ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

感情に甘える

2020-06-17 08:22:33 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「感情に甘える」6月12日
 『英「感謝の拍手」終了』という見出しの記事が掲載されました。『英国で、毎週木曜日の夜に医療従事者への感謝を伝える「拍手運動」が5月末で終わり、一区切りがついた』ことを報じる記事です。
 記事によると、その理由として、『(医療事情に関する)本当の問題から目をそらす気晴らしだ』『医師が英雄視されることで、精神的な負担が増す』『マスク不足や医療従事者の待遇が改善されない中、拍手だけがとりあげられている』などの指摘があるそうです。
 へーそうなんだ、と意外に思いました。実は私もまったく同じ考えです。一言で言うならば、情緒過多とでもいうべき態度がかえって問題を悪化させるのではないか、と考えていたということです。しかし私は、こうした批判や指摘は、欧米では少ないのではないかと何となく感じていたのです。欧米は論理優先というイメージがあったからです。
 欧米は~と考えていたということは、我が国は元々情緒優先の国柄であるという認識があるからです。医療従事者に感謝というフレーズは我が国でも盛んに使われています。そのこと自体は悪いことではありません。しかし、感謝したからそれで自分の責任は果たしたというのでは困ります。自分を医療従事者の立場に置き換えてみれば、感謝だけされても、休みも取れない、マスクもフェースガードも足りない、来院者が減り病院がつぶれそう、子供は学校でいじめられる、という状況が変わらなければ、医療行為を継続させていくことは困難であることはすぐに分かるはずです。
 必要なのは、感謝に加え、具体的で合理的な行動です。三密など感染拡大を抑える自粛を続けるといった医療機関の負担を軽減させる間接的支援や、医療用のマスクを買いあさることはせず医療機関に回るように心がける、身近な医療従事者の子供を差別しないし我が子にも言い聞かすといった一人一人でできることはもちろん、行政への働きかけといった大勢の力を結集することなどについて考える姿勢が必要でしょう。
 我が国の情緒優先主義の一端を担っているのが学校です。学校では、やさしさとか思いやりといった資質が過剰に評価されがちです。東日本大震災の際に発生した「放射能いじめ」に対しても、苦しんでいる人の気持ちになってとか故郷から離れざるを得なかった人に優しく、といった情緒的な指導で対応しようとする教員が多かったものでした。
 私はこのブログで、そんな傾向について、その方が楽だからと指摘しました。どんなときでも、どのような場合でも、やさしさや思いやりを万能薬のように使おうとするのは、教員にとって楽なのです。しかし、本当は、放射能の性質についてきちんと科学的に調べ、それを子供の発達段階に応じて分かりやすく教えることで偏見や差別が間違っていることを徹底的に理解させることこそ大切なのですが、そのためには教員も勉強しなければならず、その苦労を厭い、安易な方に流されてしまうのだという指摘でした。
 学校における長年のこうした情緒過多傾向を、今回の拍手運動についての議論で思い起こさずにはいられませんでした。コロナ禍について、どのように指導するか、教員はそうした視点からの研究実践を怠ってはなりません。授業時間数が足りない今年度はともかく、記憶の薄れぬ来年度には取り組まなければなりません。鉄は熱いうちに打て、です。

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