ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

文学の出番

2018-10-05 07:42:57 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「どこまで描けば」9月30日
 書評欄に、『「名句の所以 近現代俳句をじっくり読む」小澤實著』に対する持田叙子氏の書評が掲載されました。その中で持田氏は、『おかしいから笑うよ風の歩兵たち』という鈴木六林男氏の俳句を取り上げ、『兵役で中国、フィリピン諸島で戦った。かたわらで人が死んでいく戦場でも、おかしいことはおかしい。死が日常となる残酷が風に鳴る』と書かれています。この句の良さは私には分かりません。小澤氏がこの句を選んだ意図も、持田氏の感じ方が正鵠を射ているかも分かりません。ただ、この句を授業で取り上げるとしたら、かなり難しいのではないかと感じました。
 私は社会科を研究してきました。この句を取り上げるのであれば、歴史の授業か、平和教育・反戦教育ということになるでしょう。いずれにしろ、実際に戦場に立った兵士の心情から戦争の恐ろしさ、残酷さに目を向けさせるという展開になるはずです。しかし子供には、この句から恐ろしさや残酷さを感じ取ることは難しいと思うのです。
 表面的に解釈すれば、持田氏も書かれているとおり、戦場でもおかしいことはあり、兵士たちは顔を見合わせてくしゃくしゃにし、笑い声を響かせるものだ、という情景を描いたものだということになります。もう一歩踏み込んでも、兵士たちは行軍の途中で休憩し、数人が一カ所に溜まって世間話をしているとか、歩き疲れ汗をかいた顔を風がなでていく、という程度の想像をするかもしれませんが、その程度でしょう。
 おそらくそうした光景は実際のものに近いでしょう。しかし、そこから恐ろしさや残酷さを感じ取ることは、小学生の子供には難しいのです。「戦争ってもっと悲惨なものかと思っていたけど、案外そうでもないんだな」というような結論に近づいてしまいかねないのです。人間はどんな悲惨な日常の中でも、ときには笑い、小さな満足を感じ、生きている幸福感を味わい、愛する人を思い浮かべて今を忘れるひとときがあるということは、長い人生を生き抜いてきた私たち、多くの書物を目にして人というものを理解してきた私たちには理解できても、小学生の子供には難しい場合が多いからです。
 この句は、紛れもなく戦争という事象の一断面を鮮明に切り取ったものだと思います。でも、子供に戦争肯定的な感想を生じさせてしまうのでは、授業は失敗です。もちろん、戦争=悲惨・残酷を無理矢理押し付けるような授業が下の下です。むしろ、戦争=悲惨・残酷という子供の表面的な思い込みを一度ひっくり返し、それをもう一回逆転させることで理解を深めるという方法の法が優れています。でもそれが難しいのです。
 戦争の本当の残酷さを理解させるためには、まずその前提として、人間というものを理解させる必要があるのかもしれません。文学の出番なのでしょうか。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする