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ローマ人への手紙

2017-12-28 11:24:52 | 日記
<ローマ第12章>
キリスト者の倫理(12・1-15・13)
危機の倫理(13・11―14)
(11)なお、あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。
(12)夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。
(13)そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみとを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。
(14)あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。

この現象世界は、全部自分の心の所現である

2017-12-28 09:53:51 | 日記
この現象世界は
全部
自分の心の所現であり、
いわば心一枚とも言えるのだ、
ということが
昨晩一夜寝ている間に
分ってきた。
色即是空、空即是色だ。
輪廻転生を繰り返すこの人生というものは、
実際に実在する生の舞台ではなく、
現象的に存在しているように見えてはいるが、
丁度
劇でいえば上演の舞台、
映画でいえばスクリーンの主人公なのが
自分なのだ、
ということも分った。
現在見えている現象が
全部形や色をもった波動であるとしたら、
つまり在ると思うから在るに過ぎないのだから、
本当に在る(実在する)のではないと知ると、
現象への執着からは
ずっと楽になってくる感じだ。
では、現象的に見えるものは何だといえば、
それは「実相の表現体」であって、
自分が自他一体の神の子として
本来有しているものが
表現されているのである。
現象は実相の表現体なのだが、
肉体人間である自分の心のレンズに曇りがあるとすると、
つまり現象の心が
実相ではない恐怖心や過度な物質執着心をもっていたりすると
心のレンズが実相を表現できずに
現象に実相不在のごとき病気や災難が
表現されてしまうことにもなるが、
それは
闇が光の不在でしかないように
実相の光をレンズに通してやれば、
現象における実相の欠如状態は
改善されるものなのだ。
要するに「神の子・神の国」の実相真理把握が大事であり、
現象世界は全部自分の心の表現体だと
分る必要がある。
この真理がはっきり分り、
現象的なものにつかまれる傾向が
今後少なくなってくると思われるので、
実相探求の私の旅も
かなりな程度歩みを進めたと
言えるかも知れない。
(参考 生命の実相第8巻 無限生命に汲む道)