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はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

赤ちゃんポストに預けられた子

2025年04月02日 | 社会問題
2025/04/02


数日前にこんなニュースがありました。

東京都墨田区の「賛育会病院」は
親が育てられない乳児を匿名で受け入れる
「赤ちゃんポスト」と
病院だけに身元を明かして産む
「内密出産」の運用を始めたとのこと。


このニュースを聞いて
日本初の「赤ちゃんポスト」を設置した
熊本慈恵病院のことを思い出しました。

2年前に熊本慈恵病院院長の
蓮田太二さんの本を読んだことがあります。

『ゆりかごにそっと』 蓮田太二 方丈社 

とても感銘を受けましたが
本の紹介しようと思いながら
ずっとそのままになっていました。

赤ちゃんポストに最初に預けられた
男の子の話が興味深いものでした。


本書から抜書きさせていただきます。

・・・・・・・・・・・

2007年5月10日、できたばかりのゆりかごのブザーが鳴って看護師がドアを開けると、3歳の男の子がニコニコ笑って座っていたのだ。「かくれんぼではいったの」とはっきり答えた。お名前はと聞くとスラスラ答えた。父親の名前も福岡から来たということも話す。(p112)

そののち、特別養子縁組で里親に引き取られ、幸せに暮らすことになった。
今では、学校の人気者で、かけっこが速く、養親にとっても自慢の息子だということだ。

・・・・・・・・・・・・


この男の子はその後どうなったのでしょう。
調べると意外な事実がありました。

この子は大学生になったとき
自分が赤ちゃんポストに預けられた子である
ことを公表しました。

宮津航一さんと言います。

〈ゆりかごがあって、自分は救われた。
当事者だからこそ、
『ゆりかごから先の人生も大事だよ』
と伝えたい〉

読売新聞の記事。

この記事を読み
里親になった宮津美光さん
みどりさん夫妻の人柄に感動を覚えました。

宮津さんは熊本市で
お好み焼き店を営んでいました。

〈夫妻には既に5人の息子がいました。自分たちの子育てが一段落しつつあった07年、「今度は里親になってみよう」と登録したところ、児相から「3歳ぐらいの子を預かってみませんか」と打診された。それが、航一さんだった。
対面した瞬間、美光さんは「もう心配せんでええよ」と幼い航一さんをそっと膝の上に抱き上げていた。〉  


「もう心配せんでいいよ」
という優しい言葉が胸に迫ります。

5人のお兄ちゃんがいたという家庭環境も
よかったのでしょう。
お兄ちゃんたちに遊んでもらい
たくさんの家族に見守られて育ちました。

〈その後、航一さんの親戚にあたる人物が「自分が預けた」と名乗り出た。
自責の念に駆られたという。〉

〈この出来事により、航一さんの本当の名前が分かった。正しい年齢は推定していたものとほぼ同じ。そして、航一さんの実の母親が、航一さんが生後5か月の時に交通事故で亡くなっていたという重大な事実も分かった。〉


現在、航一さんは立派に成長されて
社会貢献活動をされています。


赤ちゃんポスト設立の裏には
さまざまな社会問題が横たわっています。

赤ちゃんポストには「出自を知る権利」を
明確に定めた法律がないことや
受け入れ態勢などで課題が指摘されています。

しかし、とにかく虐待や遺棄などから
子どもの命が救われている事実は大きいのです。

行政は後手後手にまわっているなか
民間からこのような取組みが
行われていることは尊いと思います。


 
コメント (2)
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