自分の思うことが
現象に現れる、といいますが、
「自分の人生は自分の人生観に依る」と
今日読んだ真理6巻に載っていました。
これはスゴイ文章だと
思いました。
しっかりした人生観を築くことが
大事ですね。
(参考 真理第六巻 谷口雅春著)
世界的の心理学者と謂われているウィリヤム・ゼ―ムズの論文の中に、「その人の人生は、生きているその人の人生観に依る」と説いている。そのように、争いの人生観を有(も)っているものには、争いの世界が現れて来るのです。ですから、吾々が此の世界は本来争闘のない世界だと、いくら争闘を否定しても争闘ありと観る人には、実際争闘が現れてくるのです。議論で争闘を否定しても、人生観が変らない限りは、その人の目には争闘が観えるのです。これを三界唯心と言います。ところが此の人生はすべて生かし合いの世界であると観る人には、そういう生かし合いの人生がその人の周囲に、目の届く限りに、或いは、其の人の生活に交渉のある範囲には、穏やかな調和した状態が現れて来るのであります。だから、周囲をよくするには自分の心が変らなければならない。
現象に現れる、といいますが、
「自分の人生は自分の人生観に依る」と
今日読んだ真理6巻に載っていました。
これはスゴイ文章だと
思いました。
しっかりした人生観を築くことが
大事ですね。
(参考 真理第六巻 谷口雅春著)
世界的の心理学者と謂われているウィリヤム・ゼ―ムズの論文の中に、「その人の人生は、生きているその人の人生観に依る」と説いている。そのように、争いの人生観を有(も)っているものには、争いの世界が現れて来るのです。ですから、吾々が此の世界は本来争闘のない世界だと、いくら争闘を否定しても争闘ありと観る人には、実際争闘が現れてくるのです。議論で争闘を否定しても、人生観が変らない限りは、その人の目には争闘が観えるのです。これを三界唯心と言います。ところが此の人生はすべて生かし合いの世界であると観る人には、そういう生かし合いの人生がその人の周囲に、目の届く限りに、或いは、其の人の生活に交渉のある範囲には、穏やかな調和した状態が現れて来るのであります。だから、周囲をよくするには自分の心が変らなければならない。