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神想観では「完全な相」を見詰めることです

2017-12-26 18:22:24 | 日記
実相の完全な相を見詰めれば
完全な相が顕われてくる。
基本的神想観のよいところは、
指示どおりに行うならば
念ずる言葉やイメージが
完全なものを見詰めるように
設定されていることです。
「完全な相を見詰める」といった状態を
つくること自体が
そうやさしくないのですから、
設定されているやり方を
使わせていただくのは
良い方法です。
(参照 大聖師御講義『続々甘露の法雨』谷口清超編纂 日本教文社)
【心そこに在らざれば見れども見えず聞けども聞けずというように、そこに実相の世界の完全な相(すがた)があっても、心が“その完全なもの”を観なかったならば、その完全な相というものは顕われないということになりますから、吾々は実相の完全な相を出来るだけ観るようにしなければならんのであります。その行法が神想観であります。じーっと、心を鎮め精神を統一して神想観を実修して、実相の完全な相を心で見詰めればその相が顕われてくるのですから、神想観は毎日一回乃至二回は必ずおやりになる方がいいのであります。神想観をすれば心が整う。心が整えば実相の完全な相がおのずからそこに顕われて健康が実現してくるわけであります。】
神想観を自己流で行うと、
完全な相を観ることが
うまくいかない場合も
あるかも知れません。
だとすれば、
“完全なもの”を観るように設定されているものを
忠実に行うならば失敗がないわけで、
雅春先生が神様から伝えられたやり方の素晴らしさが
まさにそこにあるのです。

ローマ人への手紙

2017-12-26 10:53:52 | 日記
<ローマ第12章>
キリスト者の倫理(12・1-15・13)
国家に対する義務(13・1―7)
(4)彼は、あなたに益を与えるための神の僕なのである。しかし、もしあなたが悪事をすれば、恐れなければならない。彼はいたずらに剣を帯びているのではない。彼は神の僕であって、悪事を行う者に対しては、怒りをもって報いるからである。
(5)だから、ただ怒りをのがれるためだけではなく、良心のためにも従うべきである。
(6)あなたがたが貢を納めるのも、また同じ理由からである。彼らは神に仕える者として、もっぱらにこの務に携わっているのである。
(7)あなたがたは、彼らすべてに対して、義務を果しなさい。すなわち、貢を納むべき者には貢を納め、税を納むべき者には税を納め、恐るべき者は恐れ、敬うべき者は敬いなさい。