「外部礼賛」12月21日
『私学のガバナンス 自浄能力を高める改革に』と題された社説が掲載されました。『私立大で不祥事が相次いでいることを受け、文部科学省の有識者会議が学校法人のガバナンス(組織統治)を強化する改革案をまとめた』ことに関するものです。
その改革案の骨子は、『最高議決機関を理事会から評議員会に変更し、評議員を全員、学外者とする』ことです。私は大学教育には全くの無知なので、この改革案について、その是非を論じることはできません。ただ、近年の風潮、「外部礼賛」とでもいうべき考え方に疑問を感じるのです。
企業における外部役員の登用、行政における第三者委員会、透明性を高め、内部のなれ合いを排し、チェック機能を働かせるという狙いは理解できますし、必要なことだと思います。しかし、その組織について、あるいは組織の構成員について、理解の浅い人たちが過剰に介入することは、決してプラスではありません。
では、過剰か適正かの境界線はどこにあるのかと言えば、それはチェック・監査機能を担うのか、執行機能を担うのかという点にあると考えます。今回の有識者会議の案に反発する声が多いのも、人事や経営方針決定などの権限を外部の人間で構成する評議員会に与えるとしたことに原因があると考えることができます。
人は自分がやることを他人に指図されず自分で決定することができるとき、意欲が高まり能力を発揮することができると言われます。私が教員時代に授業を考える際にも、如何に子供がやりたいと思ったことをやらせることができるかという点に重点を置いてきました。その点では、子供も大人も変わりません。
そして「人」の集合体である組織もまた同じなのではないでしょうか。自分たちの組織が目指すもの、進むべき道、構成員が達成すべき目標、そうしたものを自分たちで決めているという実感をもてたとき、人は意欲的になり、そうした意欲の総和として、組織は活性化すると考えます。
しかし、実際はそう理想的に物事は進みません。そこで次善の策として登場するのが、自分たちをよく知る存在が、自分たちの考えを汲み取って目標や方針を決め、自分たちの努力や能力を正当に評価してくれると期待できる体制です。多くの私立大が、こうした状況にあるのではないかと思います。それにも関わらず、評議員会という、自分たちのことも知らず正当な評価も期待できない存在が、決定機関となり運営に大きな影響力を行使する体制が作られようとしているのですから、不満と不安を抱くのは当然です。
このことは私立大にとどまりません。公立小中学校においても、学校運営協議会という形で、外部の関りが強化されてきています。ここでも適性と過剰のバランスが考えられていかなければならないと考えます。