りと素行の悪い生徒で、その辺りの事情で亮とは知り合いだったのだった。
そしてどうやら彼は、今亮に談判して来た後輩の兄であるようだ。
「んで、二人何かあったん?」
「いやそれが、亮先輩がずっと練習室を占領してて‥」

弟は兄に事情の説明をし始めた。亮は事の成り行きが面倒な方向へ行こうとするのを見越し、
その場で早々にホールドアップした。
「あ~もうやめやめ。ギブアップだ。お前が弾けよ。オレの負けだ」

亮はそう口にすると、「ごめんな~?」と言いながら後輩の肩に手を置いた。
わざとらしく負けを認めるその態度に、思わず彼は顔を引き攣らす。

そのまま彼等に背を向ける亮に、泰士は弟の無礼を軽く詫び、弟に少々の説教をした。
グランドピアノなら塾で弾けるのに、敢えて先輩に突っかかる必要無いだろうと。

弟はそんな兄に反論しようとしたがその前に、亮が彼に向かって捨て台詞を吐いた。
「特別扱いにはぜ~んぶ理由があるもんだせ?後・輩・君?」

亮が浮かべた嘲笑うかのようなその表情に、後輩はギッと歯を食い縛って屈辱に耐えた。
高慢な態度を見せても、それが”河村亮”であれば許されるという彼の驕りに、腹が立ってしょうがない‥。

そのまま女と共にその場を後にする亮の後ろ姿を、彼等は苛立ちを抱えながらじっと睨んでいた。
その中で事情をよく知らない岡村泰士が、弟に諭すように口を開く。
「どーしたんだよお前ら。
俺の知り合いのピアノ科のやつ、あいつガチで上手いって超騒いでたぜ。仲良くしろよな~。
全国大会でもアイツが一人勝ちだって噂だし‥見習えよな」

弟は兄に対して憤慨した。あっちの肩を持つなら口出ししないでよ、と。
けれど泰士が亮の肩を持つのには理由があった。その理由とは‥
「いやまぁ‥静香の弟だからな‥」

泰士はそう言って顔を赤らめた。どうやら彼は亮の姉に熱を上げているらしかった‥。
天才、河村亮を取り巻く世界はこのように混沌としていた。
彼に当たる光が強ければ強いほど、周りに伸びる影は色濃く長くなって行く‥。
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<亮と静香>高校時代(6)ー嫉妬と敵意ー でした。
この本家3部51話、52話は、以前CitTさんが訳して下さった文を参考にして記事を執筆させて頂きました^^
快く参照を許可して頂き、どうもありがとうございました~!
さ~まだまだ過去編続きます。
次回は<亮と静香>高校時代(7)ー見えない壁ー です。高校時代シリーズ長くなりそうですね‥。
*2015,2,23追記*
日本語版にて、亮と知り合いの男子学生の名前が「岡村泰士」となりましたので、
当ブログにて名づけてあった「神田岬」を「岡村泰士」に変更致しました。
コメ欄には「神田岬」と残りますので、本日以降コメ欄をご覧になった方々が混乱されぬよう、
ここに記載しておきます。
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