ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

過剰な政治

2023年04月21日 | 日記

                 クレマチス

 この一年、立て続けに政治テロが実行された。実行犯は当然ながら現行政治に不満を持っているわけだ。

 で、若い人が政治に不満を持つというのはどういうことなのだろうか。本来、若者というのは、もっとも政治とは遠い存在であるはずではないのか。そんな人たちが、今、地方選挙の真っ只中で、政治家として立候補している。地方行政に不満があるということなのであろうか。しかし、私には政治家になりたいという気持ちがまったく理解できない。芸能人になりたいとか、就職先を求めるとかと同じ気持ちなのだろう。

 私たちは学校教育の中で、政治を身近かなものにすることが民主主義の一歩だと教えられてきた。でも、民主主義の本義は、政治や特定の権力から自由であるということであり、身近に感じるというものではない。

 だから自由な生活に足枷をかけるような政策に出会ったら、意義を申し立てる。現在の若者達がどんな不平不満を持ち、どんな足枷をかけられているというのか。地方選立候補者のパンフレットなどを読むと、自分の不平不満というよりは、年寄りや若い家族、あるいは性の差別に苦しんでいる人に福祉を届けるということが全面に出ている。なんとも他人事である。本人の切実感がまるでない。

 テロ実行の若者はどんな政治的欲求を持っていたものやら。

 本来、私たちは政治からはもっとも縁遠いところで、政治には依存せずに生活を送ることが理想である。しかし、人が集まれば公共空間が生じるので、そこでの利害の調整として政治が発生する。たとえば道路、電気や水道、学校や病院などといったものである。そうしたインフラ以外、政治が関与しないことがベストである。行政はなるべく小さく、それに依存しないほうがいい、と言うのが古代からの哲理である。これは保守的な思想でもなんでもない。

 ところが、いま福祉国家というのが理想だという誤解が広まっている。なにからなにまで政治がめんどうをみるという福祉国家論は社会主義国家の影の部分であることを忘れてはならない。【彬】

 

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