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ローマ人への手紙

2017-12-04 11:30:00 | 日記
<ローマ第10章>
イスラエルの救い(9・1-11・36)
信仰による救い(10・1-13)
(5)モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いている。
(6)しかし、信仰による義は、こう言っている、「あなたは心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな」。それは、キリストを引き降ろすことである。
(7)また、「だれが底知れぬ所に下るであろうかと言うな」。それは、キリストを死人の中から引き上げることである。
(8)では、なんと言っているか。「言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある」。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。
(9)すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
(10)なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。

“本当の自分探し”を根幹として行うのが宗教です

2017-12-04 11:03:08 | 日記
宗教というものは、
現象的に自分だと思っているものが
本当の自分ではないので、
本当の自分(自己の実相)を探し出し、
その本当の自分の中に幸福の源泉があるのだから、
それを見つける行を根幹として行うべきなのです。
“本当の自分探し”(存在の探求)をすることをしないならば
宗教として成り立たないのです。
キリスト教も仏教も
本物はそれをしています。

(参考 正法眼蔵を読む 弁道話の巻 谷口清超著)
<ひたすら修行せよ>
(当時の)我が国は、(昭和の現在とちがって)支那、インドからみると、はるかに未開野蛮の国である。人間も狭量であり、仁智が少い。このような国であっても、本来すべての人が仏性の所有者であるから、必ず救われる。これが如来の正法の不可思議力である。又中国・インドの文明も、彼らの魂の進化のあらわれでもなく、わが国の人々の魂のおくれをあらわしているのでもない。本当の人間の価値や、国家のすばらしさは、そのようなミセカケの華麗さによるのではなく、いかに仏性を自覚し、行じ、修めるか、かかる人々がいかほど多いかという点によるのである。

人間は神の子なんだから物質の法則に左右されなくてもいい

2017-12-04 09:20:34 | 日記
人間は肉体ではなく
神の子(実相身)なのが本体なのだから
このことが本当に自覚されてくると
物質の法則に縛られなくなる、
ということを
真理として学んできたのですが、
なるほどそうかなと、
納得しつつあります。
自分に今迄起ってきた数々の神様のご恩寵は
人間の力を超えるものであったからです。
生活の中でいつも起こりがちな悲観的な心を
四部経の一日10回読み等で
ことごとく打ち破り建設的な心の状態に変えてきている私は、
物質の法則から神の法則が支配する状態へと
自分をもっていきたいと思っていますし、
徐々に徐々に
そのような方向にきていると
信じています。
ありがたいことです。



人間は神の子なんだから物質の法則に左右されなくてもいい

2017-12-04 09:17:39 | 日記
人間は肉体ではなく
神の子(実相身)なのが本体なのだから
このことが本当に自覚されてくると
物質の法則に縛られなくなる、
ということを
真理として学んできたのですが、
なるほどそうかなと、
納得しつつあります。
自分に今迄起ってきた数々の神様のご恩寵は
人間の力を超えるものであったからです。
生活の中でいつも起こりがちな悲観的な心を
四部経の一日10回読み等で
ことごとく打ち破り建設的な心の状態に変えてきている私は、
物質の法則から神の法則が支配する状態へと
自分をもっていきたいと思っていますし、
徐々に徐々に
そのような方向にきていると
信じています。
ありがたいことです。