俗に、ウェットの日本人、ドライのアメリカ人と言う。分かりやすくていいのだが、ちょっと待てよ、と言うことが結構ある。
アメリカ人は人前で、自分の娘は「私の美しい娘のジェーンが」とか、「私の自慢の良くできた息子のトムが」とか、日本人からはとても出てこない形容詞を使って表現する。日本人も子供を持てば親バカになるから、当然そう思って居るのだろうが、日本でそんなことを口に出せば、その場で浮いてしまうこと間違いなし。「俺の心を察してくれ」と言う日本人と、「人の心は他人には見えない。だから口に出して言わなきゃ通じない」と思うアメリカ人。素直に言えるアメリカ人が羨ましい。
アメリカでは、老夫婦が相当歳をとったりすると、そろそろ近くに住んでそれとなくケアしよう、等と、息子夫婦が近くに転職してくる。病気でケアが必要になったりすると、これまた、子供が会社を辞め、同居したり、或いは近くへ移り住んでケアしたりする。親が人生の末期を迎えるケースだと、半年とか一年くらい、近くで臨時に働きながら最後を看取ってから、新たに再就職をする。
こんなことが比較的簡単に出来るのは、もちろん、転職が可能な社会環境が整備されているからでもあるが、日本では、一たび親元を離れると、そう簡単には戻れまい。社会の制度としても、親子関係の絆を壊さない力をアメリカは与えているように思う。それが羨ましい。
ウエットとかドライとかでは一括りに出来ない一面だ。
アメリカ人は人前で、自分の娘は「私の美しい娘のジェーンが」とか、「私の自慢の良くできた息子のトムが」とか、日本人からはとても出てこない形容詞を使って表現する。日本人も子供を持てば親バカになるから、当然そう思って居るのだろうが、日本でそんなことを口に出せば、その場で浮いてしまうこと間違いなし。「俺の心を察してくれ」と言う日本人と、「人の心は他人には見えない。だから口に出して言わなきゃ通じない」と思うアメリカ人。素直に言えるアメリカ人が羨ましい。
アメリカでは、老夫婦が相当歳をとったりすると、そろそろ近くに住んでそれとなくケアしよう、等と、息子夫婦が近くに転職してくる。病気でケアが必要になったりすると、これまた、子供が会社を辞め、同居したり、或いは近くへ移り住んでケアしたりする。親が人生の末期を迎えるケースだと、半年とか一年くらい、近くで臨時に働きながら最後を看取ってから、新たに再就職をする。
こんなことが比較的簡単に出来るのは、もちろん、転職が可能な社会環境が整備されているからでもあるが、日本では、一たび親元を離れると、そう簡単には戻れまい。社会の制度としても、親子関係の絆を壊さない力をアメリカは与えているように思う。それが羨ましい。
ウエットとかドライとかでは一括りに出来ない一面だ。