正法眼蔵という道元禅師の仏教書は
全部、実相なるものを
いろいろな角度から説いているもので、
とても興味深い。
聖書も
特に新約聖書のヨハネ伝は
実相を説いているので、
仏教もキリスト教も
奥深いところは生命の実相そのものであるから、
そのような視点で実相を学んでいけば、
久遠いのちの流れの中に
誰もがいることがわかる。
(参考 正法眼蔵を読む 現成公案の巻 谷口清超著)
【<既にある実相>
そこで「現成」とは、本来完全なものがある、既にアルのであり、従ってそれが現れ鳴りひびかざるを得ないということである。「公案」とは公府の安牘(あんとく)。公府とは政府のことで、安牘とは法令のことだ。つまり動かすことの出来ぬ「法則」を「公案」という。従って真理とか法則とかという意味に使う。これも「実相」の一面であり、本来アルところの世界には、動かし難い“秩序”があり、“法則”があり、しかもそれは完全円満である。即ち「実相円満完全世界の法則」という意味が、「現成公案」であり、従って宇宙に遍満する大真理という意味である。それをこれから説示しようというのであるから、事は極めて重大である。】
全部、実相なるものを
いろいろな角度から説いているもので、
とても興味深い。
聖書も
特に新約聖書のヨハネ伝は
実相を説いているので、
仏教もキリスト教も
奥深いところは生命の実相そのものであるから、
そのような視点で実相を学んでいけば、
久遠いのちの流れの中に
誰もがいることがわかる。
(参考 正法眼蔵を読む 現成公案の巻 谷口清超著)
【<既にある実相>
そこで「現成」とは、本来完全なものがある、既にアルのであり、従ってそれが現れ鳴りひびかざるを得ないということである。「公案」とは公府の安牘(あんとく)。公府とは政府のことで、安牘とは法令のことだ。つまり動かすことの出来ぬ「法則」を「公案」という。従って真理とか法則とかという意味に使う。これも「実相」の一面であり、本来アルところの世界には、動かし難い“秩序”があり、“法則”があり、しかもそれは完全円満である。即ち「実相円満完全世界の法則」という意味が、「現成公案」であり、従って宇宙に遍満する大真理という意味である。それをこれから説示しようというのであるから、事は極めて重大である。】