ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

らしさと個性

2020-07-05 08:26:41 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「個性の捉え方」6月28日
 作家梨木香歩氏が、『個性(らしさ)は消えない』という表題でコラムを書かれていました。その中で梨木氏は、「個性」に「らしさ」というふり仮名を振っていらっしゃいました。ですから私は、「個性」と「らしさ」を似たような概念と捉えていらっしゃると推察させていただきました。
 そう捉えた上で、次に紹介する記述に首を傾げてしまったのです。『長男らしさ、末っ子らしさ、というものもあり、さらにピンポイントのその個体「らしさ」がある。海外に行って自分の日本人らしさを納得したり、親しくしている異国出身の友人に、あるときふと○○人らしさを感じることと通じるかもしれない』。
 私の読み取りが浅いのかもしれませんが、ここで述べられている見解は、むしろ反個性とでもいうべき内容なのではないかと感じてしまったのです。日本人らしさというのは、1億人を超す人間集団を、単に国籍や居住地などの条件で一括りにする発想です。ブラジル人はみんなサッカーが上手いというのが間違いであることは言うまでもありません。イラン人は全員がアメリカが嫌いというのも、ユダヤ人なら誰でもは金儲けが上手いというのも妄想に過ぎません。
 長子がおっとりとしているというのも、末っ子が甘え上手というのも、偏見や思い込みに過ぎませんし、大阪人は話が面白いというのも、東北人が無口というのも、そう言われることで迷惑に感じている人がいるはずです。高知県人は酒が好きで、秋田県の女性は美人という類も、そうでない人を何人も知っています。
 人をある条件の下、一括りにして決めつけることが差別の第一歩です。そしてある集団に属しているからという理由で、○○らしさを求めることが多くの人に苦しみを与えていることから目を背けてはいけません。私たちはそのことをLGBTの人々の訴えで気づかされたはずです。
 しかし、最も差別や人権に敏感で、個性を尊重することが求められている教員の中にも、○○らしさで一括り、が好きな人たちがいます。さすがに女の子だから~というようなことを口にする人はほとんどいないでしょうが、障害児だから嘘はつかない、というような神話を信じ込んでいる教員は皆無ではありません。
 個性尊重とは一括りを止めること、これは誰もが心に刻んでおいてほしいことです。

 

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