gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

ローマ人への手紙

2017-12-13 22:08:56 | 日記
<ローマ第10章>
イスラエルの救い(9・1-11・36)
神の計画の実現(11・11-24)
(16)もし、麦粉の初穂がきよければ、そのかたまりもきよい。もし根がきよければ、その枝もきよい。
(17)しかし、もしある枝が切り去られて、野性のオリブであるあなたがそれにつがれ、オリブの根の豊かな養分にあずかっているとすれば、
(18)あなたはその枝に対して誇ってはならない。たとえ誇るとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのである。

「正法眼蔵」の“現成公案”とは“実相”と同じ意味です

2017-12-13 11:00:51 | 日記
道元禅師の「正法眼蔵」に「現成公案の巻」という卷がありますが、
この“現成公案”という言葉の意味について、谷口清超先生は
以下のように説明しています。
つまり“実相”のことでありますが、
新約聖書ヨハネ伝の“神の言葉”つまりロゴス、
聖経『甘露の法雨』の“神の心、神の言葉”と対照してみると
同一のものを言っている用語であると
わかってきます。
(参考 正法眼蔵を読む 現成公案の巻 谷口清超著)
<既にある実相>
この巻には道元の悟りの根本神髄が示されている。真理の窮極がとかれている最も重要な圧巻であって、「現成公案」と名づけられる。即ち「真理そのもの」「実相」といった意味である。“現”とは顕であるが、何かが顕れるためには、“もと”のものがなければならない。在り通しているところの「実相」が現れるのである。次に“成”とは成るともよむが、何もない所に何かが成就するのではない。アルものが成るのである。“成る”は“鳴る”であって、「実相」の“いのち”が鳴りひびくということである。即ち、成るものは完全な「実相」であって、不完全なものが、これからボツボツ“完全に成る”という意味ではない。「完全」なるものは最初から完全であり、不完全なものが完全になってくるということはないのである。