2024/07/24
昨日の目の不自由な人の話の続きです。
駅のホームで電車を待っていたときのこと。
白杖を持った女性が立っていました。
電車が到着してドアが開いたとき
女性はすぐに乗らないで
白杖で電車の乗り口付近の床を
何回もトントンと叩いて
位置や距離を確認しているようでした。
私にはそれが戸惑っているように見えて
「お手伝いしましょうか」
と声をかけました。
すると、女性はムッと怒ったような表情になり
無言で電車に乗り込みました。
私は「ああ、余計なことをしてしまった」
と、心がチクリとしました。
もっと正直に言えば
声をかけて恥をかいた、と思ったのです。
手助けが必要でなかったとしても
「いいえ、けっこうです」とか
「ありがとうございます」の返事が
返ってくると思っていたのです。
私も続いて電車に乗ると
女性はドアのすぐ前に立っていました。
降りるときには、すぐに降りられる場所です。
今までの経験から、目の不自由な人が
困っているようだったら
手助けしようと思っていました。
でも
女性にとってはきっと乗り慣れた電車で
勝手はわかっていたのでしょう。
ホームと電車の距離を杖で何度も確認して
まさに乗り込もうとしたときに声をかけられた。
全神経を集中していたのに余計なことを
と思ったのかもしれません。
伊藤亜紗さんの
『目の見えない人は世界をどう見ているのか』
にも書いてありましたが
目の見える人が何かしてあげるというのは
目の見える人のほうが上位にいる
という考えがあってのこと。
「健常者が障害のある人に接するときに、何かしてあげなければいけない、特にいろいろな情報を与えてあげなければいけないと構えてしまう」(p.37)
目の見える人のほうが多数だから
見える人に都合よく作った世界です。
だから見えない人は困っていると
考えるのは正しくないのかもしれない。
少なくともそれがすべてに当てはまる
わけではない。
電車の人が何を感じていたのか
わかりませんが
これは私にはちょっとしたショックな
出来事でした。
しかし、だからといって
目の不自由なすべての人に
助けがいらないとは限らない。
これからもまわりを観察しながら
必要があると感じたら
お手伝いしようと思っている気持ちは
変りません。
・・・・・・おまけ・・・・・・・
ベランダのミニトマトが完熟したので
収穫しました。
触っただけでポロっと取れました。
小ぶりながら味が濃かったです。
完熟っておいしいなと思いました。
まだたくさん実がついているので
これからも楽しみ。
それはちょっと切ない思いをしましたね。
私も似たような経験をしました。
道で白杖の人が迷っているようだったので、声を掛けました。
目的地を訊いて、一緒に案内してもいいなと思ったのです。
ところが「ああ、わからなくなっちゃう」と言われてしまいました。
白杖の人は、歩数を数えていたんですね。
その時、相手の状況を自分の価値観で判断してはいけなと思いました。
相手の方の状況を見極めるのは難しいですね。
はじめまして
コメントありがとうございます。
きんかんさんもそんな経験がおありだったのですね。
歩数を数えていた…そんなふうにしていることがあると初めて知りました。
>相手の状況を自分の価値観で判断してはいけない。
まさにそのとおりですね。相手が迷っているように見えても、あきらかに助けを求めているのでなければ、そっと見守るのがいいのでは、と私も感じたことでした。
目の不自由な人が助けを必要としているのかどうか、見極めるのは難しいですね。常に困っているわけではないという視点は今まであまり持ったことがなかったのでとても勉強になりました。
杖で距離を測っている、歩数を数えている、など白杖を持った人が普段どういう風に工夫しながら生活しているのか、あまり知る機会がありませんもんね。貴重な情報をありがとうございました✨
目が不自由な人の行動の工夫は参考になりますね。
伊藤亜紗さんの本の中に、「初めて入ったカフェで、目の見えない人がトイレの位置を理解していた」という文がありました。
目の見える人は視覚情報に頼りがちですが、別の感覚の情報をたくさん得ていて、自分なりのやり方で、間違わずに行動しているのかもしれませんね。
コメントありがとうございます。