ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

下手は下手、上手は上手

2020-07-04 07:37:55 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「下手は下手、上手は上手」6月28日
 連載企画『シリーズ 疫病と人間』は、立命館アジア太平洋大学長出口治明氏へのインタビューでした。出口氏は、コロナ禍がもたらした変化としてITリテラシーの向上をあげ、その中で次のエピソードを披露なさっています。
 『立命館アジア太平洋大では、4月から全てオンライン授業に切り替えた(略)一部の先生は「大学は学生の目を見て講義しなければ、心の籠った講義ができない」と猛反対したが、他の方法はないので大学を挙げて先生方にやり方を指導した(略)面白いことにオンライン授業に反対していた先生たちが、今は逆にのめり込んでいる。これは合理的に説明できる。オンライン授業に当初反対していた先生方は自分の授業に自信を持っており、生徒のことを考えて情熱を持って授業に取り組んでいた。つまり授業というコンテンツがしっかりしているので、オンライン授業にも適応できたのだ』。
 要するに、対面という従来の講義において、講義とは何かを理解し、良い講義について考え工夫し、実際に良い講義を行ってきた教員。つまり従来型講義における「講義力」のある教員が、オンライン授業においても高い「講義力」を発揮することができるということです。
 私も同じ考えをもっていました。小中学校における授業においても、今までの教室での授業におけるノウハウを身に着けている教員こそが、オンライン授業においても子供が満足する授業を構築することができるということです。逆に言えば、教室での授業が拙い教員が、単にITに関する知識や技術をもっているからといって、オンラインで巧みな授業ができるということはあり得ないということです。その点を共通認識しておく必要があります。
 学習者である子供自身が主体的に学ぶことを可能にする授業は、子供の興味関心を掻き立て引きつける事象の提示、様々な疑問を追究可能な学習問題に昇華、仮説の設定、個性やこだわりを生かした追究の場と環境の設定、個に寄り添った適切な助言と評価、相互交流による結論の研磨、新たな疑問の発生というようなプロセスが必要なのです。それは、教室であろうが、オンライン授業であろうが変わりません。そのことを理解できていない教員が、いくら巧みにIT機器を使いこなしたとしても、良い授業は生まれません。
 授業というものに対する理解を深めること、個々の教員や学校、教委はこのことの重要性を忘れてはなりません。

 

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