「頭の中が見たい」9月10日
『下位の校長名 公表を』という見出しの記事が掲載されました。静岡県知事の川勝平太氏が、全国学力テストで同県の小学校国語Aの正解率が全国最下位だったことを受け、『県内公立小512校のうち、下位100校か県平均点以下の学校の校長名を公表し「反省材料にしてもらう」』という方針を打ち出したことを報じる記事です。
よく分からない話です。川勝氏は、学校の状況をよくご存じないのではないでしょうか。まず、校長名を公表するとして、誰の名前を公表するつもりなのかが不明確です。全国学力テストは、小学校の場合、基本的に小学校5年生までの学習成果をみるものです。つまり、川勝氏が主張する「責任」は、前年度の校長にあるはずです。その中の2割以上は他校へ異動していると思われます。その校長の名前を公表するのか、現校長の名前を公表するのか、いずれなのでしょうか。その点を明確にしておかないと、余計な混乱が生じると思われますが。
また、川勝氏は、『責任は先生にある』と批判しているそうですが、それならばどうして「先生」つまり担任教員の名前を公表しないのでしょうか。間接的な責任しかない校長よりも当事者である教員の氏名を公表した方が、インパクトは強いと思うのですが。もっとも、こうした方針を継続した場合、5年生を希望する教員はほとんどいなくなると思いますが。
さらに、公表の基準を「下位100校か平均点以下」としていますが、この基準は妥当なのでしょうか。前年度500位から420位に結果を向上させた校長は「努力不足校長」として氏名が公表され、300位から400位に結果を低下させた校長はおかまいなし、ということになりますが、それで校長や学校、教員の努力を正当に評価できると考えているのでしょうか。
私の川勝氏に対する印象は、論理的に物事を考える人、でした。しかし、今回の件については、きちんと考えた結果とは思えない非論理性が目につきます。不快という感情を爆発させただけのようにも思えます。
なお、ここまで述べてきたことは、あくまでも「公表」するとしたらという前提の話です。私自身はこのブログで繰り返し述べてきたように、こうした手法には反対です。地域や家庭の違いを無視した学校責任論では、学力向上問題は解決しませんし、首長の教育行政介入にも反対だからです。宗旨替えをしたわけではありません。念のため。
『下位の校長名 公表を』という見出しの記事が掲載されました。静岡県知事の川勝平太氏が、全国学力テストで同県の小学校国語Aの正解率が全国最下位だったことを受け、『県内公立小512校のうち、下位100校か県平均点以下の学校の校長名を公表し「反省材料にしてもらう」』という方針を打ち出したことを報じる記事です。
よく分からない話です。川勝氏は、学校の状況をよくご存じないのではないでしょうか。まず、校長名を公表するとして、誰の名前を公表するつもりなのかが不明確です。全国学力テストは、小学校の場合、基本的に小学校5年生までの学習成果をみるものです。つまり、川勝氏が主張する「責任」は、前年度の校長にあるはずです。その中の2割以上は他校へ異動していると思われます。その校長の名前を公表するのか、現校長の名前を公表するのか、いずれなのでしょうか。その点を明確にしておかないと、余計な混乱が生じると思われますが。
また、川勝氏は、『責任は先生にある』と批判しているそうですが、それならばどうして「先生」つまり担任教員の名前を公表しないのでしょうか。間接的な責任しかない校長よりも当事者である教員の氏名を公表した方が、インパクトは強いと思うのですが。もっとも、こうした方針を継続した場合、5年生を希望する教員はほとんどいなくなると思いますが。
さらに、公表の基準を「下位100校か平均点以下」としていますが、この基準は妥当なのでしょうか。前年度500位から420位に結果を向上させた校長は「努力不足校長」として氏名が公表され、300位から400位に結果を低下させた校長はおかまいなし、ということになりますが、それで校長や学校、教員の努力を正当に評価できると考えているのでしょうか。
私の川勝氏に対する印象は、論理的に物事を考える人、でした。しかし、今回の件については、きちんと考えた結果とは思えない非論理性が目につきます。不快という感情を爆発させただけのようにも思えます。
なお、ここまで述べてきたことは、あくまでも「公表」するとしたらという前提の話です。私自身はこのブログで繰り返し述べてきたように、こうした手法には反対です。地域や家庭の違いを無視した学校責任論では、学力向上問題は解決しませんし、首長の教育行政介入にも反対だからです。宗旨替えをしたわけではありません。念のため。