「自虐的な見方」9月3日
『日本の子ども 幸福度37位』という見出しの記事が掲載されました。『国連児童基金は3日、先進・新興国38カ国に住む子どもの幸福度を調査した報告書を公表、日本の子どもは生活満足度の低さ、自殺率の高さから「精神的な幸福度」が37位と最低レベルだった』ことを報じる記事です。
記事は概ね事実だけを紹介するもので、それなりに考える材料を提供してくれる内容なのですが、唯一識者のコメントとして紹介されている教育評論家尾木直樹氏の発言内容には疑問を抱かざるを得ないのです。
『(尾木氏は)日本の学校現場を「いじめ地獄」と表現、偏差値偏重による受験競争過熱も相まって「子どもの自己肯定感が低く、幸福感が育たないのは必然的だ」と指摘した』というものです。いつの時代の話なのでしょうか。
我が国では、少子化の影響を受け、大学が広き門となっているのは常識です。ぜひ入学してくださいと頼んでも、学生が集まらず、地方のかなりの大学が定員割れを起こし、経営難に陥っているのも周知の事実です。大学全入が現実になっているのです。確かに、一部の名門大学については厳しい受験競争があるのは事実ですが、その競争に参加している若者は全体の一部に過ぎません。
また、「いじめ地獄」という表現も疑問です。いじめ問題が注目を浴びるようになった30年前、いじめは我が国特有の現象であるというような指摘をする教育学者がいましたが、その後の調査研究によって、いじめは各国共通の現象であることが明らかになりました。そして、いじめ自殺が深刻化していない国においては、子供の生活における学校生活の重みが軽く、いじめの苦しみが家庭や地域社会の中で軽減されているという事実が知られてもいます。子供の心における家庭の修復機能の弱体化という問題が指摘されているのです。
いじめ問題に限ることではなく、幸福度は生活の満足度であるわけですが、子供の生活には、学校生活以外にも家庭生活や地域社会での生活があるはずです。家庭や社会の問題についての考察なしに、学校の問題だけをあげつらうのは、かえって問題の解決を妨げることになります。核家族化、家族の小規模化がもたらす人間関係の希薄化、社会における孤立化などの問題についてもその影響をきちんと分析したうえで発言がなされるべきなのです。SNSが与える影響についても同様です。
学校批判は、ある意味安易な道です。学校という一機関を非難することによって、家庭や社会という万人がかかわる社会装置を無罪放免する働きがあるからです。誰もが、自分自身の在り方を非難されるよりも、あなたは悪くない、悪いのは学校と言ってもらえる方が楽ですから。でも、過剰な学校批判から正解が導き出されることはありません。
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