ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

託す思い

2019-10-19 07:39:01 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題
「託す思い」10月11日
 『退職後の第二の人生』という連載企画が組まれています。その2回目は、『次世代に役立つために』でした。申し訳ありませんが、その活動内容にはそれほど関心はもてませんでした。ただ、記事の中にあった『僕らは世界有数の経済大国として日本が輝いていたころを生きてきた。上位でもらったそのたすきを、うんと順位を下げて後輩たちに渡すことになる。それが申し訳ない』という退職者の言葉が響きました。
 私も同じ世代です。特に意識してはいませんでしたが、明日は今日よりも良くなるということを無邪気に信じることができた時代を生きてきたという実感があります。それは、言い方を変えれば、自分たちの若いころよりももっと良い時代を若い人たちに譲り渡せると考える時代であったということです。
 私は社会人としての職業生活全てを、教員、教委幹部として過ごしてきました。私が教職に就いた昭和50年代から退職するまでの約30年間、私は少しでも学校教育の順位を上げて後輩の教員たちに引き継ぐことができただろうか、と考えると、やはり胸を張って「イエス」とは言えないのです。
 私が新卒のころも、もちろんいじめはありました。でも、自殺に至る深刻な事例ほとんど見聞されませんでした。不登校もありました。でも、未熟な私でさえ、再登校させられなかったのは、一人だけでした。教員間の人間関係のトラブルもありました。学校でただ一人の職員団体非加入者として職員室に居づらいときもありましたが、最近話題の教員間のいじめのようなことはありませんでした。
 若手だった私は、自分の授業力向上のために、好きな社会科の授業では毎時間学習指導略案を作り、授業記録を取り、分析するという取り組みを続けていました。そんなことが出来るだけの時間的な余裕があったのです。土曜日には、私的な勉強会に参加し、他区の教員たちと意見をぶつけあい切磋琢磨することができました。教員の中に自らを高めようという空気があったのです。年寄りが過去を美化しているわけではありません。そういう時代だったという事実を述べているだけです。
 今はどうでしょうか。校務に追われ、授業準備の時間がないと嘆く教員は少なからずいます。いじめ等の問題で学校が、教員が激しく非難されています。「教育は死んだ」とこき下ろされて、教育改革が進められています。教委は無能だと、教育行政の権限が首長に移されました。
 私たちの世代は、大きく順位を下げて若い教員たちにたすきをつないでしまったのかもしれません。せめて、今の若い教員たちには、これ以上順位を下げることなくたすきを次世代につないでほしいと願うのみです。
 
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