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一仏一切仏

2015-08-20 20:09:12 | 日記
一仏一切仏というのは、
全宇宙丸ごと
一つのいのちの現れであるという意味であり、
対立しているように見えても
いのちの世界では
実は一つである、
ということです。
私の環境世界は
丸ごと私のいのちの展開であり、
実は仏さまです。
私という仏の分身としての仏さまです。
そしていのちの世界で「円満完全大調和」しています。

(真理7巻 谷口雅春著)
【丁度私がここで説法をいたしておりますと、皆さんがここにこうして集まって来て、そして、私の説法をお聞きになる。そうすると、話す人と聞く人と対立的に別れているように見えているけれども、実はそうじゃないのであって、互いに私と皆さんとは一つなんであります。いわば釈迦牟尼如来が、こうして説法なさいますと、無数の聖使命菩薩がここに集まって来て、その説法を聞き給うのでありまして、菩薩は皆、釈迦牟尼如来の一つのいのちの波の現れであって、諸君は皆その分身の菩薩である、ということになっているのであります。】

実は
私は釈迦牟尼如来と同じものであり、
皆さまも同様
釈迦牟尼仏なのだそうです。

「物質はない」というのは「何もない」という意味ではない

2015-08-20 19:45:54 | 日記
谷口雅春先生は
真理7巻において
「物質はない」の意味を
くわしく説明してくださっています。
大事なことですので
載せておきます。

(真理第7巻 谷口雅春著)
【物質は“ない”というのは、吾々の見ているもの、さわっているもの悉く、これは物質“でない”、という意味であります。すべてのものは物質“でない”、肉眼で視ると、物質と見えているのであるけれども、物質でないということがわかれば、それをさわっても、食べても、これは物質を食べているのではない、というわけなのであります。これは「何もない」というわけではないのであります。釈迦牟尼如来が悟りを開かれた時にも、「山川草木国土悉皆成仏」とこう仰せられまして、山も川も草も木も、悉く「成れる仏」であると。こういうふうにお観じになったのであります。すべて物質の「山」と見え、物質の「川」と見え、草木と見え、国土と見えているけれども、しかし、あれは物質ではないのである。あれは「成仏」即ち「成れる仏」であると、こう観じられたのであります。】