ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

義務教育にスクーリングを

2018年06月25日 | 日記

  ヒルガオ、です。


 少子化が進んで、廃校になる地域が後を絶たない。廃校になると子供達は、新たに建設された地元とは離れたところの学校に通うことになる。当然ながら遠距離通学になる。今までのように歩いて通学することはできないから、スクールバスが運行される。バスだから、登下校が均一になる。そして集合時間がきちんと通達され、守ることが義務づけられる。
 私の小中学校時代を思い出してみる。登下校は、本人の意思により自由であった。気分の悪い時には、いろいろ理由をつけて遅刻した。下校の時は、道草を食ったり、寄り道したり、そして同級生や下級生と、いろいろ悪さをしたりして、そこで子ども同士の視野の広がりや情緒を養う機会があったと思う。ところが、今はスクールバスでの集団登下校で、見守り父兄の監視といったスタイルが一般的になっている。
 通学問題を横に置いて、さらに思うのは、児童数がどんなに少なくなっても地域の拠り所は学校だということだ。学校は勉学の場所ではあるが、地域共同体の象徴としての意味を持っている。まだ学校がなかった大昔には、寺社がその役割を負っていた。寺社は聖地であるとともに子どもの遊び場所でもあったのだ。そこから子供達は地域意識を身につけていったのである。地域の共同意識は法律ではないから、学習科目のように黒板を通して学ぶものではない。生活の中で自然と身についていくものである。学校はこの共同意識を涵養する不可欠の場所なのである。
 つまり、学校はいくら生徒数が減っても廃校にすべきではないということである。 
 では少人数の生徒、例えば学年で3〜5人しか生徒がいない場合、昔でいうと山の学校、分校などと呼ばれていたものを、どうするのか?
 昔と違って、今はコンピュータの教育システムが普及している。先生は教科を教えるというより、その補助をするだけで足りる。規模が小さくても、学業に地域差はないようになっているのである。だから学校運営は校長と教師が一人いれば十分やっていけるのである。
 小規模の場合おそらく問題となるのは学力ではなく、意識が内閉してしまう、そうしたことではないだろうか。これを防ぐためには、大勢の生徒が集まるスクーリングが有効と思う。他所の子どたちと一緒にし集会し、外部と触れることを体験させるのである。月に1〜2回、地域の子供達が合同して触れ合う授業をする。その場合、おそらく体育や音楽、図工のような課目が適しているように思う。新たに新設される統合校はこうした学業の場にすべきである。
 スクーリングというのは、通信教育など、直接指導を受けられない人たち用の勉学の場であったが、この制度こそ生徒数の少ない学校に適用すべきだと思う。通学が規制されているのは少子化している地方だけではない。都会でも交通事故や誘拐などからの危険から守るための通学規制が行われている。子どもたちを子ども同士の外部世界に接触させるためにも、スクーリングは是非とも行われるべきことのように思う。昔、行われていた夏の学校など、学校単位の行事ではなく、地域全体の合同した行事として復活していくのも一つの手だと思う。【彬】

 

 

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